第十三話・私たちが再び出会う必然について

 川村紗智は大学生のアルバイト仲間・菅野奈緒とシフトが合わなかった。一月中旬からは大学の後期試験日程にもぶつかる。紗智のような自由気ままなアラフォーとは違う。アルバイトに精を出さなければ、生活できない紗智とは違う奈緒を羨ましくも思った。年齢が倍ほど違うというのに、と自分を諫めた。舞台俳優としてこれから羽ばたこうとするもの、舞台俳優に見切りをつけ傷ついた羽を休めようとするもの、奈緒との圧倒的な違いはただ生きてきた年齢が違うからだと思いなおすようにしてきた。

 私だって若い頃は、奈緒のように輝いていた。大学には行けなかったけど。Zューブで見つけた“久保隅龍一”、私が十五年前に早田千賀子から預かった子供の名前は、リュウイチだった。首に特徴的なホクロが三つ、先週の週末に四条で見かけた青年は、久保隅秀一と呼ばれていた。ホクロは同じ位置にあった。

 紗智は久保隅龍一について調べていた。ZューブではボカロPとして活動していることはわかっている。二曲ほどバズッたらしく、コメント欄はどちらも千件近くあった。紗智は一つ一つ読み直した。そのなかに久保隅龍一の正体に迫るヒントがあった。学校の同級生なのだろうか?

“夜間学校だからいいよな。こんな曲作る時間たっぷりだもんな草”

 草とはWから転じた笑いというネットスラングぐらいは紗智でもわかる。この言い回しをするのは、若い子だということだと想像した。京都の夜間高校…ネットで調べても十一校もある。範囲が広い、絞り込みは困難だ。紗智はもっとコメントを読み込んだ。この夜間学校だからいいよな、とコメントした人物は久保隅龍一と同じ学区の全日制高校生では?と考えた。このアンチコメントの主はゲーム動画をアップしていた。プロフィール欄にはSNSのアカウントリンクが紐づけされていた。写真投稿SNSグリンスタグローブにたどり着いた。紗智はアカウントを作りっぱなしで一度二度ログインしてやめていた。このアンチコメントの主の投稿を一つ残らず確認していった。わかった、久保隅龍一の通う夜間高校が。アンチコメントの主が投稿していた。自分の学校の机の引き出しに、久保隅秀一という夜間学生が忘れていったノートがあったため、それを撮影してアップしていたのだ。ノートには勉強の内容ではなく、作詞・作曲について記されていた。何が気に障ったのか、久保隅秀一と一字違いの久保隅隆一のZューブにアンチコメントをつけたのか。

 紗智はもしかしたらという想いで、久保隅秀一が通う“東治宇高等学校”に向かった。


 中田陽子はいつも16時には東治宇高校に行っていた。パートの清掃を15時に終え、そのまま直行する。16時すぎから18時まで夜間の学生・教職員向けに学食が営業しているのだ。翔太がバイト先で飲み会なんかがあれば、夕食を学食で済ましてしまうこともある。学食とはいえ、大学とは違って高校だけに誰でも入ってこれるわけではない。だが、近隣の住人が学食を食べるためだけに、校内に入ってくることもある。以前部外者が学食で食事をしていたことがわかり、警察沙汰になったこともある。夜間高校とはいっても、自分のような年齢を重ねたものもいるが、何らかの事情で全日制の高校に通うのを断念した未成年たちもいる。つまり、ジャスト高校生と同じ年齢の子たちだ。日中に不審者対策をしている全日制と違って夜間は緩いと保護者からもクレームが届いたことも受けて、防犯カメラを導入したばかりだが、その効果はよくわからない。

