日々徒然

糸式 瑞希

第1話

 エスカレーターに乗って傾斜を運ばれる俺…。

 なぜ階段を登ると言う動作を自動化したのか…?

 そんなことを考えながら、俺はとりあえず、エスカレーターの恩恵を享受していた。


 夏のある日、俺は友人の二ノ宮とシティーモールに来ていた。今日は久しぶりの休日だ。

 彼女…、二ノ宮あかねは今一番俺が交流している友人だ。


 俺たちの住むこの島は、詳細は俺にはよく分からないが、島を活性化しようという政治が見事に成功した一例らしく、様々なレジャー施設をはじめ、島の名所とも言える場所が各所に点在し、それに加え、どうもこの島は元々神聖な場所だったらしく、神社仏閣の類も各所に点在している。(この島で起きる、まことしやかに語り継がれる不思議な現象には数多くのバリエーションがある…)

 そして、この島の特筆すべき最たる特徴は、なんとこの島には大学があるという点で…。

 そして今、俺たちは、この島の名所の一つのシティーモールに来ているというわけだ。

 このほとんど出来立てのシティーモールには、島の人間の大半が来ている、と言っても過言ではないほど、人々で溢れている。


 コンビニで買ったアイスコーヒーの容器が、夏の日差しで汗をかく。

 通路の上方を見れば洒落たデザインのガラス窓からは日差しが差し込んでいて、景観としてはかなり優れている。

 それにしても、暑い。通路の張り紙を見るに、エアコンが故障しているらしい。


「河合くん、ブラックコーヒー好きだよね。大人だね…」

 二ノ宮の、その言葉を聞いて、俺はふと我に帰った。

「まあ、男といえばブラックコーヒー、じゃないか?」

 とりあえず、そんな事を言ってみる。

「すごーい」

 それを聞いた彼女は両手でパチパチと小さな拍手をした。


 俺は片手に手に取っているコーヒーの入ったカップをまじまじと見つめる。

 ブラックコーヒー…まず、第一にブラックコーヒーはカッコいい。まさに男の飲み物だ。

 美容にもいいし、何かの作業をする際、気合いを入れる…そんな時にはコーヒーに含まれるカフェインが活躍する。

 かつて、コーヒーの実は僧侶の精神統一の際に使われていたとされる程の神聖な植物らしい…。(うろ覚え)

 俺の適当な解説で申し訳無いんだが、要するに、ありがたい飲み物だってこと…だよな…?



「あの…、今度サークルの企画で何処かに行くらしいんだけどね…」

 二ノ宮が言う。

「今度って、今、夏だぞ?一体どこに行くって言うんだ?」

 容赦ない夏の日差しに、思わずそんな言葉しか出てこない。

「それがね、まだどこに行くか決まって無いらしくて…」

 なんと言うか…、どうにものんびりし過ぎている気がする。


 シティーモールの通路の上部のガラス窓から、夏の日差しが降り注ぐ。それにしても暑い。

「暗いぞ、青少年!」

 そう言って二ノ宮が俺を小突いた。

 うーん、と俺は背伸びをする。

 なんと言うか…、若干肩が凝っている気がする。年甲斐もなく。

「話、聞いてる?」

「うん…?ああ…」

 彼女の問いに曖昧に返事をする俺。

 新しい季節が始まる…。期待と嫌な予感を、半分づつ感じた。



◇◇◇


 ある日、俺は友人の一条と一緒に深夜番組を見ていた。

 当初彼が俺の家に泊まりたいと言い出したときは思わず身構えたが、一晩経っても何事も起こらなかったので、それ以降、我が家に一条が泊まるのは別段珍しいことでは無くなっていた。

