4-3 Alla malora!(地獄へ行け!)

 あの日、オルロフの息子だったモノをセリスが倒した日以来、シオンはセリスに心ひかれていた。


 美の局地を極め抜いた至高の美。どうしても追いかけたくなる。いや、そもそもいつから気になる存在だったのだろう。



──時は遡る。1793年。 

 何を頑張っても一応は褒められる。しかし、その後には必ず『でも、リンデンバウムのお嬢様の聡明さには驚くわね。』いつもそれと比較される、目の上のたんこぶ。シオンはその言葉に常々うんざりとし、いつかそのリンデンバウムの娘とやらに自分の方が上だと認めさせたくなっていた。年下の貴族のお嬢様に。


 12騎士に選ばれた時、シオンは驚愕した。伝説のあのお伽噺の騎士たちが存在していたのだ。


「君の一族は代々、12騎士の7位を務めている。その矜持がその姓なのだろう。王を守る夜空の七つ星。その当主が12騎士になり続けている。これでこの国は安泰と言うものだ。」

 シオンは拝命のため、謁見の間にいた。12騎士1位。それが国王アルヴィス・オーギュスト。その人は薄気味悪い笑顔を浮かべていた。侍従に何か耳打ちすると、遠くから規則正しい軍靴の足音が聞こえてきた。


「陛下、何か御用でしょうか。私は勤務時間外なので、残業手当の申請をしますがよろしいですよね。」


 国王にも怯まない、澄んだ美しい声の主を見た。真っ直ぐな美しいプラチナブロンドの髪、長い睫毛に縁どられた暗緑色の瞳、白い陶磁器のような肌、美術館に寄贈されてもおかしくはない彫刻のような美しい人。その人がシオンを冷たく興味なさげに見ていた。


「7位、こちらが4位セリス・フォン・リンデンバウム。表向きは私の最側近さいそっきん警護官だ。」


 そして、アルヴィスは話を続ける。


「4位、こちらが新しい7位だ。」

セリスの表情は変わることない。



「私は先ほど陛下より紹介があった通りの者だ。私について知りたければ陛下に聞くが良い。私用があるので、これにて失礼させて貰います。構いませんね、1位。」



アルヴィスの返事も聞かず、セリスは勝手に再び軍靴を鳴らして何事もなかったかのように退出していった。その姿を見てアルヴィスは笑い始める。


「気にするな、7位。4位はいつもあんな感じだ。誰にも懐かぬ獰猛な猫だと思えばいい。あれでも10歳の頃から、他の騎士と同等以上に戦ってきた子だ。少々、性格に難ありだが、他の12騎士とて変わらんよ。最高にイカれたヤツが12騎士となる。7位、君だってそうだろう。歴代の方術士の中で、最も恐ろしいモノと複数契約を結び式神として操る。どうだ、違うか。」


 自分の術式をずばり当てたアルヴィスの姿にシオンは恐怖した。



 方術士の力量は式神の多さや、その強さに依存する。即ち相手がどのくらいの術士かを計るには、それを見破ればいい。己の手の内をおいそれと晒す方術士はいない。それは往々にして、死に繋がるからだ。こちらが召喚した式神に対し、相手が優位な術を先に用意できるなら、方術士に勝機はない。式神を操るのは、式神それぞれの術符とみことのりを要する。他の魔術に比べ、発動と覚醒に時間がかかる反面、強力な力を発動できる。


 アルヴィスは知っているのだ。方術の強みも弱みも。そして、シオンがどのくらいの力量かも。

 真意の読めないどす黒い不敵な笑みを浮かべるこの男は国を統べ、12騎士をも統べている。



──時は、1802年。

 シオンは王都へ用事に来た際に、議会場で開かれている三部会を見学にきた。国王アルヴィスの隣に二振りの剣を帯刀し、苦虫を噛み潰したような冷酷な目で議会を眺めているのが見えた。プラチナブロンドの髪は否応なく目立っている。

 セリスが2位、剣聖となった事は、アルヴィスからの書簡で知っていた。術だけでなく、剣技も彼女は極めている。以前なら苛立つことも今ではただ素晴らしいと褒め称えたいだけになった。至高の存在の彼女を手に入れたい。シオンの中で独占欲が大きく膨らむ。


 あの美しく気高い獣の全てを支配したい。


 議会の終わりを告げるガベルが一度鳴らされると、アルヴィスはセリスを伴い退出する。シオンは慌てて、議会場から王宮へと続く長い廊下でふたりを待った。シオンに先に気付いたのは、アルヴィスの方だった。


「これはこれは珍しい。こんなところでナナイ殿と会おうとは。」


 アルヴィスは、相変わらず持って回った言い方で、シオンに声をかける。


「私はどうも世事に疎いので、王都に来たついでに寄らせていただきました。形式上の三部会。誰が踊らされているのか、気が付かないだけなのか、あえて気が付かないフリをしているのか。多数の方術士を纏める者として、大変勉強になります。」

