異世界ラーメン 「醤油豚骨・田中」
百々嗣朗
序章
エルタニアは、この世界、つまりエルタロッテにおいて最大の工業都市だ。
人口は約七百万。
主な輸出品は魔法仕掛けの機械で、実に驚くほど多様な種族がその製造に従事している。
例えばエルフ族にドワーフ族。トロール族や龍人族。あとは小人族と、そこから派生した無数のゴブリン族──
彼らにはそれぞれ自分の得意分野があって、例えば精巧に機械を組み立てるだとか、小さい身体を生かして整備するとか、あるいはその機械に魔法の命を吹き込んだりする。
とはいえ、どんな世界にも差別や偏見があるように、彼らの多くは互いを軽視し合っていて、街のあちこちでイザコザは日常茶飯事なんだが、ただ一つだけ共通している事がある。
それはみな、平等に腹が減る、ということ。
それだから、俺のような大衆的な飲食店にも需要があるという訳なんだ。
ちなみに、俺の名前は
エルタロッテでただ唯一のホモ・サピエンス。
そして、ただ唯一、本場地球仕込みのラーメン屋をやっている人間だ。
俺の店、「醤油豚骨・田中」は、エルタロッテ時間の「火竜・七刻」、つまり地球のグリニッジ標準時の午前十一時に開店する。
ありがたい事に、大概その三十分前には、店の外に長蛇の列。
開店と同時に、客がなだれ込んでくる。嬉しい悲鳴だ。
店内は、カウンターのみで座敷は無し。最大人数は十席で、それとは別に待合用の椅子が五脚だけ。そこに、様々な種族の連中が喧嘩もせずに並んでくれる。
というのは、ウチは「喧嘩したら完全出禁」。
二度と、入店はお断りだ。
厳しいルールと思うかも知れないが、それほどまでにエルタニアの連中は喧嘩っ早い。このルールを決めて以来、客たちはここを「口うるさい頑固主人の店」と思っているらしいが、そのくらい地球の、そして日本の常識は通用しない。
さて、席に座った客たちが次にすることは、地球だったら厨房への注文だ。
けれど、ここでは魔法の契約をする。
間仕切りされたカウンターの一つ一つに、それぞれ魔法陣が描かれていて、客がそれと個別に食べたいメニューを契約するんだ。
するとその注文が厨房の俺に届き、拘束力を持った契約が作るべきものを教えてくれる。
ここまで聞くと、何だか調理の工程まで、すべて魔法でやっていると思うだろう?
まあ、確かに調理器具の一部は魔法なんだが、それ以外は地球とあまり変わらないんだ。
試しに、ウチで一番人気のメニュー「田中チャーシュー麺」の調理工程を例に見てみよう。
① 魔法でほどよく温まったラーメン鉢に、まずは特製の醤油タレを柄杓で垂らす
② 魔女の大鍋にかけたザルで、麺を茹で始める
(魔女の大鍋は常に沸騰状態を保つ便利な鍋。茹で時間は二分で、タイマーは魔法が知らせてくれる)
③ 茹でている間、麺を箸で適宜かき混ぜる
④ 麺の茹であがりを見ながら、ラーメン鉢に特製油を入れる(油は魔女の大鍋の近くに置き、熱で凝固を防ぐ)
⑤ 劣化を防ぐ魔法がかかった寸胴鍋から、豚骨ベースのスープをすくい、ラーメン鉢へ
(スープは長時間煮ると変質しやすいので魔法が必須)
⑥ 二分経過後、麺を湯切りし、ラーメン鉢へ
⑦ チャーシューを十枚、ネギ、メンマを載せる
(実をいうとネギ、メンマは元々この世界には存在しない。もっと言えば、麺やスープだって元々無かった。ただ、どうやって再現したかは、長くなるので別の機会としたい)
この一連の動作が完了の合図となり、ラーメンは瞬時に空間転送され、お客の前に提供される。ちなみに、代金の支払いは、この空間転送をもってお客の財布から適正な金額が消え、俺のレジスターに転送される仕組みである。(都合上レジスターと言ったが、実際には木でできた宝箱の中、だ)
店を始めた当初、アルバイトを雇って注文を取らせていたが、実に無駄が多く、またトラブルの温床でもあった。無銭飲食をやられた回数は、それこそ両手・両足の指の数じゃきかないほどだ。この魔法注文・決済システムは、俺が考え、ギルドの魔術師に発注したものだが、お陰でかなり助かっている。
