第29話 電話
「親はなんて言ってるの」
俺のその問いには、きっと少しだけ私情が絡んでいたと思う。
項垂れていた優実が顔をあげた。
前髪の隙間から潤んだ目が覗く。
「その髪やピアスとか」
「……特に、なにも」
「まだ中学生の娘が、自分の耳に穴をあけたのにか?」
思わず皮肉っぽい口調になってしまう。
優実はまるで自分が責められたかのように身を強張らせた。
俺は語調がきつくならないように努めながら続けた。
「親にも問題があるんじゃねえの」
優実に言っても仕方がないと思いながらも我慢できなかった。
「いえ、そんな……。両親は、なにも悪くないですよ。二人とも、すごく優しいですから」
「へえ、そっか。いい人たちなんだな」
「はい」
「でもさ、いい人がいい親とは限らないだろ」
優実が問いかけるような目を向けてきた。
俺は続ける。
「お前の親はいい人なのかもしれない。けど、お前にとってはどうなんだよ」
「私に、とって?」
「お前にとって、本当にいい親なのか」
優実が息を飲むのがわかった。
見開かれた大きな瞳がじっと俺をとらえる。
「いや、でも」
優実はふと小さく笑うと、視線を泳がせた。
「ほんとに、いい人たちなんですよ。私が理不尽に当たったりしても、怒ったりしないし……。髪を染めたときも、ピアスを開けたときも、悲しそうな顔しただけでなにも言わなかったし。き、昨日だって、私が夜遅くに帰ってきても、連絡くらいしなさいって言ってきてだけで、叱られたりしなかったし」
優実が救いを求めるような目で俺を見た。
けれど俺はなにも言わなかった。
「ほ、本当なんですよっ。本当に優しくて、大切にしてくれるし、気遣ってくれるし、本当に、いい人たちで……でも……」
消え入りそうなその声を、俺は聞き逃さなかった。
「でも?」
「でも、私は……」
優実は呆けたような顔で床を見つめていた。
その顔が、ふいにくしゃくしゃになる。
「私はっ、ちゃんと叱って欲しかった。駄目だって言ってほしかった。……まるで腫れ物に触れるみたいに……。もっと、もっと、ちゃんと向き合って、話を聞いてほしかった……」
妹がさっと立ち上がり、泣き崩れた優実の肩を優しく抱いた。
やはり、妹を連れてきたのは正解だった。
それは俺にはできないことだから。
妹は下手な慰めの言葉なんて一つも口にしなかった。
ただ優実が落ち着くまで、優しくその背中を撫でていた。
長い時間をかけて、優実は落ち着きを取り戻す。
「す、すみません」
顔をあげた優実は恥ずかしそうに言い、また俯いてしまう。
その反応に、俺と妹は視線を交わして小さく笑った。
すると優実はさらに縮こまってしまい、どこか和やかな空気が漂う。
つんざくような電話の着信音。
全員の目が勉強机の上に向かう。
優実が腰を浮かせ、スマートフォンを掴んだ。
画面を覗き込んだ彼女の顔が、ひび割れたように凍りついた。
「貸せ」
俺は反射的に手を伸ばしていた。
優実からスマホを受け取り、迷わず通話ボタンに触れる。
「もしもし」
『……誰?』
その低い声には、わずかに緊張が混じっていた。
父親が出たとでも思っているのかもしれない。
その勘違いに乗ってからかってやろうかと思ったけれど、やめにした。
それをして晴れるのは俺の鬱憤だけだ。
優実のためにならない。
「昨日の」
『ああ』
それだけで伝わったようだ。
嶋中の口調に嘲笑が滲む。
『で、誰?』
「誰だっていいだろ」
『なんでお前があいつの電話に出んの』
「どうだっていいだろ」
重要なのは一つだけだ。
「優実に手を出すな」
嶋中は鼻を鳴らした。
『嫌だっつったら』
「殺すぞ」
感情のままに吐き捨てる。
嶋中が何事かを叫んだが、無視して通話を切った。
ついでに電源も切る。
やり場のない怒りにしばらく悶えてろ。
「優実」
「は、はい」
「携帯、預かるから」
「え?」
電話に出るな、と言っても、優実の性格からして無視し続けるのは難しいだろう。
最悪、俺の知らないところで嶋中の呼び出しに応じてしまう可能性がある。
「代わりに俺の携帯渡しとくから。必要があれば、晴香の携帯から連絡する」
ポケットからスマホを取り出して優実に渡した。
「あ、あの」
「中身を見たりしないから安心してくれ。それとも、やっぱ都合悪い?」
「い、いえ。私は平気ですけど、お兄さんは……」
「ああ、大丈夫大丈夫。俺、放課後や休みの日まで連絡を取り合うような相手、一人もいないし」
「そ、そうですか」
優実はなぜか驚いたように目を丸くした。
「それからお前、しばらく学校休め。仮病でもなんでもいい。家からも出るな」
「わ、わかりました」
「約束だからな」
念を押す。
優美がちゃんと頷くのを確認し、俺は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ帰るわ。あとはこっちでやっとくから」
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