平和喪失刑

名久井悟朗

判決

「被告人を平和喪失十年間に処す。この裁判が──」


 この時の俺は、辛気臭い顔をした裁判官が、真面目腐った口調で宣った言葉の意味が分からず、間抜け面で眉をハの字にしていたと思う。


 そもそも第一審の俺への判決は懲役六年だった。


 世間じゃあシリアルキラーだの連続殺人鬼だの言われちゃあいるが、俺が何人も殺しただなんてのはただの憶測にすぎない。


 たまたま、幾つかの行方不明事件現場付近で俺の車が近くにいた証拠があるのと、俺の犯行の手際の良さが評価されて他にも何人も殺してるだのと言いがかりをつけられているに過ぎない。


 実際、立件できたのは逮捕された殺人、死体損壊それぞれ一件だけ。


 まぁ、六年ってのは軽い方だと思った。


 ついニヤリとしちまった。


 そしたらあの婆、泣き叫びやがった。


 奇麗に化粧でをして、高そうな服やカバンを持って、プルプル震えながら耐えていたお上品そうな婆が、判決を聞いて俺と目が合った瞬間、目を見開いたかと思うと恥も外聞もかなぐり捨ててぐちゃぐちゃの顔で泣き叫んだんだ。


 最高だった。


 今まで若くて顔のいい女を抵抗できなくなるまで殴って、殴って、絞めて、犯して、切って、刺して、犯して、殺して、犯して、バラシて、犯すのが何度ヤってもたまらない最高の楽しみだと思ってた。


 そういやあの婆の娘も良かった。


 今まで五本の指に入るくらいだ。


 捕まえやすさまで入れたら三本の指だ。


 夜中の雨空の下、自販機近くで雨宿り、気合入れたヒラヒラの服を着てたが、小物は汚れ靴もボロボロ。


 見るからにカモだとわかったね。


 実際、声掛けたら簡単にホイホイついてきて、疑いもせず薬入りのコーヒーを飲みやがった。


 そんな感じで頭は残念だったが、顔も良かった。体もいい肉付きをしていて心は折れても体は色々しっかり耐えてくれた。


 まぁ、締りは良くなかったが、首を絞めればそれなりに締まったし、死んだ後は死後硬直の具合が丁度良かった。


 ああいう、頭パーの見てくれだけの女の親はどうかと思ったが……


 最高の娘を産んでくれた婆だったが、娘だけじゃなくて婆自身も顔と反応だけで俺を楽しませてくれるなんて思いもしなかった!


 年増で高慢ちきな婆の鼻を折るってもの、体を犯すとはまた別の快楽だ。


 本当に最高過ぎてあの場じゃなきゃ絶対に犯して殺して、犯して、バラシた後も犯してた。


 まぁ、耐えきれずにそう笑ってたら控訴されて二審じゃあ十年を食らっちまった。


 一人殺ったのがバレただけで十年は酷いだろ?


 だから今度は俺が控訴してやった。


 弁護士先生も「もっと短くできる」と言ってたしな。


 で、その結果がこれだ。


 平和喪失って一体何だ?


「──現時点より執行する。未決勾留中八年二百十六日はその刑に算入しない」


 ちょっと前に新聞で読んだ気がしないでもないが……


「おい先生、平和喪失って──」


 弁護士の方を向いてそう訊ねた瞬間、言葉よりも先に奴が振り返り俺を強く突き飛ばした。


「逃げろっ!!」


 さっきまで俺がいた空間を椅子が通り抜けた。


「殺してやるぅっ!!!!」


 怒声の方を振り返るとあの婆の夫。爺が柵を乗り越えて俺の方へと迫っている。


「何をしてる!早く逃げなさいっ!!」


 弁護士先生が俺を庇う様に立ちはだかる。


 わけのわからん状況に面食らってる場合じゃない。


 俺は振り返り、立ち合いの警察の下へ逃げる。


「何やってるんだ!殺すとか言ってるぞっ!?早く助けろっ!!」


 振り返れば、鬼気迫る表情の爺を弁護士先生が何とか抑えているが、今にも突破されそうな勢いだ。


 いや、それだけじゃなくて周りの人間まで爺に協力しようと動き出している。


 どうなってるんだ!?


 あんな爺だけならなんともないが、下手に殺してまた裁判なんかになったら、次のお楽しみがいつになるかわからん。


 そう上あの人数が爺に協力したとなっちゃ本当に殺されかねん。


 俺は恥も外聞もなく警察に助けを求めたが、奴らは困惑しながらも首を横に振った。


「だ、駄目だ。彼等は何も法を犯すような事はしていない」


「ざっけんなよ!現に今俺を殺すって言ってるじゃねーかっ!!」


 ふざけてるようには見えないが、奴らはふざけたような反応を返す。


 警官を目の前に殺すとか言っている暴徒相手に法を犯してないって、どうなってるんだ……


「っ!!」


 思い出した。


 記憶の片隅にあった新聞で読んだ記事を思い出した。


 懲役刑、罰金刑等の刑罰に加わった新しい刑罰。


 平和喪失刑。


 処された人間は、期間中一切の法の保護を失う。


「くそっ!!」


 つまり、奴らは俺に何そしても、殺したって罪にはならないって事じゃねーか!!


 そんなバカみたいな刑罰が実際に施行されるだなんて思ってもいなかった。


 どうすりゃいいんだよ。


 このまま裁判所から逃げればいいのか?


「あ、おい俺を警察署まで連れてけ!!」


「え?」


「だから、俺を勾留してた警察署まで連れてけよ!そこに俺の荷物があるんだ!別に奴等を捕まえろって言ってるんじゃないんだからいいだろ!!」


 走って逃げたって無理に決まってる。 


 一か八かこれにかけるしかない。


 こいつらだって警察官だ。目の前で人がリンチに合うのなんて見たくない筈だ。


 何より初めて尽くしの事案で、目の前で殺人があったのに、警官がそれをボーっと眺めていたなんて外聞が悪すぎる。


「──っ、わかった。早くこっちに来い」


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る