06 迷宮魔災・ダンジョンクエイク

 聖都エル・オロヴェはダンジョンの上に築かれた都市である。

 都市の周囲をぐるりと囲む城郭じょうかくの内側に、ダンジョンに潜るための入口があり、毎日数百人にも及ぶ冒険者がダンジョンを出入りしている、冒険者の都としての一面も持ち合わせている。

 魔物の心臓である魔石は、人類が文明人として生きるための貴重なエネルギー資源であり、今日も冒険者達は己の食い扶持を稼ぐため、ダンジョンの奥へと潜っていくのであった。


 ――が。


 魔物を討伐し、素材や魔石を換金する以外の目的で、ダンジョンを訪れる者もまた存在している。

 ダンジョンは危険に満ち溢れている。

 故に――犯罪の温床としても悪用され続けていた。


 殺人、窃盗、死体遺棄、魔薬エル・カバブロの密売などは、その最たる例である。

 かくいう俺も、ダンジョンで行った殺生の対象は魔物よりも人間の方が多いと自負している。

 先日俺が殺したシグフリードがそうであったように、冒険者は危険が伴う仕事故荒くれ者が多く、それだけ恨みを買いやすい。

 冒険者殺しを依頼するために殺し屋シカリオの元を訪れる市民は後を立たないのである。


 ダンジョンで人が死のうとそれは魔物の仕業であるか人の仕業であるかを判別することは難しく、検分しようにも、気付いた頃には死体は既に魔物の腹の中という寸法だ。

 罪を魔物に擦り付ける人間の醜悪さは、魔物の狡猾さを遥かに上回る。


 犯罪を取り締まる《教会イグレシア》の目も、広大過ぎるダンジョンの全域に監視網を届かせるのは不可能であり、現在俺がダンジョンに潜っている理由もまた――同様であった。



***



 ――カツカツカツ。



 ブーツの靴底が、石畳の地面を叩く音だけが響く。


 現在地――ダンジョン7層。

 壁には等間隔に魔光石が設置され十分すぎる明かりが回廊を照らしている。


 現在人類が到達している階層が60層であることを踏まえればかなりの浅瀬。

 しかし上層へ戻る登り階段にも、下層へ進む降り階段とも離れた場所であり、既に開拓され尽くした上層階の僻地をあえて探索する冒険者は滅多にいないだろう。

 後ろめたいことをするならうってつけの場所である。


 そこで俺はターゲットである小聖女を殺し、教会イグレシアへ引き渡す。


「…………」


 俺は今まで悪人のみならず、善人もガキも老人も関係なく殺してきた。

 故に抵抗はない。

 罪を重ね続けた俺が月国てんごくの門を潜れるとは微塵も思っておらず、バチ当たりな聖職者殺しにも躊躇はない。


「んと……小聖女の引き渡し地点はどこだっけな」


 革のコートの内ポケットに入れた、ダンジョンの地図を広げる。

 ホセの記した地図を頼りに、小聖女の引き渡し場所へ向かう。


「次の丁字路は右――」


『ギャウッッ!!』


 地図に目を落としている俺目掛け、突き当りの角からゴブリンが襲来する!

 しかし――


 ――斬!


『ギャウッッ!?!?』


「殺気漏れ漏れだ――阿呆め」


 ゴブリンの奇襲は、俺の振りかざした得物によって失敗に終わる。

 空中でゴブリンの胴部に刃を叩きこめば、体重の軽いゴブリンはそのまま吹き飛ばされ、ベチャリと音を立てながら地面に墜落する。


『ギ……ギャア……ッ!』


 俺の得物は鉈とノコギリを組み合わせたような鋸鉈のこなたであり、打撃力はあっても斬撃力は低いナマクラだ。

 クリーンヒットしたとしても、絶命には至らない。

 ゴブリンは肉を斬られて骨を砕かれたがまだ息があり、地を這いながら逃走を始めた。


『ゴ……ゴギャ……ッ』


 しかし――赤と緑を混ぜたような色の血痕を50センチ程地面に擦り付けた辺りで、刃物に塗りこまれた毒が全身を巡り絶命する。


「ま、ウォーミングアップには丁度いいか」


 ゴブリンの死体を一瞥し、再び歩を進めようとした――――その瞬間。



 ――グラグラグラグラッッ!!



「ッ!?!?」


 突如――物凄い勢いで地面が振動し始める!

 とてもじゃないが立っていられない程の振動であり、膝を付く。


 起こった異変は振動だけではない。

 壁が、天井が、そして床までもが、熱で溶ける飴細工のようにドロドロに崩壊していくではないか。


 まるで幻覚剤を打たれた際の症状のような……いいや違う。

 これは幻覚などではなく、文字通り、物理的にダンジョンが崩落している!


