青春は一度だけ (1)
「あ……!」
もう、こんな時間。
「どうしよう? 始まっちゃう」
課題のレポートの手を止めて、リビングへ走る。
「どうしたんだ? 璃子」
「テレビ! 遊佐くんが出るの」
お父さんから、リモコンを取り上げる。
「録画してないのか?」
「もちろん、録画もしてるけど」
今日は、なんと、モノレール初のテレビ生出演の日……!
「だったら、そんな大騒ぎしなくても」
「黙ってて、お父さ……あ、遊佐くん! わあ、響くんも」
テレビの画面が音楽番組に切り替わった。すでに見慣れたMVの映像だけど。地上波のテレビで観ると、感動しちゃう。
「たしかに、人気があるのはわかるなあ」
「…………」
もう、お父さんの声なんて、耳に入らない。遊佐くん、涙が出るくらい、格好いいよ。見飽きることのない、斜め上に顔を向けて歌う遊佐くんの姿と、いつまでも聴いていたい、奇跡みたいに甘い透明な声。
「遊佐くん……」
画面越しでも頭と体が痺れちゃう。やがて、曲が終わって、始まったトーク。そこでは、M C の人の質問に遊佐くんが要領よく簡潔に答え、時折、ふてくされたような表情の響くんが補足していく。何から何まで、完璧。
「あ、あのシャツ」
この前、ひさびさに会ったときに着てたのと、同じ。あのシャツを着た遊佐くんに抱きしめられたり、キスされちゃったり……。
「電気、消しておけよ」
「ん? うん」
お父さんに生返事して、引き続き、画面に集中する。でも、それにしても……さっきから、考えないようにしようとはしてるんだけど、どうしてもモヤモヤが拭いきれない。
隣に座って映ってる、どこかで見たような、あのアイドルらしき女の子。絶対、遊佐くんに、くっつきすぎだよ……!
「どうだった? 昨日は」
どうせ、全て見透かしてるくせに、わざわざ聞いてくる、意地悪な遊佐くん。
「……格好よかったよ」
誰よりも、いちばん遊佐くんが目立ってた。
「あとは?」
「えっ?」
遊佐くんが、わたしの頬をなでる。
「それだけ?」
「それだけだもん」
隣にいる女の子が嫌だったなんて、わたしの口からは言わないんだから。
「なんだ。つまらない」
「な、何が?」
まさか、わたしの反応を見るために、わざとイチャついてたの?
「何でもない」
やっぱり、意地悪く笑った遊佐くんが、わたしの服の中に静かに手をすべり込ませる。
「会いたかった。璃子に」
「本当に……?」
“ 璃子” って、名前で呼ばれるたび、いまだに、わたしはドキドキする。最初のうちは、たまに呼び間違えることもあった遊佐くんの口から、 “立原” という名字が出ることは、もうなくなっていた。
「遊佐くん」
「ん……?」
一度、名残惜しそうに、わたしの体から舌を離して、遊佐くんがわたしを見る。
「好き」
「誰が?」
「遊佐くんが」
「もっと」
「遊佐くんが、大好き」
そこで、今日でいちばん、満足そうな表情を浮かべた遊佐くんに、今度は唇をふさがれて、ベッドの中に沈められる。
「言って……遊佐くんも」
わたしのこと、好きって。
「嫌だ」
「どうして?」
遊佐くんの体に、しがみつく。
「璃子が可愛いから」
「遊佐くんの、意地……」
そこで、いつものように、わたしは口がきけなくなるの。
「…………」
ベッドの中から、身支度を整える遊佐くんを見る。
「どうした?」
「ううん」
遊佐くんが腕時計をはめてる姿、昔から好きなの。うつむいた横顔も綺麗だし、細く長い指の動きも、わたしより色気があったりして。
「璃子、北村たちと練習だったよな? 夕方から」
「あ、うん。遊佐くんもだよね?」
「そう……ああ、その前に打ち合わせもあるけど」
少し考えてから、棚の上のタバコとライターをシャツのポケットに収める、遊佐くん。変なの。昨日、テレビに映っていた遊佐くんと、ここにいる遊佐くんが同じ人だなんて。
「鍵、ちゃんと閉めていけよ」
「わ、わかってるもん」
遊佐くんに鼻をつままれて、我に返る。
「じゃあ」
「うん。頑張って……」
いつもどおり、触れるようなキスをしてから、遊佐くんがギターを持って、先に部屋を出ていく。
「行っちゃった」
もう一度、遊佐くんのいなくなったベッドの中に、もぐり込む。遊佐くんの匂いがして、気持ちいいの。こうやって、わたしの中に、少しでも遊佐くんを充電しておかなきゃ。
最近は、遊佐くんも響くんも、忙しそう。予想をはるかに超える、モノレールの急成長ぶり。それは、わたしにとっても、うれしいことなんだけど……ゆっくり会う時間があったら、もっといいのに。
今日だって、一緒にいられたのは、授業と練習の間のほんの数時間。昨日、テレビで遊佐くんと話していた女の子の方が、よっぽど長く遊佐くんと過ごせたことになるんじゃないかな。
わたしも、あんなふうに違和感なく、遊佐くんと並んでみたい。でも、どう考えても、わたしがアイドルを目指すなんて、無謀だよね。そうだ! ここは思いきって、女子アナになって、音楽番組で共演を果たしちゃうとか ————— 。
「昼寝してて、遅れたの?」
あきれ顔の北村くん。
「ごめん! ごめんなさい」
目を覚まして、顔面蒼白になり、すぐに練習場所の教室に向かったものの、残されていた時間は、あとほんの数分。
「まあ、いいけどね。ちょうど、木藤くんがいてくれたし」
「あ、木藤くんが」
「璃子さんの代わりに、叩かせてもらってました」
後輩のドラムの男の子が軽く頭を下げて、笑ってくれる。
「どうする? 一曲くらい、叩いてく?」
「や、せっかくだから、木藤くんのドラムを聴かせてほしいな」
かつて、なんと、わたしのドラムに憧れて、入部を決めてくれたという木藤くん。一年の頃、このわたしが手ほどきしてあげたんだよね。
「じゃあ、さっきの曲、もう一回やろうか」
「はい」
うれしそうに返事する、木藤くん。まだまだ、初々しくって、可愛いなあ……と、温かい目で見ていたんだけど。
「ん?」
北村くんたちの演奏に合わせて、ドラムを叩く木藤くんに、目を見張る。
「すごい……」
いつのまにか、わたしよりも、全然上手じゃん!
