第40話

 勇壮な音楽とともに流れるエンドロールを眺めつつ、満足の息を吐く。

 夢中になって、三時間ほどラストまで観てしまった。

「やっぱり愛する人と一緒にいたほうが幸せですもんね」

「そうだな。このラストで安心したよ」

 すっかり紅茶を飲み干してしまった。ポテトチップスの袋は、とうに空になっている。

 紗英はふたり分のマグカップを手にすると、腰を上げようとした。

「新しい紅茶、淹れてきますね」

 ところが、悠司がしっかりと肩を抱いているので立ち上がれない。

 首をかしげたとき、悠司から熱を帯びた視線を向けられる。

「今夜、泊まっていくだろ?」

 その問いに、はっとして窓の外を見ると、すでに夕闇が迫っていた。

 どうしよう。まさか泊まることになるなんて、考えていなかった。

「あ……でも、泊まるための用意をしてないので……」

「新品のバスタオルとバスローブとハブラシは用意してある。ほかになにか必要なものがあれば、コンビニに買いに行こう」

 優しく逃げ道をふさがれてしまい、戸惑いとともに喜びが込み上げる。

 今夜はずっと、悠司さんと一緒にいられるんだ……。

 それじゃあ、もしかしてセックスも……?

 想像すると、かぁっと頬が赤くなってしまう。

 紗英はうつむきながらも、小さく口にした。

「……それじゃあ、メイク落としとか化粧水を、買いに行きたいです」

「わかった。それから、夕食のおかずも買おう。それと、コンドームも必要だな」

「や、やだ。悠司さんったら……!」

 にやりと笑んだ悠司は、両腕で紗英を抱きしめる。

 優しい彼の腕に囚われて、とくんと胸の奥が甘く疼いた。

「紗英は、したくないの?」

「……言わないとダメですか?」

「うん。きみの口から聞きたいな」

 腕の檻に捕らえた紗英に、悠司はこつんと額を合わせる。

 彼の目を見ながら、紗英はぼそぼそと呟いた。

「……したい、です」

「俺も。きみと、セックスしたいな」

 悠司がはっきりと告げるので、なんだか体がうずうずしてしまう。

 恥ずかしくて、つい目線を下げると、彼はチュッと唇を奪った。

「んっ……」

「このまま抱いてしまいそうだな……」

「そ、それはちょっと。先にコンビニに行きましょう」

「そうだね。暗くならないうちに行こうか」

 ようやく腕の檻から解放された紗英は、ローテーブルのマグカップと空の袋を片付けて、身支度を整えた。とはいえ近くのコンビニへ行くだけなので軽装だ。ジャケットを羽織り、スマホと財布、それにたたんだエコバッグをポケットに入れる。

 悠司もリモコンを操作して画面を消すと、ブルゾンを羽織る。

「それじゃあ、行こうか」

「はい」

 マンションを出ると、空には大粒の星が輝き始めていた。

 夜風が少し肌寒いな……と紗英が思ったとき、きゅっと手が握られる。

 紗英の手を引き寄せた悠司は、歩道側を歩かせた。

「危ないから、俺から離れるんじゃないぞ」

「大丈夫ですよ。転んだりしませんから」

「きみを守りたいんだ」

 さりげなく言われた言葉が、紗英の胸にじいんと響いた。

 紗英はそっと悠司の腕に寄り添う。

 今日一日で、たくさんのことを悠司に甘えたと思う。

 それは料理や後片付けを手伝ってもらったり、彼が紅茶を淹れてくれたり、映画を観ていて彼の肩にもたれたり。

 小さなことだけれど、それが甘えるという形なのだと紗英は気づいた。

 依存ではない。自立した大人が恋人に甘えるということなのだ。

 それに気づかせてくれたのは、悠司の優しさのおかげだった。

 勝負はもう、紗英の負けかもしれない。

 でもここでそんなことを持ち出すのも野暮だろうし、もし勝負の結果で、悠司との関係が破綻したらと思うと、言い出せなかった。

 まるで薄氷の上を歩くような恋心かもしれない。

 だけど紗英は、悠司との幸せな時間を大切にしたかった。

 やがてふたりはコンビニに辿り着く。

 薄闇の中に浮かぶコンビニの明かりは、行き場のない蛾のよすがのように儚く見えた。

 店内に入ると、紗英は日用品のコーナーへ足を運ぶ。

 メイク落としや化粧水の一日分がセットになっているパッケージを手に取る。

 カゴを持った悠司は近くの棚へ行くと、すぐに紗英のもとへやってきた。

「それだね。カゴに入れて」

 彼が差し出したカゴの中には、すでにコンドームの箱が入っていた。

 顔を赤くした紗英は、そっとコンドームの上に化粧水のパッケージを置いて隠す。

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