 シオンの言葉に満足したのか、アルヴィスは高らかに笑いながら去っていった。



「失礼。」



 そう言って軽く頭を下げるセリスには、以前のような張り詰めた空気はない。冷淡ではあるが、どことなく余裕さえ感じられる。その変化の原因が何なのか、シオンは解らずにいた。




 そんなある日、魔族発生の警告が鳴った。


「2位、3位、7位は出動。他の騎士は待機。」 


 異例の3人の出動。現場に着いた時には、ふたりは既に到着していた。

 3位のアレックスは、相変わらずの優しい声で作戦をふたりに伝える。


「今回は分裂型の様です。そして弩級以上に進化する可能性があります。一方向からの攻撃では、核が分裂して再生すると、御神託は9割の確率と計算しているようです。そこで3方向からの最大出力での同時攻撃でいきます。私と7位殿は詠唱時間があるので、セリスはタイミングを合わせてください。良いですか。」


 アレックスの言葉にハイハイと肩をすくめたセリスの左薬指に、細い指輪をシオンは見つけた。やはり誰か既にこの人と結ばれているのではないか。



 その邪念が、シオンの心に黒く広がっていった。

──なぜ、自分ではないのか。




 数日後、セリスは香木を取りにシオンの屋敷に来て、調香について話していた。

「香を服に焚き染める。おもしろいな。」

セリスの目が輝く。


 この人をこんなも優しく変えたのは誰だ。左薬指にやはり指輪が輝いているのを確認し、シオンは思い切って質問した。


「4位、いや2位。ご結婚なされたのですか。」

 シオンの質問に顔を赤らめながら、セリスは応える。


「そんなところだ。」


 肯定でも否定でもない返事。長い睫毛が瞳を覆う。なぜはっきりと言わない。相手は妻帯者などのいわゆる道ならざぬ恋なのか。シオンは考えを巡らせるが、明確な答えは一切出せないでいた。




 ある日、国立図書館にシオンは来ていた。身分証を提示しなければならない最重要閉架図書の部屋に置いてある『古代魔術と召喚術に関する一考察』を見に来た。

 著者は──セリス・フォン・リンデンバウム。


 読み始めると理路整然とした文章、そして添えられていた魔法陣と召喚獣の図解。文字の海にどんどん引き込まれる。

 魔法の解説と、古代魔法と現存の魔法陣との比較、及びその効果の違いが事細かに記されている。


 あまりにも完璧すぎる論文。


 何故この論文が図書館の最奥にあるのかシオンは理解できた。これが表に出て、術式の展開ができなかったら。もし制御できなかったら。そうあのリンデンバウムの事故以上の事が起きる。だからこの論文が正しくても表には出せない。


 そして、なによりも恐ろしいのが、完全無欠な論文を書いたのが10歳の少女だと言うことだ。



 くらくらする頭で閉架図書の部屋から、開架図書の場所へ移動する。シオンは書籍特有の独特な香りを吸い込んだ。昼下がりの図書館はぽつりぽつりと利用者がいるものの静けさが辺り一面を支配していた。シオンは久しぶりに本を借りようと、歴史小説の棚に移動する。すると奥から囁き声が聞こえた。どうやら男女ふたり組のようだ。


『もう少し右。』


『人使いの荒い…。いくらあなたが細身といっても、私に抱えさせないでください。私はあなたの梯子ではありませんよ。』


『この本、“鈍器のようなもの”。読みたかったけど廃版になっていて。』


『面白いのですか。』


『レビューは星4つだった。』


『あなたが人の評価をあてにするなんて、今の今まで知りませんでしたよ。』


 本と棚の隙間から、相手を伺う。長いプラチナブロンドの髪と深い緋色の髪。プラチナブロンドの髪色は少なくはない。隣にいる背の高い男性の深い緋色の髪色は殆ど存在しない。シオンはその髪色をした人を知っていた。



──教皇アレクサンドル・カーディナル。



 そして隣にいるのは2位か。シオンはなぜだか安堵した。ふたりの中の良さは誰もが知っている。そんな友だちのような関係なのだと、自分に言い聞かせていた。シオンはこっそりとふたりの会話を盗み聞きした。


『魔術で飛んで取れば良いのではないですか。』 


『趣きがない。』


『あなたが趣きを大切にするなんて。今日はセリスの知らない一面をふたつも知ることができて、神に感謝するしかありませんね。』


『うるさい。鼻摘むぞ。』


 ふたりは見つめ合って微笑んでいる。教皇は常に笑顔を振りまいているが、常に冷酷で冷静な、セリスの幸せそうな満面の笑顔──。その誰にも見せたことのないような屈託のない笑顔が自分に向けられる事はない。このふたりには特別な空気が介在している。互いに求め合う眼差し。そこはふたりだけの世界。


