さまざまな人々の臨終から「死」を考える試み

藍埜佑(あいのたすく)

#1 レオナルド・ダ・ヴィンチ(67歳没)の臨終

◆概要


 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は、ルネサンス期のイタリアを代表する芸術家、科学者、発明家であり、その多才さと革新性から「万能の人」と称されています。彼の作品は、絵画、彫刻、建築、科学、工学など多岐にわたり、後世に多大な影響を与えました。ダ・ヴィンチの死は、彼の偉業と同様に、歴史的な意義を持つ出来事でした。


◆臨終に際して


 1519年5月2日、フランスのアンボワーズ城にて、レオナルド・ダ・ヴィンチはその生涯を閉じました。彼は当時67歳で、長い間の健康問題に苦しんでいました。彼の臨終の場は、静かな部屋で、周囲には彼の弟子であるフランチェスコ・メルツィや、友人たちが集まっていました。外では、春の穏やかな風が吹き、鳥のさえずりが聞こえていたかもしれません。


 ダ・ヴィンチは、臨終の際に穏やかな表情を浮かべていました。彼の最後の言葉は、「私は、私の作品が人々に影響を与えることを願っている」というものでした。この言葉は、彼の生涯を通じての創造への情熱と、死後も続く影響力への期待を示しています。周囲の人々は、彼の言葉に感動し、涙を流しました。メルツィは、「師匠は、最後の瞬間まで創造のことを考えていた」と証言しています。


◆死生観・宗教観の分析


 ダ・ヴィンチの生涯を通じて、彼の死生観や宗教観は変化していきました。若い頃は、キリスト教の教義に従いながらも、自然や人間の理性に対する探求心が強く、科学的な視点を持っていました。彼は、死を自然の一部と捉え、生命のサイクルを理解しようとしました。


 晩年には、彼の宗教観はより個人的なものとなり、神秘主義的な要素が強まりました。彼は、宇宙の法則や自然の美しさを通じて神を感じるようになり、死を恐れることなく受け入れる姿勢を見せました。臨終の際の彼の態度は、彼が生涯を通じて培ったこの死生観を反映していると言えるでしょう。


◆特徴的なエピソード


 ダ・ヴィンチの臨終に関する特筆すべきエピソードは、彼が生涯を通じて追求してきた「完璧な人間像」の概念です。彼は、人体の解剖を通じて人間の構造を深く理解し、その知識を絵画に生かしました。彼の最後の瞬間においても、彼の心には「人間の本質」がありました。彼は、死を迎えるにあたり、自身の作品が人間の理解を深める手助けになることを願っていたのです。


 また、彼の死後、彼の作品や思想は、後の芸術家や科学者に多大な影響を与えました。特に、彼の解剖学的な研究は、医学の発展に寄与し、ルネサンス期の人間観に新たな視点をもたらしました。


◆歴史的・文化的視点


 ダ・ヴィンチの死は、ルネサンスの終焉を象徴する出来事の一つとされています。彼の死後、ヨーロッパは新たな時代に突入し、宗教改革や科学革命が進行しました。彼の死は、当時の人々にとって、偉大な思想家の喪失を意味し、同時に新たな時代の到来を予感させるものでした。


 当時の死生観は、キリスト教的な価値観が強く影響していましたが、ダ・ヴィンチのような思想家の存在は、自然や人間の理性に基づく新たな視点を提供しました。彼の死は、単なる個人の喪失にとどまらず、文化や思想の変革を促す重要な出来事であったのです。


◆まとめ


 レオナルド・ダ・ヴィンチの臨終は、彼の生涯と思想を象徴する瞬間であり、彼の死は後世に多大な影響を与えました。彼の死生観や宗教観は、彼の作品や研究に深く根ざしており、彼の遺したものは、今なお多くの人々に感動を与え続けています。ダ・ヴィンチの最期の瞬間は、彼の偉業を再確認させると同時に、彼の思想が未来に生き続けることを示しています。


