第8話 新しい朝

◆◇◆

 

 何はともあれ、美乃梨は神域に住むこととなった。住まいに選ばれたのは、彼女もよく知る神社だ。安全性や精神衛生を考慮しての事だった。


 朝日に照らされて、美乃梨は夢から覚める。障子の隙間から差した光は畳を超えて、敷布団を薄く切り取っていた。

 十畳ほどのそこは、美乃梨の昔馴染みの神社、時守ときもり神社内の一室だ。本殿の奥にある居住区域の建物にあって、居住区域と参道側とは『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた看板と門で区切られていた。


 居住区域の広さは表の参道側と同じほどで、美乃梨が一人で暮らすには些か広い。実際、彼女の第一印象も、掃除が大変そうだ、であった。


 美乃梨は眠い目を擦りながら布団を部屋の隅に寄せ、障子戸を開いて縁側へ出る。暦の上では春とは言え、朝の風はまだ冷たい。彼女は着流しに包んだ身体を擦って寒さを誤魔化した。

 縁側のガラス戸の向こうは、居住区域の裏庭だ。そこに砂利は敷かれておらず、大人が思い切り走り回っても問題ないだろう広さがあった。


(ちょっとした畑なら作れそう)


 どの程度神域に住むことになるかはまだ分からないが、彼女が自分で消費する分を作る程度なら時間つぶしにも丁度良いのではないかと思えた。

 美乃梨は畑を作るならどこに作ろうかと考えながら、草履を履いて庭の井戸へ寄る。顔を洗うためだ。この建物には水道も、電気も通っていなかった。


「美乃梨」


 本殿の方から桜真の声がした。美乃梨は急いで洗顔を済ませて、着流しの襟元を整える。振り返ると、本殿の居住区側にある扉から彼が出てくるところだった。


「おはよう。よく眠れたか」

「おはよう、桜真。うん、意外とぐっすり」


 敬語をやめるのは、美乃梨自身の提案だった。成り行きとはいえ夫婦になるのだから、というのがその理由だ。

 

「頼まれていた私物は今朝、下下したじたに取りに行かせた。その内に届くだろう」


 下下とは奉公人や部下を示す言葉だ。

 

「うん、ありがとう」


 美乃梨としては対等な口調に慣れるまでそれなりの時間がかかるだろうと予想していた。しかし始めてみると、寧ろこちらの方がしっくりくる。不思議な事ではあるが、先祖らしい神と桜真に関係があったのかもしれない、程度に考えて、彼女はあまり気にしてはいなかった。


「他に困ったことがあれば、言ってほしい」

「あー、それじゃあ早速なんだけど」


 美乃梨は視線を井戸の方に戻す。釣瓶と滑車の付いた、木の囲いがそこにあった。


◆◇◆


「失念していた。人間の君には、確かに不便であったな」


 二人は建物から離れるように歩く。桜真は何をするとは言っていないが、考えはあるようだった。

 彼はある程度まで歩くと立ち止まり、周囲を見回して一つ頷く。


「美乃梨は人ならざるモノたちが不可思議な現象を起こすのを見たことがあるか?」

「うん、何回か」


 なにも無いところから炎を出したり、幻を見せられたり、美乃梨にもいくつか心当たりがある。それこそ桜真も以前、それらしきものを使っていた。妖を返り討ちにした際にはどこからともなく水を呼び出して手を洗っていたし、木々を薙ぎ倒すような衝撃を発生させていたのもそれだろう。


「それを教えよう」


 美乃梨の記憶にあったのはいずれも攻撃的な用途ばかりであったが、使い方や規模を調整すれば生活の中でも便利に利用できると思い至るのは難しくない。


「私が使えるのは、稀血だから?」

「ああ、そうだ。多くの人間は普通、人ならざる他者の力を借りる事でそれらの術を使う。しかし神に連なる血を持つ美乃梨であれば、己の力で行使できる」


 桜真が手の平を上へ向けると、その手がぼんやりと光り始めた。


「様々な術があるが、その仕組みは様々だ。自らの力そのものを現象に変換する術もあれば、そこにあるもの、人間たちが自然と呼ぶもの等に作用する術もある」


 手の光が一点に集まり、桜の花びらとなる。数多の法則を無視したような現象に美乃梨が見入っていると、再び桜真の手が光って空気の渦が生まれ、花びらが桜真の手の上でくるくると舞い始めた。

 桜の花びらを生み出したのが力を現象に変換する術、風を起こしたのが自然等に作用する術なのだと、美乃梨は理解した。


「それらを組み合わせた術もあるが、総じて、各々の力に適した手順で、我々は術を使う」


 桜の花びらが炎に包まれ、風が収まった。その際には桜真の手は光らない。光は美乃梨に分かり易くする為のものであるようだった。


「その力の種類に合わせて呼称を変えることになるのだが、根本的なところは同じだ。ただ、向き不向きがあるというだけでな」


 美乃梨は自分の手の平を見つめる。桜真は稀血として持った力の扱い方を知れば美乃梨にも同じことが出来るというが、未だ彼女に実感は湧かない。


「妖ものであればその力を妖力、術を妖術と呼び、力そのものを現象に変換することが得意な場合が多い。逆に精霊の力、霊力を基にした精霊術は、既にそこにあるものに作用することが得意だ」


 その他にも様々な力があり、術がある。同じ力でも使い方で呼び方を変える場合もあって、全てを把握するには、美乃梨の前提知識だと足りない。

 桜真は意図的に美乃梨には伝えなかったが、ただの人間でもその感情の力のみで扱える術もあった。呪いや呪術と呼ばれるそれは必ずしも悪い効果ばかりを及ぼすものではないが、反動がある場合もあり、気軽に勧められるものではない。


「その中で神や、我々神に連なる者が持つ力は神力しんりよくと呼ばれ、神力を扱う術を神術と言う。現象への変換、既にあるものへの作用、そのどちらも効率よく行える、非情に強い力だ」


 神が他を隔絶するほどに強力であり、神の眷属が尊ばれる理由の一つであった。そもそもの力もさることながら、同じ量の力によって生み出される結果の規模が桁違いなのだ。

 その分、使い方を間違えた際の危険は大きい。時には闇に落ちて、堕霊のような化物になってしまうかもしれない。


「まずは簡単なところから始めよう。いずれは、人里離れた山奥でも快適に暮らせるようになるだろう」


 美乃梨は、桜真が攻撃用の術を教える気が無いのだろうと察していた。

 彼女としては、攻撃の手段も欲しかった。桜真に頼らなくてもある程度はどうにかできるように。


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