時刻が「巨人・九刻」、つまり午後一時を回ると、用意しておいた二百食のラーメンはだいたい売り切れとなり、「幻魔・十刻」の閉店時間を待たずに早仕舞いとなる。
これが午前の営業で、後は夜からだ。
「マスター、今日もごちそうさん!」
そんなドワーフ族の常連客の嬉しい言葉を最後に、店の中がすっかり空っぽになると、俺は店先の看板を「準備中」に替え、入口の扉にもきっちり鍵をする。
エルタニアは栄えているとはいえ、決して治安が良くないし、「とにかく何か食わせろ!」と飛び込んで来る客を防ぐ意味もある。
俺は椅子に腰かけ、ほんのしばらく、ぼーっとする。
経験のない人には解らないかも知れないが、飲食業の営業時間とは、さながら戦争だ。
別に客を敵だと思っている訳じゃない。
ある時間内に濃密な集中を必要とする事が、何か戦場を駆ける兵士のように感じる──くらいのニュアンスだ。
もっとも、地球生まれの、それも平和な日本育ちのこの俺に、実際の戦争経験なんか無い訳だし、ここエルタロッテでは大規模な国家間戦争こそないものの、種族間紛争は頻発しているから、この例えはちょっと不謹慎かも知れない。
まあ、なんにせよ、この「ぼーっとタイム」は、俺にとって必要な儀式という事だ。
──カラン。
オーク族の常連客に頼んで取り付けてもらった、銅製のドア・チャイムが鳴った。
「いらっしゃいませ」
俺はいつもの職業病で反射的にそう言ったが、すぐに扉は閉めたのだったと思い出した。
「──お久しぶりですね、タナカさん。その後、お変わりはありませんか?」
立っていたのは真っ黒なローブをまとった人物。
体格と声から男だろうと思われるが、頭まですっぽりローブを被っているので、顔が見えない。
「──あんた、どうやって入った?」 俺は言った。「強盗か? それともギルドの暗殺者か?」
「いいえ」と男。「私たちは以前ちゃんと出会っていますよ。そのとき、私はこう申し上げましたよね? 然るべきときに頂戴に参ります、と──」
「ま、まさか!」俺は、その聞き覚えのあるセリフに驚いた。「──それじゃあ、あんた──ジグラフトか?」
「懐かしい名前です」ローブから覗く男の口元が微笑した。
「確かに以前はそう名乗っていた事もありますが、今は違っております。とはいえ、そちらの方が貴方にとって馴染み深いというのなら、ジグラフトで一向構いません──」
ジグラフトと名乗った男は、顔のローブに指をかけ、後頭部へ向かってゆっくりずらした。
現れた顔は、俺が出会ったときのものではなかった。
あのときのジグラフトは、七十歳とも、八十歳とも思えるような老人だった。
今、目の前にいるのは二十代前半にしか見えない青年だ。
しかも、単に若返ったというのではない。種族そのものが、完全に変わってしまっているように見えた。
ジグラフトは口元に氷のような微笑を浮かべていた。
眼が、恐ろしいほどに不気味だ。
エルタロッテに来て長い俺は、いわゆるファンタジーに登場する怪物は一通り見た。
ドラゴンとかケルベロス、サイクロプス──みたいな奴だ。そういう怪物は決まってヤバい眼をしている。どこまでも底知れない、深い闇を湛えた眼──
俺は背中に激しい寒気を感じた。
ジグラフトはまるで空気をこねるように両の手の平をくるくる回すと、やがて大きく腕を広げ、
「──さあ、タナカさん。それでは拘束力を持った厳正なる魔法の契約に従い、きっちりと、耳をそろえて支払って頂きましょうか──」と言った。
俺とジグラフトの関係──
それは今俺が経営している、「醤油豚骨 田中」と深い関わりがある。
具体的にいえば、異世界人である俺が、どうやってエルタロッテで店を持ち、開店させ、繁盛店にできたかに関わってくる。
だから、少し長くなるかも知れないが、まずは全ての始まりまで遡って、語ってみたいと思う。
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