2-8 【勇者の仮面】
「僕も勇者様の配下として、一度綺麗さっぱり足を洗おうかな……どう思います? 勇者様」
僕は振り返ることなく、背後の影に声をかけた。
「なーんだ……気づいてたのね」
「はい。昼間に良くして頂きましたから。勇者様の気配は、僕の杖が覚えました」
白いローブを纏ったアヤメさんが僕を追い越し、僕の前に立ち塞がる。僕と違い、フードは被っていない。
「杖が……? ふーん。その杖、勝手に使わせてもらったのは不用心だったようね」
ルリさんの姿は見えない。どうやら、一人でついて来たようだ。
「用心をしていなかったのはこちらも同じです。あの時、勇者様がわざわざ僕の杖を使ったのは、僕の杖にトラッカーを仕込むためだったんですね」
「トラッカー?」
「杖に仕掛けられている追跡魔法のことです。この魔法を頼りに、僕のことを尾けてきたんでしょ? ルリさんから、教わったんですか?」
「ああ……その発信機みたいな魔法のこと? それはその……ソラに押し売りされて……」
ソラと言えば、アヤメさんと同じ異世界から召喚された勇者パーティーの一人だったか。今は別行動をしているらしいから、かなり前に教わったということだろう。まあアヤメさんなら、どんな魔法でも一度見るだけで、完璧に覚えてしまうのだろうが。
「……押し売りされた?」
「いつか彼氏ができた時、管理するのに役に立つからって……」
「重っ」
「か、彼氏に使ってないでしょ? まだラノ君彼氏じゃないし! それに、使うかどうかは付き合ってみないとわかんないし……?」
アヤメさんの目が細められる。よくわからないが、どうやらこちらの出方を窺っているようだ。
「まだ……って、僕と勇者様が付き合うこと前提ですか。まさか、すました顔して昼間のマスターの話、真に受けてたんですか?」
「あら、強気な女の子はお嫌い?」
「……」
どちらかと言えばアヤメさんのそれは、強気というよりも『傲慢』に近い気がするが。
「行動に実力が伴っていれば、別に。余計なことに首を突っ込んで死に急ぐような、愚か者でなければ」
「……私、勇者なんだけど。勇者って、そういうものなんじゃないの?」
「勇者だからこそ、ですよ。偶像は、滅びてはならない」
僕がそう言うと、アヤメさんはどこか諦観を含んだ笑みを浮かべた。
「偶像、ね……。私、今まさに首を突っ込んでいる最中なんだけど、それでも私の話って、聞いてもらえるのかしら?」
勇者が、少し表情を硬くする。
「ええ。立ち話で良ければ……どうぞ?」
僕は腰の杖に手をかけたまま、勇者の問いかけにそう答えた。
「立ち話、ね。まぁいいけど」
彼女はその整った顔を歪ませ、まだ見慣れない黒色の髪を揺らす。その立ち振る舞いにはまだぎこちなさが残っているものの、その凛とした佇まいと目力、そして堂々たる所作は、まさに勇者のそれだった。
「それで……何の用でしょうか、勇者様」
「ここで何をしていたのか、説明してもらっても良いかしら?」
勇者はその身に纏った白いローブを翻し、薄暗い路地裏を一歩、また一歩と近づいてくる。
「……散歩です。最近、運動不足なので」
「ふーん……そう」
僕の苦し紛れの嘘に、勇者は興味なさげに答える。彼女は歩みを止め、やがてため息を吐くように吐き捨てた。
「ま、いいわ。あなたが何をしようとあなたの勝手だしね。でも、私も勇者としてやるべきことがある。現場を目撃されてしまった以上、言い逃れはできないと思うけど?」
勇者はそのしなやかな指を、僕が出てきた路地裏の奥へ向ける。
「現場……ですか?」
「とぼけないで。あなたがさっきまで話していた男、黒金の獅子団の構成員でしょ?」
「ああ……」
黒金の獅子団。最近住人や冒険者たちの悩みの種となっている、中級冒険者パーティー。法外な依頼料を要求したり一部の依頼を独占したりと、迷惑行為は止まるところを知らない。
「あの人は、ただの闇市の商人ですよ」
「そう。一月前までは、ね」
勇者は、僕の言葉に被せるように答える。
「黒金の獅子団の拠点の一つだった酒場から、あの男のものと思われる覚書が見つかった。その名簿に載っている人物の中で、身元を特定できたのはあなただけ。鏡の森の魔法使い……仮面のガキって、あなたのことよね?」
僕はその真っ黒な仮面をつけ直し、お気に入りの深緑色のパーカーのフードを深く被った。意図せずとは言え、また同世代からガキ呼ばわりされることになるとは。
「……つまり最初から、僕のことは容疑者の一人として接触してたんですね。道理で、僕が勇者様のパーティーに選ばれるなんておかしいと思ったんですよ。全ては……演技だったんですね」
勇者はその言葉に一瞬顔をしかめたが、やがて平静を装って答えた。
「全部が全部嘘ってわけじゃない……。騙して悪いとは思ってた。でも、町の人たちが安心して暮らせるようにするのも、勇者の務めだから」
彼女が姿勢を低くし、ローブの下で剣の柄に手をかけたのがわかった。
「あなたの容疑は二つ。一つ目は、黒金の獅子団と繋がっていたこと。そして二つ目は、女の子が寝泊まりしている部屋を、特定したこと」
勇者はそう言いながら、じりじりとこちらに詰め寄ってくる。僕はそれに合わせて、一歩ずつ後退する。
「一応一つずつ言っておきますが、まずさっきの商人とは、月に一度会うか会わないかの付き合いです。彼が最近黒金の獅子団の仲間になったことは、本当に知りませんでした。それから……二つ目の容疑ですが」
僕の言葉を受け、勇者の眉間の皺が深くなる。
「聞けば素直に教えて頂けたのでしょうか? 勇者様の、寝床の場所」
「それは……まだ無理ね」
勇者が、僕の言葉をバッサリと切り捨てる。
「そうでしょう。昨日会ったばかりの男に、そう易々と教えて良いものではない。勇者とて……寝込みを襲われれば一溜まりもないでしょう?」
僕がそう煽ると、勇者の眼光が鋭くなる。
「そして、それをできるようになった人間が、今私の目の前にいる。そういうことよね?」
勇者の纏う雰囲気が変わる。僕は再度、腰元の杖を握りしめた。
「……ようやく、勇者様の本気が見られるのですか? 本物の聖剣で斬られたことは僕もありませんから、楽しみです」
「そうしたいけど……できないでしょうね。ラノ君は、私が手も足も出なかった魔物を倒してくれたみたいだし」
「それでもやらないといけないのでしょう? それに……やってみないとわかりませんよ」
彼女の目が、一瞬だけ冷たく光る。次の瞬間、彼女の右手がローブの裾から覗いたかと思うと、真っ白なローブはすでに宙を舞っていた。
「やってやろうじゃない……!」
彼女の剣が、僕の胸元を狙って突き出される。僕は即座に杖でそれを受け止めた。金属同士がぶつかったような甲高い音が、辺りに響いた。
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