第3話
顧客の案件で起こったトラブル処理や、地方に新規オープンする予定の施設への問い合わせの電話対応などに追われた。
担当として抱えている顧客への対応に加えて、新規客の担当も割り振られるので、契約と入居がスムーズに進まないと案件を大量に抱えてしまうことになる。さらに新規オープンの施設があると、それに対する問い合わせも増加するので、昼休みもそこそこに、一日中来客や電話への対応をしている日もある。
そんなとき、電話の合間に紗英がパソコンで顧客名簿をチェックしていると、課長のデスクから女性の猫撫で声が響いてきた。
「桐島課長、ちょっとわからないところがあるので教えてほしいんですけどぉ」
同期の
彼女も悠司を狙っている女性社員のひとりである。
紗英は混ざらないが、給湯室の女性社員たちとの会話で「桐島課長と付き合うのは私よ!」と高らかに宣言していたのを耳にしたことがある。男性の前では控えめな態度なのだが、中身はかなりの自信家らしい。
もっとも木村ほどの美人なら、男性だったら誰でも彼女にしたいと思うだろう。
すらりとしたスタイルで肌が白く、ロングの髪はさらさら。整った顔立ちは洗練されている印象を受ける。連れて歩いたら自慢できる彼女という感じだ。
なにもかも平均的で美人でもなく、甘えることも知らない紗英とは違う。
きっと悠司も快く木村に対応するに違いない。
私のときみたいに、少しだけ肌に触れたりとかするのかな……?
そう思うと、ふいにマウスを握る手に力がこもった。
黒い澱が溜まったかのように、胸が痞える。
手で胸を押さえて、こっそり呼吸を整えていると、悠司の厳しい声音が聞こえた。
「木村さん。この契約書の件は以前も説明したはずだ。メモは取っていないのか」
「そうなんですぅ。忘れたので、もう一度説明してください」
嘆息を零した悠司は、眉根を寄せて書類を返した。
「一度聞いてもわからないのなら、俺ではなく、チームリーダーに確認したまえ。それが筋というものだ」
それきり木村を見ようともせず、悠司はパソコンに向かった。
唇を尖らせた木村は不服そうに書類を握りしめてデスクに戻る。
目の端でその様子を見ていた紗英は、なぜか安堵した。
もし彼が鼻の下を伸ばしつつ木村に丁寧に説明して、あげくボディタッチをしていたなら、ひどく落胆しただろう。
な、なんで私、安心してるの……?
悠司が誰にどういった対応をしようが、紗英に関係ないはずなのに。
いつもは紳士的な悠司だが、仕事には厳しい一面がある。彼の態度は適切なものだ。
そういえば彼は木村に限らず、ほかの社員に対しては距離を置いている。近づいてきて意地悪な接触や質問をするのは、紗英にだけだ。
まさか、私に気があるとか……?
そんなわけはない。
紗英はかぶりを振った。
美人でも可愛くもない凡庸な自分が、悠司のようなイケメンの御曹司に惚れられるなんて奇跡があるわけないのだ。
しかも、クズ男に浮気されてフラれたばかりの惨めな女である。
紗英は雑念を振りきると、デスクに鳴り響いた電話の受話器を取った。
とびきりの美声でお客様に対応する。
「はい、お電話ありがとうございます。株式会社ベストシニアライフでございます」
施設への入居を考えているという、ひとり暮らしの高齢者からの電話だった。
独居老人は寂しい人が多いので、話が長くなりがちであるが、紗英は懇切丁寧に聞き取りを行っている。メモを取りながら、親しい友人のような雰囲気で話を聞いた。
「そうなんですか。おひとりなのに風邪を引いたら、すごく心細くなりますよね。私もひとり暮らしなので、よくわかります。――はいはい、息子さんが近くにお住まいなんですね。それで――」
電話相談の末、パンフレットを送付するために住所と名前を聞くことはできたが、今は体が動くので、すぐに入居したいという状態ではないことがわかった。
電話を終えた紗英は顧客情報をパソコンに打ち込む。
こういった将来への漠然とした不安から介護施設の会社へ相談する人は少なくない。
結局は契約に結びつかないことも多いのだが、どこで縁がつながるかわからないので、紗英は暇つぶしのような電話にも丁寧に付き合っている。
お客様は終の棲家として、介護施設を考慮に入れているので、親身になって話を聞くのは当然のことだ。
パソコンを眺めていた紗英は独りごちた。
「そういえば、この方もひとり暮らしで足が悪いって言ってたけど、どうなったのかな……。近況を聞いてみよう」
再び受話器を取って番号をプッシュする紗英を、少し離れた課長のデスクから、目を細めた悠司が見守っていた。
やがて終業時刻になり、社員は次々に退勤していく。
今日も忙しかったが、残業をするほどではないのが幸いだ。男性社員たちは飲みに行く相談をしていた。本日は金曜日なので、社員たちの顔は明るい。
それに反して、紗英の気分は下降していた。
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