 やる気なさそうに缶チューハイを片手に持ち、気だるそうに酒に酔う姿は彼のお決まりの風景だ。

 リモコンで選局をする俺に向かって、不意に、テレビを視ている彼が言う。

「なあ、今度サークルの活動で何処かへ行くらしいんだが…」

 何処かで聞いた話だ。

「ああ…、それ、どっかで聞いた気がする…」

 俺がそう言うと、

「そう、か…」

 と彼はそう言い、少し残念そうにした。


 テレビを付けながら2人で布団に寝転ぶ。

 いつの間にか彼は眠ってしまっていた。

 彼の寝相で乱れた掛け布団を被せ直して、

 テレビと電灯を消灯し、俺も寝ることにした。

 全くの暗闇だと、なかなか寝付けない…、そうこうしている内にまどろんで、俺は眠りについた。


 次の日の朝…。寝相の悪い…、いや壊滅的な寝相の一条の足の裏側が、起きぬけの俺の目前に飛び込んできた。

 俺は緩慢な動作で起き上がると、顔を洗い、歯を磨いて、

 家から少し歩いた所にある、近所のコンビニにおにぎりとお茶を買いにきた。陳列棚を見渡す…。なんというか、物価のインフレがすごい。

 普通のおにぎりが180円…?某炭酸飲料は500ml、一本税抜約160円…、

 あまり散財しないように、早々に俺はその場を立ち去った。

 家路へと着く俺。一条が帰りを待っているだろう。

 玄関のドアを開け、靴を脱ぎ、台所の扉を開ける俺。

 そこにはちょうど眠りから覚めた、という様子の一条がいて、

「悪い…」

 と言って俺の手渡したお茶を一気に飲み干した。

 起きぬけの彼が寝ぼけながら、タバコを吹かしながらこう言う。

「知ってたか?今度サークルの企画で…」

「いや…、同じ事を昨日も聞いたが…」

 それを聞くと、また昨日と同じ様に彼はガッカリしてみせた。

「そうか、最新情報だったんだが…」

「最新か…」

 細かいことは、あまり考えないことにした。


◇◇◇


 某日、大学のサークルにて…

「今日、みんなに集まってもらったのは、他でもない、これのことだ」

 行先が決まっていない、との事前情報だったが、机の上に並べられたパンフレットによると、島にある仏閣のうちの一つに行くことに決まったらしい。

 パンフレットを見るに、この島でも最大規模の、メジャーな寺に行くようだ。俺もここのことは知っていた。この島で仏閣と言うならここだろう。

 ざわざわと動揺する部員たち。

 天井に備え付けられた、効きの弱いエアコンの風に吹かれながら、俺は嫌な予感を禁じ得なかった。

 本当に行くのだろうか?今回は俺はやめておこうか…そんなふうに考えていると、

「現地集合だ、みんな、何か聞いておきたい事はあるか?」

 と、部長が言った。

 その問いに…、俺たちは沈黙で返答した。

「よし、じゃあ今日はこれで解散だ」

 部員が捌けたあと、俺、二ノ宮、一条の三人は、集まって話し合っていた。

「この気候の中、本当に行くらしい…」

「修行みたいだね…」

「流石になぁ…」

 一条が言う。

「まあ、なんとかなるんじゃない?」

 楽天的なのは二ノ宮だ。

「おいおい、ニュース見てるか…?今年の夏はかなりヤバいらしいぞ」

「エアコンの効いた部屋で旅行物のバラエティ番組見てた方が良いかもな…」

 何なんだろう、その近代的なのか前時代的なのかよく分からない現代感…。

「まあ、なんとかなるだろう」

 一条が呑気にそう言った。

 なんとか…?何、試練…?

 設定温度の低いエアコンの頼りない風が、俺の頬を撫でる…。

 額から落る汗と、背中に滲む汗が嫌な予感を加速させた。


◇◇◇

 

 校内にて2人と別れた俺は無人の夜の校舎を1人で歩いていた。

 俺も大の男、怖い物なんてそうそう無い…、と思っていたが、実際のところ、夜の校舎はかなり怖い。 

 常夜灯の光がリノリウムの床を照らし、通路の端には非常口の標識。

 恐怖感とも焦りとも言えない感情が湧き上がってくる。

 昔見たホラー映画のワンシーンがフラッシュバックする。

 早く帰ろう…、そんな事を考えていると、突然…、

「河合くん?」

「っ!」

 無人の筈の校舎にて、俺の名を呼ぶ声がした。

 心拍数が一気に30BPMくらい上がった気がする。ヤバい…!