現に今日だって、食堂の隅の方で見慣れない女性がコーヒーか何か飲んでいる。紙コップから湯気が出ていた。湯気の出る飲み物といえば、コーヒーぐらいしかないからだ。

 先生?違う、新しい生徒?そうかもしれないが、転入してきて食堂でコーヒーを飲んでなんて少し図太い。年齢は自分より少し若くアラフォーといったところか。髪はひっつめっている。耳元が夕焼けに小さく反射している。小さめのピアスだろうか。どこか上品そうな女性だ、遠くからでもわかる。背筋はよく、とろみ感のあるブラウス、鮮やかな藍色のロングスカートだ。清潔感がある。新しく赴任してきた教師なのかもしれないと思って、不審な女性をじっと観察していると、目があった。陽子は目を逸らすものの、その女性が紙コップに入ったコーヒーを手に持ち立ち上がり、自分の方に向かってきた。陽子は傍から見ても身構えているのがわかるように、身体が固まっていた。ぎゅっと肩をすぼめて、そのまま立ち去ろうかと思ったが、その不審な女性が何を言うのか気になった。

「あの、ここの学生さんですか?」

 陽子は身構えつつ、不審な女性の質問にどこか腑に落ちないモノを感じていた。教師と見間違えてもいいはずなのに、どうして学生と訊いてきたのか?思わず、

「どうして私が学生だと思ったんですか?」と訊き返した。

「先生なら、私みたいな部外者がいたら、先生の方からこっちに来そうじゃないですか。なのに、私をじっと見ているだけだったから、学生なのかなって。大した理由になってないんですが」

「部外者?の方なんですね。ここは部外者の立ち入りが禁止なんです。この前も問題になったばかりで」

「そうなんですね、実は人を探していて」

「人?」

「はい、久保隅龍一という方がここに通っていないかと」

「あなたは、誰なんですか?」

「あ、私は川村紗智といいます」

 陽子は川村紗智と名乗るこの女性にどこかで会った気がしていた。思い出せない。だが最近見た気がする。見た?そう会ったのではなく、見た気がする。特長的な張った声だ。人前に出る仕事の方なのだろうか、声の印象はない。だから、見た気がするだけなのだ。会ったとは違う。

「あの、どこかで私川村さんにお会いしたでしょうか?」

 紗智は面食らったように

「いいえ、初めてだと思うのですが」

「そうですか」

「あの、久保隅龍一さんってここの学生さんですか?」

 紗智は話をひき戻した。どうしても知りたかったからだ。ここで空振りしては、もう次はないと覚悟していたからだ。久保隅龍一に会えたところで何をしたいのかはわからない、ただ、街で十五年ぶりに見かけた早田千賀子、名前がサキエに変わっていた。何かトラブルが自分にも降りかかるからというよりも、十五年鍵をかけていた事件が再び始動していると感じたのだ。舞台俳優のカンだ。物語が動き始める、その空気感のようなものを感じるからだった。


「個人情報だから、どの学生が通っているかは私には言えません。久保隅龍一という方は、よくわかりません」

 陽子はウソはついていない、久保隅秀一ならよく知っている。だが龍一は知らない。これは真実だ。秀一がZューブの名前がたしか、久保隅龍一だったことをいまさらながらに思い出したが、紗智には言わなかった。そして陽子はもうひとつ思い出した。杉浦の火葬場で息子と称する辻が置いていった写真。その写真を撮影したことを思いだした。そこに映る女性に似ていた。

 後ろの方から「陽子さん」と呼びかける声がする。秀一だった。タイミングがいいのか悪いのか、久保隅秀一と今日も食堂で待ち合わせをしていたのだ。正美の暗号を解読したものの、ここに隠された何かがあるのではないかと話していたのだ。授業が始まるまでの一時間ほど話を整理しようと言っていたのだ。

 紗智は駆け足で食堂に入ってくる青年を見てハッキリと確信した。この前、早田千賀子と菅野奈緒と一緒にいた青年だ。厳密には私にぶつかった青年だ。首元のホクロが三つ連なっているのを確認したあと、紗智はいった。

「久保隅秀一くんだよね。別名議で久保隅龍一で活動していない?ボカロPとして」

「あぁ、バレちゃいますよね。一文字違いだから。わかるもんですよね。って、あなたは誰ですか?」

 陽子はここから何かが進展するのではと、期待を持ってこの不可思議な状況を眺めていた。

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