私はいらない子
青空一夏
第1話 私はいらない子?
私はモーガン男爵家のアグネス。私の幸せは妹アリスが生まれる前までだった。アリスが生まれた瞬間から両親の関心はすっかり妹に移る。翌年弟アルバートが生まれると、両親の瞳に私はもう映らない。
「すっかり、アグネスのお誕生日を忘れていたわ。でも、今更よね? それより、アリスが風邪をひいて大変なのよ。アグネスも手伝ってちょうだい」
「はい・・・・・・お母様」
最後にお誕生日会をしてくれたのはいつだったかしら? もう、思い出せないくらい前のことよ。「お誕生日、おめでとう」の声もかけられない私は、使用人達からも軽視されていく。
その2週間後、妹の風邪が私にうつり喘息になった私に、お母様は眉をひそめる。
「アリスのせっかくのお誕生日なのに、なんでそんなタイミングで喘息なんかになるのかしら。アリスのお誕生日会は予定通りしますよ。だってあれほど楽しみにしていたアリスが可哀想でしょう?」
「はい・・・・・・お母様」
「お母様はアリスのお誕生日会の準備で忙しいから、おとなしく寝ていてちょうだい。お薬は侍女が飲ませてくれるわよ。まったく、この忙しい時期に喘息なんかにならないでよっ!」
お医者様がいらっしゃって診察されるときでさえ、お母様は側にいてくださらなかった。高熱が出た私は、サロンから聞こえる妹たちの楽しい笑い声を聞く。きっとこのまま死んでも、お母様たちは気づきもしないだろう。
また、私の誕生日が巡ってくる。いつかはお祝いしてもらえると信じていた。でも、毎年のように忘れ去られ、その日にはいつも別の予定が入っていた。弟アルバートの乗馬競技の大会や、アリスの習い事の発表会、お母様が絶対に外せないお茶会など――私のための時間なんて、最初からなかったのだ。
「え? アグネスの誕生日? あら、うっかりしていたわ。でも、お姉さんなんだから我慢できるでしょう? あなたは長女なんだから」
長女というのは、こんなにも無視されて、辛いものなのだろうか。
私には友達なんていない。ただ、本だけが友達だ。たくさんの物語を読んだ中に、継母に虐げられる少女のお話があった。彼女はまともな食事も与えられず、ボロボロのドレスしか着られない。
私はその本の中の少女よりは少しは幸せかもしれない。少なくとも、私には他の家族と同じ食事が与えられている。一度も話しかけられず、話題に入れなくても。
ドレスだって、好きな色を選ぶことはできないけれど、ボロボロではない。アリスは好きな色のドレスを何着も作ってもらっているのに、私はそれさえも許されない。
私はヒロインが苦しむ物語ばかり読んでいる。そうすることで、自分はまだその少女よりは幸せだと、信じたかったから。
でも、本当はもう気づいてしまっている。私は、ただのいらない子だということを。
「アグネス様はとても優秀です」
私は勉強が好きだったし、ダンスやマナーの授業も楽しかったから、何を習ってもすぐに上達した。だけど、私を褒める家庭教師の言葉が両親の顔を曇らせる。
「アリス様は本当に頑張り屋さんです!」
一方、アリスを褒める言葉には、両親は満面の笑みを浮かべる。アリスは勉強していてもすぐに疲れてしまい、寝込むことが多い。それでも頑張っている姿が健気だと、お母様は涙を浮かべて感動する。
「アグネスは生まれつき頭が良くて得をしているだけね。それに比べて、アリスは虚弱体質なのに、あんなに頑張っていて本当に偉いわ。生まれつきの才能なんて、ただ運が良かっただけよ」
お母様はアリスの頭を優しく撫で、お父様も深くうなづくのだった。
それから時が経ち、私はすっかり年頃の令嬢になっていた。
「アグネスの婚約者が決まりましたよ。隣の領地のハース男爵家の嫡男オリバー様です。男爵家ですけれど、あの方は出世しそうな好青年ですからね」
「はい……お母様」
「え? オリバー様って、あの背の高い王立騎士団に所属している方でしょう? ずるいわ、あの方は本当に素敵ですもの」
「アリス、オリバー様がどんなに素敵でも、所詮はハース男爵家を継ぐ方よ。ハース男爵領はそれほど豊かではないし、騎士は花形職業だけれど、幹部にならなければただの男爵で終わる方なの。そんなことでいいの?」
オリバー様の価値を否定し始めるお母様が不思議だった。それほど価値のない男性と私を結婚させようとするのは、なぜなのだろう。こんなことばかりで本当に悲しくなってしまう。それでも、両親の取り決めには従う他はなかった。
初めての顔合わせで、私に微笑みかけたオリバー様は、筋肉隆々の大きな身体を持っていた。
「初めまして、僕はオリバー・ハースです。よろしくね」
微笑む口元には八重歯が覗いている。特別に美男子ではないけれど、感じのいい誠実そうな方だった。
それから、オリバー様は私の心の支えとなっていった。騎士団の模擬試合に差し入れを持って見に行くと、私が作ったサンドイッチを美味しそうに頬張る。
「アグネスはとても料理上手だね。すっごく美味しいよ」
「私、朝早く起きて頑張って作りましたわ」
頬を染めて真っ直ぐにオリバー様の目を見つめると、彼は子供のように私の頭を撫でてくださった。大きな身体と温かい心、そして飾らない優しさが心地よかった。
ある日、アリスがわざわざ私の部屋に来てこう言った。