 ギシギシ、バキバキと――倒壊するダンジョンの悲鳴が四方から響き、柔くなった床に足首が沈む。

 このままでは底なし沼のように、全身が飲み込まれるのも時間の問題だ。


「この現象……迷宮魔災ダンジョンクエイクか……!?」


 ダンジョンは約10年に1度のペースで、迷宮魔災ダンジョンクエイクという現象を起こす。

 構築されたダンジョンが崩壊し、再構築する現象だ。


「よりにもよって今日このタイミングかよ……!」


 日頃の行いがよほど悪かったのであろう。

 ダンジョンという巨大な魔物の胃袋に消化されるように、ついに俺の全身はダンジョンに沈み込み、意識は忘却の彼方へと飲み込まれていくのであった――――



***



「ぐぅ……迷宮魔災ダンジョンクエイクが収まった……のか?」


 三半規管がぐちゃぐちゃに狂わされたかのような気分の悪さを感じながら、意識を取り戻した俺は上体を起こす。

 迷宮魔災ダンジョンクエイクが終了し、ダンジョンが再構築されたのだ。


 ダンジョンの構造、魔物の分布、上下層へ移動する階段の位置――全てがシャッフルされた。

 こうなっては用意した地図もただの紙切れに過ぎない。


 つまり、ここが何層なのかも分からない訳で。

 地上すぐそばの一桁層かもしれないし、最深部かもしれない。

 もはや仕事どころではないし、それは先方である《教会イグレシア》も同様であろう。


 周囲を見渡す。

 崩落前と同じ、石畳の床、壁、天井、等間隔に並んだ魔光石。

 崩落前は横幅5メートル程の回廊を歩いていたが、今は広々とした玄室の中にいるようだ。


「武器は……あるな……」


 迷宮魔災ダンジョンクエイクに巻き込まれても手放すことのなかった得物は、未だ俺の右手に握られており、破損していないのを確認してから立ち上がった。


「とにかく地上へ戻るための登り階段を見つけなくては……」


『グルルルル』



 ――ゾワリ。



 玄室の奥から唸り声が聞こえると同時に――背筋が粟立つ。

 長い間捕食される側であった歴史を持つ人間の本能が引き出され、圧倒的強者が放つ殺気によって呼び起される根源的な恐怖。


「最悪だ……」


 玄室の奥から――殺気の正体が姿を見せる。


『グルルルル……ッ!!』


 身長は5メートル程、全長は10メートル強にも及ぶ、巨大な狼型の魔物。

 奴も迷宮魔災ダンジョンクエイクに巻き込まれ、安住の住処を蹂躙され気が立っているのか、湧き上がる鬱憤を発散すべく、目の前にいる俺に猛烈な敵意を放っている。


 巨大な口から覗く牙は、俺の得物がオモチャに見えてくる程の大きさを鋭さを持ち合わせ、そこから垂れる粘度のある唾液は地面に垂れると同時にジュウウウウッ――と音を立てながら融解させていく。


「(体液に強力な毒を持つ、巨大な狼型の魔物)」


 薬物研究の一環で魔物の生態にも詳しい御主人様ホセから聞かされたことがある。

 現在判明している、最も強い毒性を持つ討伐手配ネームド魔物。

 本来なら下層も下層の58層を住処にしているはずのそいつの名は――



「《毒王》ベラドンナ」



『ガウッッ!!』


 ――ベラドンナが吠える。

 迷宮魔災ダンジョンクエイクで害された気分を晴らすように。


 それが、戦いの火蓋を切る合図となる。

 触れたもの全てを例外なく溶かす猛毒の唾液を撒き散らしながら、強靭な脚が大地を蹴り上げ――俺の身へ降りかかる!


「ウォーミングアップには過酷すぎるだろうが……!」



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【あとがき】

今回のAIイラストはロボの前に立ちふさがる《毒王》ベラドンナです。


https://kakuyomu.jp/users/nasubi163183/news/16818093086986828621


【読まなくても問題ない世界観設定(本当に読まなくても支障ないです)】

迷宮魔災ダンジョンクエイクについて。


 約10年スパンで発生するダンジョン災害。

 ダンジョンが崩壊し、全く新しい構造に作り替わる現象。

 ダンジョン内にいる人間や魔物は、例外なく巻き込まれるものの、それによって命を落とすことはない。

 けれども、再構築後のダンジョンでは、以前まで使われていた地図は全く役に立たず、多くの冒険者が遭難して死亡することになる。

 ダンジョンの上にある地上には全く影響はない。


 一説にはダンジョンはそれ自体が巨大な生命体であり、魔石を動力源にして魔物を生み出し、エネルギー資源として優れている魔石目当てにやってきた人間の死体を栄養にしている説が有力。

 故に開拓され、内情が詳らかになってしまったダンジョンでは、効率的に人間を殺すことが出来ず、定期的に内部構造を作り変えているのだと推測される。

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