第18話【青時雨と、従姉妹】
先週の半ば頃から気持ちが沈むような嫌な空模様が続き、ついに週明けの今日には目が覚めると雨が降っていた。
夏の雨というのはちっとも涼しくならず、ただいたずらに湿度だけを上昇させ、昔自転車で転んだ時に骨折した左腕の古傷を容赦なく痛めつける。
寝起きから気分も身体も最悪な状態で、気合を入れようと仕事前にコーヒーを飲んでもまったくスッキリしない。こんな状態がもう数日間続いている。
――
真由ちゃんからもたらされた情報によれば、あの夜、真中家を出た勇人君はバスに乗り、その足でひとりこの地区の警察署に出頭したらしい。
そこで俺は彼女の口から勇人君が闇バイトに加わってしまった経緯を知った。
彼は両親の一方的な都合で祖父母である辰己のおばあちゃんの家に預けられていたが、5年前に他界。そんなこともあって両親とはあまり仲が良くなかったらしい。彼は家にいるのも苦痛で仕方なく、そんな実家を一刻も早く出たくて高校を卒業後、すぐ一人暮らしを開始できるようアルバイトを探していた。
そう、応募したのが運悪く闇バイトだった
のだ。
抜ければ殺すと脅され、どうにもならなくなっての犯行と聞き、正直内心は少しほっとしてしまった。
しかし彼は留守だったとはいえ、真由ちゃんの家に同じ闇バイト仲間たちと一緒に泥棒に入ってしまっている。
人に危害を与えてないにしても、その時点で彼にはもう助かる選択肢は残されていない。
彼の情報提供のおかげもあってか、こっちにも来ていた例の上条だか相川なる人物を含めた実行犯たちも逮捕され、ひとまずは安心した。なのにこの後味の悪さ......単に彼が顔を知っているだけの人物だったらこうはならなかった。
「やっぱり恵理那にも言ったほうがいい気がする」
俺の部屋にやってきた初奈は、窓から雨脚が強まる様子を見ながらそうこぼした。
彼女もこの家が闇バイトに狙われていたこと、そして実行犯グループの中に勇人君がいたことを知り酷くショックを受けていたが、その辺はやはりいい大人だ。恵理那の前では努めて平静を
「......言えるわけないだろ」
「黙っててもそのうち恵理那の耳に入っちゃうよ。拓ちゃんが思ってる以上に、田舎は情報が広がるの早いんだから」
「前にも言ったけど、その時は俺から恵理那に言うなって口止めされてたって答えてくれ」
「考えは変わらないんだね......分かった。でもこれだけは言わせて」
「なんだ」
初奈はレースのカーテンの上から窓に寄りかかると、いつになく真剣な顔で感情を口に出した。
「過保護と優しさは違うよ。いつかそれが絶対拓ちゃん自身を苦しめることになると思う」
「忠告か」
「ううん。警告、かな」
頭を横に振り、初奈がハッキリと言った。
「これ以上言っても効果ないみたいだから、この話はこれでもうおしまいね。人のことを第一に考えるのは拓ちゃんの長所でもあるけど、短所でもあるの忘れてた」
「いろいろと迷惑かけて悪いな」
「なに言ってるの。感謝するのはこっちだよ。拓ちゃんは私と恵理那だけじゃない、真中家を闇バイトの強盗を未然に防いでくれた命の恩人と言っていい人なんだから」
ふわりとした笑顔を見せ褒められると、嬉しいやら恥ずかしいやらで胸というか背中がムズ
俺としては恵理那に悲しい思いをさせたくない一心の行動だったので、改めて面と向かって礼を言われて顔に熱が
「んな
「私には少し肌寒いぐらいについてるよ。いくら機械のためだとしても、拓ちゃんが身体壊したら仕方ないんだからね」
今の顔を見られたくなくて、シャツの襟元を掴んで空気を送り込みながら、立ち上がってエアコンのリモコンを探す。細く色白で綺麗な初奈の指先がPCのモニターとキーボードの間にあるそれをちょうど指さし、さらに体感温度が上昇した。
そんな間抜けな俺にクスクスと笑い、初奈は仕事の邪魔をして申し訳なかっただけと言い残し、俺の部屋をあとにした。
ここまで来ると初恋も特級呪物モノだ。
情けなくてゲーミングチェアにドカと勢いよく身体を下ろし、顔を手で抑える。
――俺はやっぱり、まだ初奈のことが女性として好きだ――。
想い人があんなことになってしまった以上、このまま関係を続けてしまって良いのだろうか?