 あまりにも残酷なその事実は、シオンの心をさらに黒く蝕んでいく。



──同日、夕刻。

 シオンはシュテルン中枢中の中枢、大聖堂に

来ていた。夕焼けの明かりがステンドグラスをさらに輝かせる幻想的な空間の中、その人は白手袋に、長身だがしっかりとした体格であることを否応なく引き立てているスーツを着こなして現れた。


「先約があるので、このような格好で失礼します。ナナイ、初めてでしょう。どうです、私の仕事場は。」


 大人の余裕をも感じさせる神々しく豊かな響きのある声。


「幻想的で、神秘的ですね。私たちの神とは違う神が存在する。」


 いつものアレックスの柔和な笑顔が、今日に限ってシオンの気持ちを逆撫でる。


「神はひとつではないと私は思いますよ。それぞれが信じるものを信じればいい。教皇である私が言うのも変ですが。なにか私に話があるとか、ご希望通り人払いは致しました。」


静寂が耳に痛い。それ以上に不愉快な事の顛末をシオンはアレックスに求めていた。


「3位、手袋を外して下さい。」


アレックスは表情ひとつ変えない。



「もし、断わったら。」



その態度ひとつひとつがシオンの癪に触る。



「その手を斬り落としてでも確認します。」



シオンの強い言葉に、参りましたねと言いながら、アレックスは左手の手袋を外した。




「これが知りたかった、違いますか。私的な時間以外は他に指輪をしていますが、これだけは特別です。」




 夕陽がアレックスは左手の薬指に当たり、より輝きを増す。


「あなたは教皇でありながらシュテルンの教えに背くのですか。」

アレックスはその問いに微塵も迷う事なく返事をする。



「あの人と生きていけるのなら、私は今の地位など要りません。今、退位の準備をしている最中です。私が何であっても、あの人は私を求めてくれる。私もあの人がどんな姿であっても求める。互いの繋がりの証として、私はあの人と結婚しました。それにあの人は放っておくと、すぐに独断専行しますからね。」



シオンはさらに聞きたくなかった残酷な事を聞く。この疑いに完全に終止符を打つために。




「相手は2位、セリス・フォン・リンデンバウム。違いますか。」




アレックスはシオンに優しく微笑みかけ、事実を告げる。シオンにとって、それは死の宣告に近いものだった。




「ええ、あなたが言うように、私の妻はセリス・フォン・リンデンバウム、その人です。」




アレックスがセリスを妻と呼んだ事に怒りは頂点に達した。


「あなたと2位とでは歳が離れすぎているではないか。それにあなたは貴族ではない。」


アレックスはやれやれと言って、大げさに肩を竦める。



「そんな事は些末なことですよ。ただ私が早く生まれ、セリスが遅く生まれた。そして、身分が違うだけ。それだけの事です。それに先程も言いましたが、私はセリスという人間の全てを求め、彼女も同じだった。惹かれ合うには、それだけで十分な理由だと思いませんか。」



シオンは吐き気がした。どんなに求めていても、なぜ自分は目の前の人に勝てない。同じ12騎士なのに。なぜ自分は彼女に求められない。



 心の中が黒一色に染まる。



「ナナイ、聞きたいことはそれだけですか。」

大人の余裕か、勝者のなせる技か。アレックスの笑顔が歪んで見えた。シオンはどんどん自分の中に生まれていた黒い渦に引き込まれていく。


「ええ、少し気になっただけです。お幸せに、教皇聖下。」


もはや苛立ちしか感じなかった。地位も年齢も戒律さえも超えて惹かれ合うふたりの理由がわからなかった。

 そしてシオンは思った。



『彼女の隣にふさわしいのは私だ。』



──後日。

 セリスは再び、シオンの屋敷にいた。

「さすが調香も筋が良いですね。」

シオンの言葉に少しだけ微笑むセリスの顔には、あの日、そうあの図書館で見た満面の笑みはない。


「もう少し、優しいバラの香りにしたいのだが。」


その言葉にシオンの悪意の片鱗が吹き出す。



「あなたの夫、アレクサンドル・カーディナル聖下と同じ香りに。」



セリスの瞬時に放った風魔法がシオンの頬を掠める。


「だから何だというのだ。これは私たち二人の話だ。他の人間にとやかく言われる筋合いはない。場合によっては今すぐあなたに決闘を申し込む。」



 冷酷なセリスの言葉。

──そうだ、その強い瞳を欲していたのだ。美しい顔に強い意志を秘めたその瞳。シオンは歓喜した。この美しく獰猛なこの人の全てを私が支配したい。


「私が2位に勝てる要素はひとつもありませんよ。お気を悪くさせたようで申し訳ありません。」


その言葉が終わらないうちに、セリスはピアノの高音のような音だけを遺して、姿を消していた。




【翌日、丑三つ時にそれは起こった。】

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