温室の愚者

銀の羊

第1話

 私が仕事をする場所は、家から自転車で十分ほどの場所にある。田んぼに囲まれた土地に小さな印刷会社がありその横にもたれかかるように建っている小さな小屋だ。

 始業時間は午前九時。晴れの日にはきっかり二十分前に家を出る。

 今日は天気も良く気持ちも上がりスカートなんぞをはいてきたせいで、自転車に乗りにくく、途中で降りて押してきた。

 自転車を停め、小屋の鍵を藍色のトートバッグから出す。南京錠の鍵穴にガチャガチャと鍵を差し込み鍵をあける。のびた前髪がうっとうしい。ガタガタと鳴らしながら引き戸をあけると、土の香りが鼻についた。

 トタン屋根にからすが舞い降りたのかカタカタと足音が聞こえる。

 おそらくもともとは温室だったのだろうその小屋は、東、南、西の三方向の壁がガラス張りになっていて、今日のような天気の良い日には暑いくらいに陽の光がはいるが、そのかわり天井が高いので、暑い空気は上にあがり、なんとか午前中はしのげていた。だが真夏は私がつけたカーテンをひいても命の危険を感じる為、出勤して一時間で早帰りすることもある。

 床はでこぼこと、緑色の美しい模様がほどこされている大きなタイルが、けしてきっちりではなかったが敷かれていた。

 小屋の中央には、印刷会社の社長がくれたおさがりの事務的な机と、パイプ椅子が二脚。

 ガラス面になっていない北側には床のタイルを押しのけて、壁を邪魔そうにみかんの木が生えていた。

 ここへ出勤するのは私一人だった。私が決めた、私の仕事場だ。

 私はパイプ椅子に腰掛け、持ってきた水筒を机の上に置き、水筒の小さな蓋をコップにし、冷たいアールグレイの紅茶をそそぐ。

 もうこれは何年も、晴れの日も、雨の日も、雪の日も続けている儀式のようなものだ。

 そそがれた紅茶を一口でごくごくと飲み干し、大きく深呼吸をする。

 そしてあとはお客様を待つだけだ。

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