「木藤くん、すごい上達したでしょ? 璃子ちゃん」
「う、うん。びっくりしたよ」
文字どおり、目を白黒させながら、弓ちゃんに応える。
「今、あちこちで、木藤くんの争奪戦が繰り広げられてるくらい」
「あ……そうだろうね、うん」
確かなセンスも安定感もあって、言うことないよ。いつのまに、こんなに差がついちゃってたんだろう? 自分が教えた後輩の成長がうれしい反面、軽いショックを受けた。
「璃子ちゃんも、このバンドを解雇されたくないなら、遅刻しないように」
「は、はい……!」
思わず、北村くんの言葉に、背筋を伸ばすと。
「嘘だよ。みんなで、何か食べに行こうよ」
笑って、北村くんに背中を押された。
「響くん、昨日も格好よかったなあ。私設ファンクラブ、作っちゃおうかな」
店のテーブルに着くなり、うっとりと声を漏らす弓ちゃんと、やれやれといった感じの小林くん。
「響くんの? 遊佐くんじゃなくて?」
どう考えても、いちばんは遊佐くんでしょ?
「璃子ちゃんには悪いけど、わたしは俄然、響くん。あのナッチを全く寄せつけないところとか、最高。ナッチが的外れな質問したとき、虫を見るような目で見てたよね」
「ナッチ?」
「璃子ちゃん、知らなかったの? トークの間中、ずっと類くんに引っつきっぱなしだった、ナッチ。最近、いろんな層から受けてるアイドルだよ」
「やっぱり……!」
誰から見ても、くっつきすぎだったよね。
「でも、気にしなくても大丈夫だと思うよ、俺は」
「そうだよね? 遊佐くんの方は、そんな気なさそうだったしね」
さすが、北村くん。やっぱり、美緒ちゃんとつき合うだけのことはあって、優れた洞察力だと思ったら。
「いや。そうじゃなくて、しょうがないよ。ナッチが相手じゃ、類くんだって、デレデレするのは当然だよ。普通、普通」
「遊佐くんは、デレデレなんてしてないもん」
北村くん、何てことを言うの?
「そうそう。ナッチ、やたらと類くんの体に胸を押し当ててたよね」
「ええっ?」
さらに、どうってことのない調子で、わたしに揺さぶりをかける、弓ちゃん。
「それも気がつかなかった?」
「そこまで、気が回ってなかったよ……」
わたしの二倍、いやいや、五倍はありそうだった、あの胸を?
「ナッチといえば、インスタとかで、おおっぴらにモノレール推してるんで有名ですよね」
木藤くんも話に入ってくる。
「何? 璃子ちゃんのライバルは、アイドル?」
弓ちゃんなんて、目が輝き出してる。
「や、でも、いくら遊佐くんだって、アイドルに言い寄られるなんてことは、さすがに……ねえ?」
一般の人の中でも特別な存在なのは、確かだけど。
「意外と、のんきだよね。璃子ちゃんって」
むしろ、驚いてるようすの北村くん。
「類くんはね、もう普通の人じゃないんだよ。類くんは、一般人じゃなくて……」
「一般人じゃなくて、何?」
待ちきれなくて、北村くんの言葉の続きを促す。
「芸能人だよ」
「へっ?」
「つまり、璃子ちゃんは、芸能人の彼女。うわあ。漫画みたい」
楽しそうに、弓ちゃんが大きな声を上げた。
「芸能人の彼女だなんて、大変ですね」
木藤くんまで、ひやかすように。
「げ、芸能人の彼女……!?」
このわたしに、そんなものが務まるのか、不安しかないよ。
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