仕事の納期も近いというのに、モチベーションが一向に上がらず。むしろ下がっているようにさえ感じる。ヤバイな。
とりあえず今は目の前の迫る納期に集中しろ、と左右の頬を強めに叩いて気合を注入してみた。下手にコーヒーばかり飲むより肌に直接刺激を与えた方が目覚ましとして有効だ。ただし連発すると一瞬意識が飛ぶので注意が必要であるが。
初奈が部屋から出て行き、作業に戻ってどのくらい時間が経った頃だっただろう。
また部屋の引き戸式の扉がコンコン、と二回ノックされた。
「ん、初奈か。今度はどうしたー」
いつもの控えめな鳴らし方からして、俺はてっきりまた初奈がやって来たものだと勝手に思い込んでいた。
だから扉が開いてもすぐには振り返りもせず、作業を行いながら用件を口にするのを待った。
「......!」
「んッ!?」
PCのモニターに薄っすらと人影が映り、ゲーミングチェアごと振り向いた時にはもう既に遅く。俺の唇は塞がれていた。
初奈だと思った相手の正体は――恵理那だった。
「......んぅ............ハァッ! ......んむぅ......」
数日ぶりに交わした恵理那とのキス。
いつになく
腕を俺の頭の後ろに回しがっちりホールドするものだから、逃れようにも逃れられない。お互いの顔が近すぎて、恵理那の長いまつ毛と俺のまつ毛が幾度なく擦り合う。
「......ぷはぁッ、ちょっとまて恵理那! 今はまず......んぐぅ」
初奈が家にいる時は恋人の勉強はしないというルールを破り、彼女は一心不乱に俺とのキスを味わう。
作業用デスクとゲーミングチェアがぶつかる度にギシギシと動き音を立てる。
逃げようにも座った状態では上手く力も入らず、おまけに恵理那も初奈同様、敦子叔母さんの農作業を手伝っていたこともあり、華奢なくせして何気に腕力がある。何より抵抗の手を緩めてしまうのはその気持ち良さ。このところ付き合いたてのカップルがするような淡いキスしかしていなかったせいか、久しぶりの恵理那との濃厚なキスに、俺の中のまんざらでもない感情が邪魔をした。
ようやく唇を離し、息も絶え絶えで目も
「いい加減にしろ」
立ち上がり、家のどこかにいる初奈に聴こえてしまわないよう、できるだけ音量を抑えて恵理那を振り払った。
その拍子で恵理那は後ろに尻もちをつくかたちで倒れてしまう。
今日は高校の登校日だという彼女の制服はところどころ雨に濡れて透け、開いた両脚の間からは黒い下着が丸見えだった。
「大丈夫か」
「......拓にぃが闇バイトの襲撃から私たちを守ってくれたって本当?」
手を差し伸べようとして、動きが止まる。
「......誰から聞いた? ひょっとして真由ちゃんか?」
「......うん」
おいおい、あのお嬢様は。人があれほど言うなと釘を刺したというのに、なんでこうもあっさりとバラしてくれるかなあ。
「今のは、そのお礼」
「お礼ってお前。その闇バイトの中にあの勇人君がいたんだぞ。ショックじゃないのかよ」
「そりゃあショックだよ。勇人君はここに来てできた最初のお友達だし......でもね、そのこと以上に拓にぃが身体を張って私たちを守ってくれたことのほうが嬉しいの」
......友達、だと?
勇人君は恵理那の想い人ではなかったのか?
俺の腕を掴んで起き上がった恵理那は、再度俺に抱き着き、耳元で呟く。
「恋人の勉強はこれで終わり。これからは私の本当の恋人になってください」
「本当の、恋人?」
「キスやおっぱいを揉むだけじゃない、本当のエッチもする関係に......私となって」
それは恵理那からの愛の告白――そう俺は受け取った。
「できるわけないだろ。俺は恵理那の恋の手助けをしたくて仮の恋人になったんだ。本当の恋人になるのは俺の本意じゃない。第一、俺と恵理那はいとこ同士。いくら四親等で法律上で認めらていても、周りの人間がそれを許すはずが」
「拓にぃ、忘れてない?」
――よせ! それ以上言うな!
俺が止めるより前に、恵理那は顔を上げ、言ってしまった。
ずっと前から心の底で思っていて、絶対口に出してはいけないとしまいこんでいた言葉を。
「私、誰とも血が繋がってないんだよ」
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