第三話:多用する読点

 正美は集中治療室などではなく、普通の大部屋にいた。スマホとタブレットを用意してもらい、ヘッドホンを音楽を作っていた。傍から見ると、音楽を作っているというよりもゲームに没頭している青年にしか見えなかった。中学三年生の夏だった。


 秀一は学校から帰ってすぐ、駅前で咲江を待ち合わせをして、病院へと向かった。セミが相変わらず大声で、叫ぶように鳴いている。「毎年、毎年、セミは相変わらずうるさいね」


 秀一の何気ない夏トークに咲江が反応する。

「でもね、毎年同じセミじゃないのよね」

「それはそうだ。七年だっけ、地中で我慢して、雌見つけて、交尾して、子孫を残す」

「こんな道端で、交尾だなんて、ちょっとは慎んで」

 こういうところ、咲江は昔の人だなと秀一は思う。いい、わるい、ではなく。時代が違うのだ。育ってきた時代が違うと、考え方も違う。ジェネレーションギャップという簡単な区分けの話ではない。六十を越えた咲江と暮らすとよくわかる。これまで生きてきた・与えられた情報や同調意識の違いで価値観や道徳心が変わってしまう。


 ならどうだ。多羅尾やなつみのように、同世代で生きてきたものたちが、どうしてこれほどまでに価値観や道徳心が自分と違うのだ、と秀一は頭の中で問答した。あいつらは獣なのだと。


 病院の一階の受付は広い。二百人ほどは待合ができそうだ。自販機の側に、英子は立って待っていた。咲江は英子にあいさつし、英子は咲江が秀一の祖母だと初めて知った。この総合病院は二階までは通常患者の診察に使われており、五階からが入院患者のフロア。男女ごとにフロアが分けられている。正美は七階の四人部屋。五十歳ほどの男が二人、隣同士でよくくっちゃべってる。正美の隣は、高齢の老人。痰が詰まるようで、看護師が頻繁に吸引している。


「よぉ、秀一」 

 正美の開口一番に、秀一は拍子抜けした。思った以上に元気だったからだ。もっと深刻な症状であって欲しいとは思っていない。学校が大雨で休校になるのを望んでいるのとは違う。親友が事故にあったのだ。しかも、渡したいものがあるなんて言われたら、覚悟を持って会わねばと思うのが普通だ、と秀一は思った。


「大丈夫そうだね」

「うん、なんかね、事故なんだけども」

「なんか、言いたそうだね」


 咲江と英子は、目配せし、病室の外に出た。子どもと言っても、二人だけで話したいことはあるだろうという配慮だった。


「あの事故さ、バイクでひき逃げされたんだけど。あのバイク見たことあるんだよな」

 正美は記憶をたどりながら話し始めた。


「つまり、知り合いってこと?」

 秀一は怪訝そうに訊いた。


「というか、知ってる人なんじゃないかな」

「あ、あの音声だけの動画の件?」

 秀一は核心に触れた。


「そうなんだよ、あの音声動画をアップしてから変な電話もかかって来たし。非通知だけど。あとZューブのコメント欄もやたらと荒らされてさ」


 秀一は正美に荒れたコメント欄を見せてもらった。初めて秀一のZューブをしっかり見た。自作の曲をアップしている。歌うのはボカロだ。クミンというキャラが歌っている。その下のコメント欄は二百件、うちいくつかのコメントに


【あの、動画は削除しろ、音楽だけを、アップしてろ】

【学校を、特定してやるぞ、覚悟しておけ】

【この、クソみたいな、曲はパクリだ!】


秀一は思っていたよりもひどいコメントに手が震えた。いけない、病院で「炎」の力がでてしまう。秀一は心を抑えた。ぎゅっと心の束を握るように。そして優しくなでるように。


「で、これが事故と関係しているの?」

「たぶん、この荒しのコメント全て同一人物だと思う」

 正美が秀一をじっと見て言った。

「どうして?」

「ほら、コメントの読点がおかしくない。この【、】の入れ方、特徴がありすぎて」

 たしかに変だった。


【あの、動画は削除しろ、音楽だけを、アップしてろ】

【学校を、特定してやるぞ、覚悟しておけ】

【この、クソみたいな、曲はパクリだ!】


 読点が多いし、位置も変だ。ただ、どこかで見たことがある。何とも言えないもどかしさを、秀一は味わっていた。


 秀一は自分のスマホでZューブアプリを開き、正美のチャンネルを検索しお気に入りに登録した。嫉妬心から登録していなかったが、そんなこと言ってられない、親友がケガさせられたんだと、内心が息巻いていた。


「このコメントの主がバイクでいた犯人かもってこと?」

 秀一は正美の言いたいことはわかっていたが念押しで確認した。

「そうだね、きっと荒しコメントした人とひき逃げ犯は何か関係があるとは思う。同一犯かまでは言えないけど」

 正美の見立てが案外慎重なところに、少しがっかりもしたが、このことが伝えたいことだったんだと、秀一は勝手に理解した。


「で、渡したいものってなに?」

 ぶっきらぼうに、正美に聞いた。親友だからというと誤解があるかもしれないが、このトーンで話せるのは二人が培ってきた関係性がなせるワザだ。


「これ」

 正美はスティック状のUSBを秀一に渡した。


「これは?」

「この中に、いままで作った曲がいっぱい入ってる。歌詞がまだ入ってないんだけどね。もし、僕に何かあったら、この曲たちに歌詞をつけて、合作でアップして欲しいんだ」


「何言ってんの、もし何かなんてあるわけないだろ」


 秀一は正美のほおをつねった。


「いたたた。もしもだよ。なんせ事故に合ったんだよ。このあとも何があるかわかんないし、そもそも今は大丈夫でも後遺症だって考えられるだろ」


 正美の言うことは遺言のようだった。秀一はUSBを手のひらでぎゅっと握り「わかった」 とだけ言った。


その一年後、正美はまだ病室にいた。秀一は高校一年生の夏を迎えていた。

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