※備考:レオナルド・ダ・ヴィンチが追い求めていた「完璧な人間像」について


 レオナルド・ダ・ヴィンチが追い求めていた「完璧な人間像」は、彼の芸術と科学の探求において中心的なテーマでした。特に「ヴィトルヴィウス的人間(Vitruvian Man)」という作品がその象徴です。この作品は、古代ローマの建築家ヴィトルヴィウスの理論に基づいており、理想的な人間のプロポーションを示しています。


## ヴィトルヴィウス的人間の概要

- **作品の説明**: 「ヴィトルヴィウス的人間」は、レオナルドが1490年頃に描いたもので、円と正方形の中に描かれた裸体の男性が、両腕と両足を広げた姿を示しています 。

- **ヴィトルヴィウスの影響**: ヴィトルヴィウスは、彼の著作『建築について(De architectura)』の中で、人間の体が円と正方形に収まることを提唱しました。レオナルドはこの理論を基に、人体の理想的なプロポーションを探求しました 。


## 完璧な人間像の探求

- **人間のプロポーション**: レオナルドは、人体の比率や形状に関する詳細な研究を行い、特に筋肉や骨格の構造に注目しました。彼の解剖学的研究は、人体の理解を深めるための重要なステップでした 。

- **美と調和の象徴**: ヴィトルヴィウス的人間は、美、調和、そして人間と神聖なものとの交差を象徴しています。この作品は、ルネサンス期の人文主義の理念を体現しており、科学と芸術の融合を示しています 。


## レオナルドの解剖学的研究

- **解剖学の進展**: レオナルドは、人体の内部構造を理解するために多くの解剖を行いました。彼は、100歳の男性の解剖を行った際に、死後の体の変化を観察し、解剖学的な知識を深めました 。

- **科学と芸術の融合**: 彼の解剖学的なスケッチは、単なる科学的な研究にとどまらず、芸術的な表現としても高く評価されています。彼の作品は、人体の美しさと機能を同時に探求するものでした 。


## 結論

レオナルド・ダ・ヴィンチが追い求めた「完璧な人間像」は、彼の芸術と科学の探求の中で重要な位置を占めています。「ヴィトルヴィウス的人間」は、理想的なプロポーションを示すだけでなく、彼の人文主義的な思想や美の探求を象徴しています。彼の解剖学的研究は、人体の理解を深めるだけでなく、芸術における人間の表現を豊かにしました。レオナルドの探求は、今なお多くの人々に影響を与え続けています。



### レオナルド・ダ・ヴィンチの年表


### 年表


#### 幼少期と教育

- **1452年4月15日**: レオナルド・ダ・ヴィンチ、イタリアのヴィンチにて誕生。父親は公証人、母親は農婦であった。

- **1466年頃**: フィレンツェに移住し、アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入り。ここで絵画や彫刻の技術を学ぶ。


#### 職業と業績

- **1472年**: フィレンツェの画家ギルドに登録され、正式な画家としてのキャリアを開始。

- **1475年 - 1480年**: 『洗礼者ヨハネ』や『受胎告知』などの初期の作品を制作。

- **1481年**: フィレンツェのメディチ家からの依頼で『聖母子と幼児聖ヨハネ』を制作するが、未完に終わる。


#### 重要な作品と旅行

- **1495年 - 1498年**: ミラノのドゥカーレ宮殿で『最後の晩餐』を制作。この作品は、キリストの最後の晩餐を描いたもので、後の美術に多大な影響を与える。

- **1499年**: ミラノがフランス軍に占領され、レオナルドはフィレンツェに戻る。


#### 解剖学と科学的探求

- **1500年 - 1510年**: 解剖学的研究を行い、人体の詳細なスケッチを制作。これにより、解剖学の発展に寄与。

- **1503年 - 1506年**: 『モナ・リザ』の制作を開始。彼の最も有名な作品の一つとなる。


#### 晩年と影響

- **1513年**: ローマに移住し、教皇レオ10世の庇護を受ける。ここで多くの科学的な研究を続ける。

- **1516年**: フランスのフランソワ1世に招かれ、アムボワーズに住む。彼はフランス王の顧問としても活動。

- **1519年5月2日**: アムボワーズにて死去。彼の死後、彼の作品と思想は後の世代に大きな影響を与える。


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