第36話

 カゴを抱えた悠司は、さっそくタマネギとじゃがいもを手にする。

「調味料はいろいろそろえてあるんだ。だからあとは牛肉だけかな」

「ニンジンと、インゲンも入れていいですか?」

「もちろん、いいよ。俺は好き嫌いはないから。欲しいものあったらなんでも買っていいよ」

 ふたりで牛こま肉のパックを、あれがいい、こっちにしようと相談して選ぶ。

 レジに向かう途中、悠司はポテトチップスを一袋カゴに入れた。

「コンソメ味でいい?」

「いいですよ。悠司さんもお菓子を食べるんですね」

「俺だって、ぼーっとテレビ見ながらポテチを食べたりするぞ。仕事だけしてるマシーンじゃないんだから」

「意外です。悠司さんの、ぼーっとしてる顔も見てみたいかも」

「なんか恥ずかしいな。いいけど」

 あはは、とふたりは笑い声を上げた。

 紗英の頭には、悠司がクズ男かも……という想像が浮かばなかった。

 ただ、悠司というひとりの男性を見ていられた。

 レジで清算したあとは、エコバッグに商品を詰め込む。

「重いから、俺が持つから」

「ありがとうございます。あの、さっきのお会計のお金……」

 紗英が半分を渡そうとすると、悠司に制される。

「いいから。俺は、きみに払わせるようなダサい男じゃないよ」

「……わかりました」

 紗英は財布に札をしまった。

 そこには悠司の描いた馬の絵をたたんだ紙が入っている。まるで紗英の財布を守る神様のように思えた。

 もう今までとは違うのだ。悠司には彼なりのやり方がある。そしてそれは、とても好ましいものだった。

 幸い、曇天から雨粒は降ってこなかった。

 帰り道もふたりは手をつないだ。

「よかったですね。雨が降らなくて」

「そうだね。俺、晴れ男だから」

 またひとつ、悠司の特徴を発見して、紗英は嬉しくなる。

 ふたりはマンションに戻ると、さっそくダイニングテーブルに購入した商品を広げる。

 紗英は持参してきたエプロンをつけた。

「キッチンを使わせていただきますね」

「もちろん、どうぞ。俺も手伝うよ」

「ええと……まずは、じゃがいもとニンジン、タマネギの皮を剥いて……」

 システムキッチンの収納を開けると、鍋やまな板、包丁などの調理道具が一通りそろっていた。

「ピーラーは……あ、あった。ホントにいろいろあるんですね」

「念のため言っておくけど、元カノに料理を作らせてたとか、そういうことじゃないからな。ひとり暮らしを始めたときは自炊する気で、あれもこれもとそろえたんだよ」

「ふふ。疑ってませんから」

 言い訳する悠司がなんだか可愛らしく見えた。

 紗英は本当の恋人じゃないのだから、嫉妬なんてするはずないのに。

 でも、ちょっとだけ気になるかも……。

 過去は誰もいなくても、未来もそうとは限らない。

 イケメン御曹司で優しくて、こんなに素敵なマンションに暮らす悠司の恋人になる女性は、きっと美人で可愛くて、お金持ちのお嬢様に違いない。

 一介の会社員である紗英なんて、彼に釣り合わない。

 それは理解していた。

 だからこその仮の恋人だということも。

 でも、今だけは夢を見ていたい。

 彼のマンションで料理を作って、一緒に食事をして、恋人気分を味わってみたい。

 今だけは……。

 そう思っていると、牛肉を冷蔵庫にしまっていた悠司は、ふと呟いた。

「なんだか俺たち、新婚みたいだな」

「……えっ? し、新婚、ですか……」

「紗英のエプロン姿、可愛いよ。新妻みたいだな」

「悠司さんたら……」

 紗英の頬が朱を刷いたように染まる。

 新婚だなんて、今まで紗英が思いもしなかった言葉だった。ふわふわしていて、幸せに満ちた響きだった。

 悠司といると、たくさんの幸せに出会えるような気がした。

「俺はなにをしたらいいかな。じゃがいもの皮むきくらいなら、できそうだけど」

「じゃあ、お願いします」

 彼にじゃがいもとピーラーを預ける。ついでに、ニンジンもお願いしよう。

 紗英はタマネギをまな板にのせて、包丁で茎と上部をカットする。それから縦半分に切り、飴色の皮を剥いた。

 キッチンが広いので、ふたりで並んで作業しても、まだゆとりがある。

 真剣な表情をしてピーラーでじゃがいもの皮むきをしている悠司を、紗英はほっこりした気持ちで見ていられた。

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