「やっぱり河合君だ」

 このシチュエーションにそぐわない、呑気な声の主は…

「ああ、三廽部か…」

 同級生の女子だった。

 彼女と会うのは久しぶりだ。

 高まった心拍数は徐々に下がって、俺は少し安心して…彼女との出会いを歓迎した。


 ふたりで歩きながら話す。

 夜の校舎で、女子と二人きり…喜ぶべき状況なのか、そうでもないのか判らない。

 シチュエーションがあまり…まあ贅沢は言えないのかもしれない。

「この前読んだ本がね…」

「撮った写真が…」

「偶然入った喫茶店で…」

 そんな事をふたりで話した。

 久しぶりの再会だが、意外と話すことには困らなかった。

 だが、正直、怖さへの虚勢は拭えない。

 無理をして、常日頃の会話に努める俺たち。


 そうこうしていると、ふと、二人の足音の他に足音が聞こえる…

 それに気づいた俺たちは立ち止まって顔を見合わせた。

 足音は続く…。身構える俺たち。

 こんな時間に誰が夜道を歩いているんだ?俺は震えた。

 そして…、目前から懐中電灯の光が俺たちの事を照らした。

「…!?誰だ…?ああ、河合、と三廽部か…」

 その声の主は…

「一条か」

 夜の校舎で慣れない事が立て続けに起こる…、何だか不思議な感覚がする。

 また、俺は三廻部と再会した時のように安堵した。

「こんな時間に何でこんな所に?」

「ちょっと、部室に忘れ物をね…」

 一条はもぞもぞとそう言った。


 3人で話しながら歩く…。

 1人で歩く時より、怖くない。

 だけど、実は俺だけが実在していて、2人は幻…、かも知れない、なんて事を考えると、やっぱり怖くなってくる。

 妄想力の高い俺だった。


 そんな事を考えていると…、一条が出し抜けに、

「なあ、映画の半券あるんだが、3枚」

 唐突にそう言った。映画の、半券…。

 微妙な枚数な気がした。

 ファミリー、女子だけでの集まり、夏休みの小学生…

 思いつくシチュエーションを考えてみる。

 俺たち3人、このメンツで行くには、やはりアンバランスな予感が拭えない。

 すると、

「いいじゃない、3人で行こうよ」

 三廽部が空気を読めているのかそうでも無いのかよく分からないことを言い始めた。

「じゃあそうしよう、日程決めて、その日に行こう」

 そうして…、このメンバーで映画に行く事になった。どうしよう…


◇◇◇


 当日…、映画館のあるシティモールは、休日という事もあってか、人々でごった返している。

 一条はなぜこの日に段取りをしたのか?

 以前から不思議な奴だったが、ここまで来ると天然だ。

 それとも、あまり人が多いところは苦手な俺の感覚がおかしくて、

 人々は普通こういう場所の方を好むのだろうか?実際人が多いわけだし…。


 コンビニで買ったスポーツドリンクを飲む俺。流石に気候的にコーヒーよりスポーツドリンクだ。

 スーパーとかで買うより高くつくが、まあいいか、と深く考えないことにした。

 俺って、せこいんだろうか…?店内を見回す。にしても、物価がインフレしすぎだ。

 