「オリバー様はよく見たらゴリラみたいよね。顔だって綺麗じゃないし、どちらかと言えば不細工よ!」
その言葉に思わず反論してしまった。
「たくましくて、頼りがいがある顔立ちだと思います。人の顔のことをとやかく言うべきではありませんわ。オリバー様は堂々としていて安心できる、私には理想の男性です」
そう言った途端、アリスは泣き出して両親の元へ駆けていった。なぜ彼女が泣くのか、まったく理解できなかった。
「アグネス! アリスになにを言ったの?」
すぐにお母様がやって来て私を責めた。
「オリバー様を褒めただけです」
「婚約者の自慢話ばかりして、アリスが可哀想だと思わないの? まだ、あの子には婚約者がいないのよ」
「自慢などしていません。オリバー様のことを不細工だとけなしたので、私が否定しただけです」
何を言ってもお母様に通じることはなかった。結局、最後には必ず私が悪者になってしまう。
「口答えは許しませんよ。姉なのだから、妹が傷つくことを言ったらいけません。そんなこともわからないの?」
どう考えても私が傷つけられたと思うのに、いつもお説教を受けるのは私だった。それでも、オリバー様と結婚すればこの家を出られる。大好きな方の側にいられる。それだけが私の希望だった。
その数日後のこと、オリバー様が喜び勇んでモーガン伯爵家にやって来た。
「聞いてくれ、アグネス! 副騎士団長に認められて、補佐になることができた。明日から副騎士団長補佐だ。これはとても名誉なことなんだよ」
その報告を受け、私は心からオリバー様に「おめでとう」と伝えた。ところが、その話を聞いた両親は、いつもとは違い、オリバー様を広々としたサロンで歓待し始めた。いつもなら侍女が控えている私の部屋でオリバー様を迎えていたのに……嫌な予感が胸をよぎる。
それ以来、オリバー様が私に会いにくることはなくなった。私が送った手紙の返事は一通もこなかった。
理由はわからない・・・・・・私は嫌われてしまったの? オリバー様と連絡がとれないのよ。
そんな悲しみに沈んでいたある日のことだった。
「アグネス様。旦那様がお呼びです。大切なお話があるそうです」
侍女が、私に居間へ行くよう伝えてきた。
「アグネス、実はオリバー卿の婚約者の件だが、アリスに変更することになった。彼は副騎士団長補佐だ。あの若さでその地位なら、いずれ騎士団長にもなれるだろう。だから、オリバー卿をアリスに譲りなさい」
お父様の言葉は、私の心を冷たく凍らせた。
「えっ……? オリバー様はなんとおっしゃっているのですか?」
「オリバー卿も承諾しているよ。アリスの方が可愛いから、とても喜んでいたよ」
「そんな……嘘です! そんなはずはありません。オリバー様は私を一生大切にすると誓ってくださったのです。私を愛していると、そうおっしゃったのに……」
「お姉様、オリバー様は私を選んだの。取られる方が悪いんじゃない? 魅力がない方が負けなのよ。どうしてもお姉様が良ければ、オリバー様は承諾なんてしないでしょう?」
「そうだよ、アグネス姉様はアリス姉様みたいに可愛くないんだから、取られるのは当然だよ。アグネス姉様はいつも愛想がなくて、笑わないし、綺麗だけど冷たい顔をしてる。そんな人形みたいな容姿じゃ、嫌われるよ」
「ふふふ、アリスもアルバートもそこまでにしておきなさい」
お母様は二人を軽くたしなめながらも、私に向ける視線は冷たく厳しいものだった。
「アグネス、あなたは姉なのだから、我慢しなさい」
いつもの言葉が、突き刺さるように響く。
「・・・・・・私はいつまで我慢すればいいのですか?」
「っ・・・・・・そんな反抗的な態度は許しませんよ。まるで私がいつもあなたに酷いことをしてきたように言わないで! あなたを育ててあげただけでも感謝しなさいよっ!」
「それはどういう意味でしょう?」
私はお母様の言葉に驚きながら聞き返すけれど、お母様はぷいっと顔を背けてそのまま居間から出て行った。アリスは意味深にクスクス笑っており、何かを知っているようだった。
あれってどういう意味なのかしら? 自分の子供なら育てるのは当然じゃないの・・・・・・え? 当然じゃないとしたら? もしかして……私は?
不安で悲しくて……どうしたらいいのかわからない。
「アグネスの新しい嫁ぎ先が決まった。喜べ。グラント・ネーグル子爵だ。少々、年齢は離れているが、お金持ちだ」
「おいくつの方なのですか?」
「う、うん。今年で42歳になる方だよ。後妻となるが優しい方だから、問題ないだろう。とにかく、お金だけはある」
後日、顔合わせのためにいらっしゃったネーグル子爵は、私の身体をなめ回すように眺める。
「ふむ。伺っていたよりずっと美人ですな。これなら、モーガン男爵家に融資をしてもいいでしょう。なかなか良い取引条件だ」
まるで商人同士の会話だった。私は商品で人間ではないみたい。あっという間に婚姻が決まり結婚式もないまま、私はネーグル子爵の待つ領地に輿入れすることになる。
揺られる馬車の中、私は神様に助けを求めた。
お願い。こんな現実は嫌よ。ここから逃げ出したいの。助けて……
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