第4話 逆ハーレム

 翌朝。

 目を覚まし、すぐに後悔の念が湧き出してきた。


「……ハーレムってなんだよ」


 見慣れた天井に向かってそうつぶやく。

 馬鹿らしくて思わず笑みがこぼれた。

 夜中のテンションは人をまどわせる。

 恐ろしい。


 枕もとの時計を確認すると、八時過ぎだった。

 予定はないし二度寝しようかと思ったけれど、いくら春休みだからってだらけ過ぎるのも性分じゃない。


 あー、と意味もなく萎えた声を発しながら起き上がる。

 とりあえず洗面所で顔を洗い歯を磨いた。

 それから一階に下りて水を飲んだ。


「おはよう、誠一」


 母親がキッチンに顔を出した。


「朝ごはん、なに食べる?」


 俺は冷蔵庫を開けて中をざっと確認した。


「たまご」


 そう言いながら鶏卵けいらんを二つ取り出した。


「ご飯ある?」

「あるよ。たまご、焼こうか?」

「いいよ、自分でやるから」


 パパッと卵焼きを作る。

 我ながら上手に焼けた。


 ご飯をよそってトレイに乗せ、二階の自室に引き返す。

 高校生になってからは食事は部屋で一人でとることにしていた。

 気楽でいい。


 もそもそと卵焼きを口に運びながら、妹の頼みをどうやって断ろうかな、と思い悩む。

 昨日は安請け合いしてしまったが、一晩たつと倦怠感が凄まじかった。


 お願いをただ断るだけならまだしも、一度交わした約束を反故にするのは簡単なことではない。

 というか、昨日は頼みをただ断ることすらできずに押し切られてしまったのだ。

 今からなにか理由を考え、妹を説得しなければならないと思うと憂鬱になってくる。


 どうしたものかと考えていると、隣の妹の部屋から話声が聞こえてきた。

 どうやら妹もすでに起きていて、誰かと電話をしているようだ。


 その年頃の女の子らしい高い声を聞くともなしに聞きながら、相手は恐らく意中の女の子だな、と当たりをつける。

 妹の声のトーンから、なんとなくそう感じたのだ。

 そして、ふと思う。


 ——もしかして妹はレズなのだろうか?


 食事をする手がぴたりと止まった。

『ハーレム』という言葉のインパクトのせいで深く考えていなかったけれど、つまり妹は同性が好きということだ。


 それは別に珍しいことではないし、否定も非難も批判もするつもりはない。

 でも真面目な妹のことだ。

 きっと自分の性質に気づいたとき、取り乱し誰かに相談することもなく、一人で思い悩んだことだろう。


 その結果が『ハーレム』なのではないだろうか。

 真面目で禁欲的な人ほど、一度はめを外すと収拾がつかなくなる、なんて話はよく耳にする。

 それと同じように、自分の性的指向に悩んだ結果、一周回っておかしな結論に行きついてしまったのではないか。


 妹の通う中学校が女子大学付属の一貫校であることを思い出す。

 もしかして、それもそういうことなのだろうか。

 女子に囲まれて生活したかったからとか?


 まずいぞ、と俺は思う。

 もしそうなら断るのは至難だ。

 下手に拒絶すれば、妹の性的指向そのものを否定することになってしまうからだ。


 俺は頭を抱えてうんうんと唸った。

 本人に訊くのが一番手っ取り早いけれど、返ってくる答えが怖くて到底訊けそうにない。


 打開策はなにも思いつかなかった。

 それでも、とりあえず一つの結論を導き出す。

 俺は妹の部屋の方に椅子ごと体を向けて手を合わせた。


「せめてバイでありますように」


 どんな願い事だと内心で自分につっこみながらも、それはなかなか切実な祈りだった。

 妹が男に恋をすれば、それですべてが丸く収まるのだ。

 まさか「逆ハーレム!」などとは口走らないだろう。

 仮にそういう残念な発想をしたとしても、それを成すのは妹自身だ。

 男の俺が巻き込まれることはない。


 ふと、もしも妹がボーイズラブに目覚めるとどうなるだろう、という疑問が沸く。

 いわゆるBLというやつだ。

 人から伝え聞いた程度の知識だけれど、男同士の恋愛に興奮する女性が、この世には結構いるらしいのだ。


 もしも妹がそういう趣味に目覚めれば、あいつはきっと俺に逆ハーレムを——


 だめだこれ以上考えるのよそう、精神がいかれてしまう。

 俺は、ぱんぱんと柏手かしわでを打ち、改めて願いを込めた。


「妹がBLに目覚めませんように」


 自然と全身に力が籠り、眉間にしわが寄る。

 神様にこれほど真剣に祈るのは初めてだった。

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