 すると、

「あれ?三廻部さんと河合くん?」

 そこに唐突に現れたのは二ノ宮だった。

 一瞬、3人に沈黙の間が訪れた。

「ふうん…」

 二ノ宮は俺たち2人をジト目で眺めると、

「仲良いんだね」

 三廻部を見てそう言った。

「別に、普通だよ」

 三廻部は二ノ宮にそう答えた。

 緊迫した雰囲気だ、この漫画などでよくあるシーン、直面すると恐怖でしかない。


「ん?お前ら何やってん…」

 そこに一条がやってきた。

「ああ、二ノ宮か」

 彼は俺たちを一瞥すると、そう言った。


 彼は俺たちを見て少し考えた後、彼なりのフォローを思いついたらしく、

「俺たち、映画を見にきたんだ、ああ、別に三廻部と河合はそう言う仲ではないと思うぞ」

 一条は二ノ宮に向かってそう言った。

 天然の朴念仁かと思いきや、こう言う嗅覚を持ち合わせるのは彼の不思議な所かもしれない。


「そう…」

 二ノ宮はそう言って映画館のポスターをちらっと見て、

「じゃあ、私はこれで…」

 と言って、そのまま帰ろうとする。

「おいおい、折角会ったのに、もう別れるのか…?」

「私、映画館は…。大きい音ダメなんだ」

 まあ、そう言う奴もいるだろう、と思った。

 人というのは、千差万別だ。


 状況を鑑みて、結局俺たちは映画は止めて、シティーモールをあちこち見て回っていた。

 某ファストファッションのレディースコーナーのワンピースを見て、女性陣は盛り上がっている。

 俺たち男は、女性のファッションのことはそんなに詳しくないので置いてけぼりだ。

 その後、俺たちは喫茶店で休んでいた。話題は尽きない。

 俺はアイスコーヒーを飲みながら、ぼんやり三人の会話を聴いていた。

 帰り際、店から出ると、気付けば日は暮れていて、乾いた風が吹いている。

 夏が終わろうとしている。

 次の季節は何ができるだろうか。



◇◇◇


 その夜、俺は妙な夢を見た。

 ここではない、どこか別の世界…そこに広がる場所を俺は歩いている。

 これは、明晰夢なのではないか…?そんな風に頭のどこかで考える俺。そういえば、そんな夢が最近多い気がする。

 どこかで歩いたような、実際には知らない場所。そこを俺は歩いている。

 どこかで会ったような誰か…テレビで見た誰かのような昔の知り合いのような、誰だかわからない人と俺は話をしている。

 誰かの家のような、どこかのデパートの通路のような、そんな風景が目前にある。

 それが無理やり組み合わさって、不思議な場所になっている。

 そういえば俺の家は3階建てで、2階のさらに上に居住スペースがあるとか、実際とは違う事を俺は頭の中でぼんやりと考えている。

 そして、どこをどう歩いたのか、とある部屋の、一室に俺は居る。

 薄れゆく記憶、だが、その場所のインパクトは今でも強烈に脳裏に焼き付いている。

 豪華絢爛な、荘厳な世界…。神聖な、仏閣のような…。

「ここは…」


 そして、眠りから目覚めた俺。

 やや上昇している心拍数。寝汗で湿った寝具…。

 起き抜けで、現実感がない。夢から、現実に置き去りにされたかのような感覚。

 しばらく呆然とした後、少し冷静になって…。あの場所は…、どこかに実在するのだろうか…?そんな風に俺は考えた。

 いや、夢だ。夢で見たものが実在することは無い。だけど、あの場所を…もう一度、この目で見てみたい…。

 そして…、夢から目覚め始めた頭で、俺はようやく起き上がった。


◇◇◇


 ある日、曇りとも晴れともつかない、霧雨の降る朝…

 俺は近くの海岸まで、散歩に来ていた。

 聴こえるのは波と風の音。空からはぽつぽつと霧雨が降っている。

 風が吹いている。着ているニットに風が入り込んでくる。

 少し肌寒くて、薄着で家を出た事を後悔する。

 この季節のこの時間帯って、どんな格好をすべきなのか判断しづらい。

 ちなみに俺の部屋のクローゼットには、乱雑に買い漁られた服が無秩序に並んでいる。

 買う時は着ると思って買うわけだが、結局普段、決まった格好しかしない。

 そして、俺は今日もお決まりの、やや季節外れの格好で外出していた。

 

 なんと言うか…あっという間に季節が変わる気がする。

 少し前まで、半袖だった気がするんだが…。


「あれ?」

 考え事をしていると、背中越しに、ふと声が聴こえた。俺が声のする方を振り返ると、

「ん…?ああ、三廻部か」

 そこには彼女が微笑んで、ぽつんと立っていた。


 二人で堤防に座り、俺たちはぽつぽつと話をしている。

「空が、綺麗だね」

「空…?」

 雨が降りかけている、半分曇り、半分晴れの、霧雨が降る明け方…

 幻想的な光景…解釈次第では、そうとも言えるかもしれない。

「不思議なやつ…」

「あ、今なんか失礼な事言った」

「そうでもない」

「絶対失礼だよ」

 曇り空が綺麗だという奴も、晴れやかな青空が好きな奴もいる。

 好ましい個人差…。個性、だと俺は思った。


 しばらくそうやって、二人で話をしていた。

 そんな何気ない一日だった。…こんな日も、悪くないと思った。


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