第18話 春の来ぬ間に


 路地裏は大通りに比べていっそう暗く、かつ入り組んでおり、迷えば戻るのに時間がかかりそうだ。


「走りづらいって。ちゃんと付いて行くから、いったん離して!」

「……」


 美乃梨が呼びかけても妖は手を放そうとはせず、奥へ奥へと駆けていく。美乃梨としては嫌な予感しかしない。


「ねぇっ、聞いてる!?」

「……」


 辺りはどんどん暗くなり、それにつれて美乃梨の内の疑念が確信に変わっていく。

 他の気配を避けるような動きをされると、猶更だ。


 それでも僅かな可能性を信じて抵抗しなかった彼女だったが、時守町の外縁に近づいたころ、妖の害意に確信を持った。


(こいつ、私を食べる気だ……!)


 そうなれば大人しく付いて行くはずがない。神術による強化を駆使して、妖の手を振り払う。


「離して!」

「ちっ」


 その舌打ちは、美乃梨に目論見がバレたことを察してのものだった。イタチの目が、怪しく光る。慌てふためいた雰囲気はなりを潜め、代わりに剣呑な空気がイタチから発せられる。

 次の瞬間、妖は正体を現した。


 人の倍ほどの大きさの醜悪な姿に変化した妖は、そのまま美乃梨へ食らいつこうとする。幸いにも神術で上がっていた身体能力は、それを容易く躱させた。


 続けて反撃をしようにも、そこは入り組んだ住宅街。美乃梨の練度では、周りに無用な被害をだしてしまう。

 代わりにトートバッグを投げつけ、彼女は走る。


「お前さえ食えばぁっ……!」


 イタチの化物は美乃梨を凄まじい形相で睨みつけ、手を伸ばした。イタチのような姿をしているだけあってその動きはすばしっこく、爪の先が彼女の後ろ髪を掠める。

 背中に感じた風圧に冷や汗が流れたが、それでも姿勢は崩さない。


「なら食ってみなさい!」


 怒らせて、適度に広い場所に移動しようとしている事を悟らせないようにしたかった。桜真が来る前に逃げられて、逆恨みされるのが怖いのもあった。

 とにかく冷静さを失わせたいと思っての挑発が功を為したのか、化物は一心不乱に付いてくる。


(は、早い!)


 力の気配を捉えられるようになって、振り返らずとも彼我の距離が分かるようになっていた。美乃梨も曲がり角を上手く使ってはいるが、それでも徐々にを詰められてしまう。

 その分恐怖が増して気が逸りそうになるのを、彼女はどうにか抑えていた。


(足止め、しないとっ!)


 道路わきに樽が積んであるのが見えた。通り抜けざまに神術でそれを崩し、化物にぶつける。拍子にいくつかの樽が割れて、化物の地面を濡らした。

 

 それなりに大きな樽だ。効果はあり、後ろの気配が少し遠のいた。しかしそれも一瞬で、すぐに追い付いてくる。


「人間がぁっ、調子に乗るなぁっ……!」

「くぅ」


 右へ左へ、何度も曲がって距離を維持する。逃げ慣れた彼女にとっては、入り組んだ路地であることが幸いした。

 土地勘の無い辺りではあったが、桜真が来るまで凌げば良い。


 とはいえ、時間が完全に彼女に味方をするわけではない。

 時が経つほどに太陽の姿は隠れ、どんどん暗くなっていく。夜の住人たる妖ならばいざ知らず、ただの人間である美乃梨の視界は刻一刻と悪くなっていた。


(あとで夜目が利くようになる神術を教わらないとっ)


 そんなものがあるか美乃梨は知らないが、無くても何か考えてくれるはずだ。

 光球を生み出したのは、完全に巻くのを諦めての選択だ。これで誰かが見つけてくれるならそれで良し、と先を照らす。


「ついでに、くらえ!」


 思い浮かべたのは人の町によくある発光ダイオード。込めた神力の量は、初めてこの術を習った時よりも多い。術の発動地点は後方だ。

 ひと瞬きの間だけ路地裏が昼に変わり、美乃梨の前に濃い影が出来る。


「ぎゃあああっ!? 目がぁああっ!?」


 妖と言えど動物を象ったものある以上は目に頼っていない訳ではない。眼前で起きた閃光にイタチの化物がのたうち回る。

 美乃梨はスピードを上げる。このまま逃げ切れるならば、それはそれで良い。逆恨みはやはり怖かったが、今生きる方が重要だ。


 不意に明るくなった。景色が開けて、木々が視界に飛び込んでくる。


(あ、やばい!)


 これまで入り組んだ路地裏だから何とか逃げられていた。しかしこれだけ開けると、ただ逃げるだけは難しい。

 反撃は出来るようになった。多少コントロールを間違えても、方向を気を付けるだけで問題ない場所だ。

 だが、広すぎる。


 美乃梨はいくつか攻撃用の術を知っているだけで、戦闘の訓練をしているわけではない。護身術が逃げることを主眼に置いているように、素人が生きるために戦ってきた者を相手にしてどれだけ立ち回れるかは分からない。

 

 美乃梨の持つ神力は非情に強い力であって、小妖怪程度が比肩できる力ではないが、それでも基本的に美乃梨は普通の大学生だ。まともに戦える筈が無かった。


 その辺りを桜真から口を酸っぱくして言われていた美乃梨は、反撃を最終手段として逃げる道を考える。


(森に逃げるしかない。桜真、早く来て……!)


 桜真は今、神域内にいない。時神に付いて外に出ている。

 もうすぐ帰って来る筈だが、正確な時間は分からない。


「待てぇ! お前さえ、食えばっ……!」


 神術の補助があってなお足が重くなってきた。足を止めることも多くなり、せっかく広げた距離はどんどん縮む。

 匂いを誤魔化し明りを消して、隠れ潜む時間も延ばす。


「そこかぁっ!」

「いやっ!」


 振るわれた腕が美乃梨の隠れる木を薙ぎ倒した。

 煙を生み出してまた姿を隠すが、疲れから遠くへは逃げられない。


(早く早く早く……!)


 祈る先は桜真、そしてその行動を決められる時神だ。


 少しでも遠くに、と自身に鞭を打ち、足を動かす。

 森から出てしまったのか、建物の塀が増えてきた。

 いつの間にか雨も降り出しており、美乃梨の神経を余計に削る。


「諦めろ人間! 他の神が領域を犯さねぇ限り、時神は動かねぇぞ!」


 化物の勘違いに言い返したくなる美乃梨だが、その余裕はない。

 神がそう簡単に動けないことなんて知っていると怒鳴り返すのを諦めて、角を曲がる。

 道に沿うしかない彼女をあざ笑うように、イタチの化物は建物の上を駆けていた。


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