第27話 開戦

 第9前線基地の地下はゆっくりと沈黙を取り戻していた。壁を這う配線の明滅が、生き物の呼吸のように不規則なリズムで点滅し、機械の残響がわずかに通路を満たしていた。空間は寒々しく湿った空気に錆の匂いが混じる。かつて戦争の前線として使われたこの場所には、今もなお「何か」が生きている気配があった。

 アルムは、ヨウたちの前に立ったまま動かない。

 彼女の背後に鎮座する召喚装置――ナギの成れの果ては金属とも生物ともつかぬ複合構造をもって空間を歪め続けている。彼の「核」のような場所からはぼんやりと光が漏れ、どこか懐かしいような深い悲しみをたたえた感情の波が漂っていた。


「ま、待ってください!私たちがここに来たのは交渉の為なんです。決して最初から彼を破壊するつもりではなく……」


 ユイが一歩進み出た。

 彼女の声には職務に裏打ちされた冷静さがあったが、その瞳には確かな恐怖と焦燥が揺れていた。ユイは震える手で端末を操作し、シミュラクラの「現場運用補助員」としての電子証明書をアルムに提示する。


「け……眷属化された住民が多数いるという情報はシミュラクラに留まらずセクター全域で共有されています。……シミュラクラは状況によっては「討伐」もやむを得ないと判断したんです。そしてこちらのお二方のようにセクター内外を問わず各勢力へ回収、破壊依頼を出しました。被害は……それだけ重大なんです」


 ──シミュラクラには皆さんを保護する余地があります。

 アルムはユイの言葉に少しだけ眉をひそめた。

 だが、すぐにゆるやかな微笑みに戻る。


「討伐……そして保護、ね。住民達は誰かにすがらなければ生きていけなかっただけ。今更「保護」という言葉だけを押しつけられても信じられるわけないでしょ?」

「最早シミュラクラだけの問題ではないんです。これは異常存在の拡散であり、武装蜂起に準ずる反乱です」


 アルムの声音が鋭さを増す。

 ユイとアルム──シミュラクラと下層住民。対話は平行線だ。

 異世界人のヨウ、余所者のエセルであってもユイの言葉に嘘が含まれていることは分かる。セクターは下層住民を保護などしない。ましてやテロリストの集団ともなれば当然だ。上から聞かされた言葉をそのまま口にしているのだろうが、ユイはシミュラクラの末端の職員に過ぎない。

 はっきりと言えば、余所者にも分かるほど綺麗事を並べているだけなのだ。


「あの装置を使って人々を眷属化させる行為、それ自体が……」

「違うわ。確かに洗脳は私が命じたことよ。ただね……召喚装置は人間抜きではただの置物なの。他の変異体も同じかどうかは知らないけれど、召喚装置は眷属の管理者を求めるわ」

「管理者?どういうこと?」

「貴女達も見て来たでしょう。召喚装置が生み出す勇者や聖女達を。そこにいる貴女もその「一体」ね。彼等は見ての通り、知性と感情を持つ生命体よ。だからこそ、ただ産み出しただけでは駄目なの。導いてやる人間が必要なのよ」


 話は法と正義感の問題へと移行し始めた。

 「装置と繋がった」というアルムによれば──装置は装置単体では効果を成さない。装置には使用の意思を持つ人間が必要。その理由は装置が生み出した「異世界人」の世話をする人間を求めているということであった。

 装置と繋がったことを裏付けるかのように、アルムはさらりとヨウが眷属の一体であることを言い当てると再びユイとの対話へと戻っていく。


「全ては装置、ナギの願いよ。私はそれを叶えてあげたい。装置の傍で泣く私に、ナギの声が「人を呼んで」と言ったの。彼は自身の使い方を教えてくれたわ。見て、選んで、声をかけて……必要な人に手を伸ばして救ってあげてほしいと語りかけてきたのよ。もう自分のように悲しむ人をこれ以上増やしたくないって」


 アルムの声は落ち着きを取り戻していた。

 彼女の言葉にユイは小さく息を呑んだ。どこかでそれは自分にも当てはまることのように思えた。方法こそ歪そのものだが、セクターのあるべき姿、又は人間の理想かもしれない。ユイは未だ彼女を悪人と決めつけることがどうにも出来なかった。

 その時――ギィッと軋んだ金属音が響いた。

 ヨウたちの背後、通路の影に潜んでいた存在がぬらりと姿を現した。それは人の姿をしていたが、明らかに人間ではなかった。瞳は虚ろに曇り、皮膚の下を何かが蠢いているように見えた。装置の共鳴に感応したのか眷属の一人が暴走を始めていた。

 暴走した眷属は唸り声のような呻きを上げながらヨウ達に襲いかかる。その動きは野生動物のように速く、制御不能だった。

 ユイが即座に構え、非致死性の弾丸を撃ち込む。眷属の動きが鈍り、壁に激突して倒れ込む。その直後、空間全体がわずかに震えた。


「……帰す気はないってこと?」


エセルが眉をひそめた。

召喚装置が反応している。ナギの「核」が揺れていた。

重力がわずかに反転するような奇妙な感覚が走り、空間の一部が歪んでいく。まるで映像が二重にぶれていくように廊下の端が歪曲し、幻覚のような像が立ち上った。

 ここからは私たちの領域よ──アルムが呟いた。

 その瞬間、召喚装置の核から光の奔流が放たれる。眷属と化した住民達が地下の隅々から現れ、ヨウたちを包囲する。彼らの姿は不安定で、形が溶けかけた粘土のようだった。一部は人のままで一部は異形の影に飲まれかけていた。また中には先程通路で対峙した「勇者」の姿も見られたが、創造が不完全なものであったのか……体は所々が溶け落ち、零れている。

 

「交渉は……決裂のようですね……」

「ユイさん、ヨウ、戦うしかないみたいよ」

「……やるしかないでしょうね。彼女を止められるといいんですけど……」


 ユイが唇を噛む。

 ヨウは視線を前に向けた。

 召喚装置――ナギの核からかすかに彼の声が聞こえた気がした。

 ……俺は誰かに助けてほしかったんだ。

 切実であまりにも弱い声。それがかつてのナギの声であることをヨウは直感的に理解した。


「ユイさん、私達も行くよ」


 ヨウは短く言い放ち、前に出る。エセルがそれに並ぶように続いた。

 アルムはこの状況にあっても微笑んでいた。悲しみを滲ませた笑みだった。


「ナギはきっと、君に会いたかったんだと思うよ」

「……そうかもね」


 ユイが拳を握りしめる。

 心の中に渦巻くのは、悲しみとも怒りともつかぬ、言葉にならない感情だった。

 ――戦いが始まる。ただの戦闘ではない。記憶と感情、そして過去の亡霊が渦巻く、召喚装置の深層での闘争だ。

 次の瞬間、ヨウとエセルは歪んだ空間の中へと踏み込んだ。ヨウの目にはナギの幻影が、彼女達を待っているかのように微かに笑ったように見えた。

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