第24話 霖雨


 誕生日会が終わって翌日。この日は朝から雨が降っていた。秋雨前線が到来してしまったからか、天気予報でもしばらく雨が続くと言っており、空はどんよりと暗くなっている。

 しかし美乃梨の心は、そんな空模様とは真逆の様相を呈していた。


「んふふ」


 美乃梨は自分の左手を見て、顔をだらしなく蕩けさせる。その薬指には、桜の花と月を模った装飾が施された指輪が嵌っていた。


(あれ、そういえば私、誰かに誕生日って教えてたっけ?)


 昨日は驚きと嬉しさで気が付かなかったが、美乃梨の記憶に誕生日を教えたものは無い。そもそも美乃梨自身忘れていたのだから教えようがなかった。

 しかしその疑問について思案する時間は無い。


(あ、そろそろ行かないと)


 ふと視界に入った時計を見て、美乃梨は慌てる。今日は買わなければいけないものが多いにもかかわらず、昼は疾うに過ぎてしまっていた。

 

 桜真は時神に付き添って遠出しており、日が暮れる頃まで帰って来ない。彼のいない状況で夜の時守町を歩き回るのは未だ怖く、美乃梨は暗くなる前に神社に戻りたかった。

 加えて、彼が帰ってきてすぐ夕食をとれるようにしておきたいのもあった。


 美乃梨は本殿の入口までの間だけ傘をさして移動する。最近は巫女服もすっかり着慣れたが、片手に下げているトートバッグは高校時代からスーパーへ行くお供にしているものだった。


 美乃梨は祭壇の仕掛けを起動する前に参道側の扉を少し開け、境内を覗く。こんな天気でも参拝客はいるようで、石畳には砂利が上がってしまっており、雨が上がる頃には泥まみれになっている可能性もありそうだった。


(泥が上がったら面倒だなぁ……)


 彼女は少し憂欝になりながら、扉を閉めて時守町へ降りる。その足を早めたのは、日の傾き具合を見てのことだった。


 かなり急いで買い物を済ませた美乃梨だったが、九月も終わりごろとなると日が短い。既に辺りは暗くなり始めており、三十分もあれば人間の目で活動するのは難しい時間になるだろう。


「おう、桜真様の奥さん、なんか変な奴がいたって聞いたから気をつけろよ!」


 不意にかけられた声に振り返ると、イタチの姿をした妖がいた。

 夢で見た姿に美乃梨はドキッとするが、三匹で連れ添った妖たちは本気で彼女を案じているようだ。


「うん、ありがとう!」


 内心を隠して礼を言い、いっそう足を早める。それでも神社への抜け道の近くまで来た頃にはすっかり暗くなって、反対側から来る相手の顔も見えないような状態になっていた。


(逢魔が時……。急がないと)


 暗がりは不安を煽る。前日に見た夢と似た状況なのも相まって、ますます焦りを覚えた。


「ちょっとそこのお嬢さん」

 

 美乃梨は無意識に左手の薬指を握った。

 振り返ると、路地の入口にこの町では見慣れない鏡の化物がいた。付喪神と呼ばれる妖であるようだった。


「ちょっとお嬢さん、少し手伝ってもらえないかい」


 中性的な声のソレは、大きな楕円形の姿見に顔を映したような姿をしていた。ソレは装飾の一部を動かして、手招きのような動きをしている。


「財布を落としてしまってね。旅をしてるもんだから、あれが無いと困るんだ。半時も手伝ってくれたら十分だからさ」


 付喪神は鏡面に移した顔を情けなく歪め、美乃梨に懇願する。探し物なら人手を、と思って辺りを見回すが、気が付かない間に誰もいなくなっていた。


(さっきまでそれなりにいたのに……。どうしよう)


 イタチの妖の言っていた変な奴とはこの付喪神のことなのだろうと、美乃梨は警戒を緩めない。

 しかし本当に困っている可能性もあって、迷っていた。


「まあ、警戒するのも分かるよ。僕はよそ者だしね。でも本当に困っているんだ」


 付喪神は路地から離れないまま、眉を八の字に曲げる。美乃梨はそれを見ていると、どうにも可哀そうに思えてきてしまった。


(まあ、何かあれば指輪が守ってくれるよね……)


 そう思って、美乃梨は握ったままだった左手の薬指へ目を落とした。


「分かりました。落としたのはどこら辺か分かりますか?」

「ああ、ありがとうね。たぶん、こっちの方だよ」


 鏡の付喪神はふよふよと浮いて路地の方に入っていく。美乃梨は狭く入り組んだそこには初めて来た筈だったのに、何故か見覚えがあった。


 美乃梨の内で不安が募っていく。

 それを和らげるように、彼女は必死で道を覚えた。何かあっても大通りの方まで逃げられれば、相手も諦めるだろうと考えてのことだった。


「この辺りで財布の無いことに気が付いたんだ。あっちの方から大通りに抜けようとしてたんだけどね」


 案内されたのは路地裏の方に少し入った所だった。まだ辛うじて日の出ている時間ではあったが、路地裏ともなると殆ど真っ暗だ。


 美乃梨は記憶をたどって、その先に人の世への出口があることを思いだす。しかしそちらから入ってきたのだとしても、もっと大きくて分かりやすい道がある筈だった。


(あ、でも、あそこは森の中にあるらしいし、土地勘が無ければこっちに迷い込んでもおかしくない、かな?)


 一応財布を探しながら、付喪神からは意識を逸らさない。握りしめた左手をぐにぐにと動かして、指輪が間違いなくある事を確かめる。

 指輪の術は巫術の要領で行使できると桜真は言っていた。まだ練習でしか使ったことのない形式の術だ。探しながら、巫術の感覚を頭の内で何度も再現する。


「うーん、見つからないねぇ。そっちはどうだい?」

「えっと、こっちも見つからないです」


 付喪神はどんどん路地の奥に進んでいく。美乃梨もまだ大通りまでの道は覚えているが、そろそろ怪しい。

 少しずつ距離を取りながら、どうしたものかと彼女が考えていると、不意に付喪神が振り返った。


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