第6話 アグネスにそっくりな貴人

 寒風吹きすさぶ冬の日、モーガン男爵家の領地は一面の銀世界となり、冷たい灰色の空が低く垂れこめていた。かつては賑わいを見せていた領地も今や閑散としており、凍りついた大地にはもう一切の活気が感じられない。屋敷の暖炉は冷え切り、薪が尽きて久しい。燃やすものがないため、室内の寒さは外と変わらず、私たちの顔は寒さで青ざめていた。アリスもアルバートも、毛布にくるまって寒さをしのいでいる。


 手がけていた全ての事業は失敗し、資金も底をついていた。信頼していた使用人たちも次々と去っていく。私たちは互いに目を合わせ、沈黙の中で過ぎ去った繁栄の日々を思い返すが、その記憶はますます遠のくばかりだ。


「あのときのお金さえあれば……。今思えば、アグネスの宝石を売ったときの額は、まさに莫大な大金だった。あれほどの財産があれば、無駄な浪費さえしなければ一生困ることなどなかったはずだ。それなのに、私たちは次から次へと無駄遣いを重ねてしまった。……このままでは死ぬだけだ……」

 夫は苦しげに言い、凍える手で暖炉を見つめた。


「え? お姉様の宝石ってなんのこと? アグネスは捨て子だったのでしょう? 可哀想だから拾って育てることにした、ってお母様が言ってたじゃない?」


 アリスが小首を傾げて問いかける。


「そうだよ。アグネス姉様は誰の子供かもわからない、卑しい捨て子だったって母上が言ったんだ。だから、僕たちと少しも似ていないんだって」


 アルバートもアリスに同意した。この子たちに、私たちは嘘を教え込んでいた。なぜなら、この子たちは何度もしつこく、アグネスがなぜ私たちと似ていないのかと問いただしてきたからだ。


「うるさいわね!  世の中には子供が知らなくてもいいことがあるのよ。これは大人の会話なの。黙ってなさい!」


 私は苛立たしげに声を上げ、子供たちの疑問を強引に封じ込めた。罪悪感なんて微塵も感じていない。自分にとって都合の悪いことを隠し通すためなら、どんな嘘でもつくつもりだ。


 アグネスを誘拐したなんて言えないわよ。しかも、アグネスの宝石を自分たちのものにして、借金返済にあてたり、新たに事業を起こしたり、さらには豪遊していたなんて……言えない……言えやしないわ。


 

 とにかく、今の私たちの状況は自分たちの力で変えることは不可能だった。周囲には援助を求める相手も残ってはいない。


「領地を返上し、せめて国を去ることを許してもらうしかないわね……社交界でも巷でも、あることないこと噂されすぎて、この国では外を歩くこともできないもの」

 

 自分たちの手で未来を切り開く力がないと悟った今、ただ一つの願いは、この凍てつく地を離れ、新たな未来をどこかで築くことだった。


 「やはり、ローマムア帝国に移住しましょうよ。あちらはとても治安がよく、気候も穏やかで過ごしやすいと聞くわ」


 三国は互いに接し合い、地続きの国境を形成していた。北には、冬になると厳しい寒さに覆われるフリートウッド王国。南には、温暖な気候に恵まれ、強大な軍事力を誇るローマムア帝国。そして西には、統治が行き届かず、国境すらずさんな管理がされているスペイニ王国が広がっていた。


 


 私たちは国王陛下に謁見を申し込み、願いはすぐに叶った。ここは王宮内の謁見の間である。


「爵位を返上したい?  まあよい。しかし、よりにもよってローマムア帝国へ行きたいだと?」


「はい。心機一転、この国を離れて新しい挑戦をしようかと……」

 夫は務めて前向きな発言を心がけた。


「ほぉ、新たな挑戦か。ならば、この国のために働いてはどうだ?  余は外交問題で頭を抱えておるのだ。もしそなたたちがローマムア帝国の高貴な方に仕えることができれば、その問題も解決するかもしれん」


「高貴な方? それはどのような方でしょうか? 侍女として仕えるのでしょうか? それとも家庭教師としてですか?」

 アリスが国王に尋ねると、国王は目を丸くして大笑いした。


「お前が誰を教育できるというのだ?  噂はすべて耳にしているぞ。こちらでも調べはついている。怠け者で仮病を装うのが得意だそうだな。そんな者を家庭教師に雇う人間はおらん」

 アリスは悔しさに口をゆがませた。


☆彡 ★彡


 どんな仕事に就くのかもわからないまま、王家の騎士たちに連れられ、私たちはローマムア大帝国の宮殿へと到着した。そこは、冷血なことで知られる皇帝が住まう宮殿だった。高くそびえる石の壁や精巧な彫刻が施された門は、重厚な威圧感を放ち、私たちの心に一層の不安を呼び起こした。


 宮殿の門前でローマムア帝国の騎士たちに引き渡されると、私たちは思わず緊張した面持ちで周囲を見回す。氷のように冷たい目をした騎士たちが、無言で私たちを監視していた。彼らの存在感は圧倒的で、私たちは自分たちをまるで小さな虫けらのように感じた。


 やがて、宮殿の奥の宮に案内され控えの間で待っていると、金糸銀糸で飾られた豪奢なドレスを纏った女性が姿を現した。その姿は華麗さを超えて、圧倒的な威厳を醸し出している。彼女の顔には見覚えがある――亡くなったアグネスにそっくりだったのだ。


 ……いいえ、アグネスよりはもっとずっと年上……それでも、その顔立ちには驚くほどの類似性があった。まるで時間を超えて、アグネスがこの場所に戻ってきたかのような錯覚に陥ったのだった。

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