第10話 エセルの話

「……現場の地図だけ見せられて話が終わっちゃったけど、どうやってそこまで向かうの?」


 説明はあっさりと終了し、説明が終わり次第環はそそくさと会議室を後にした。

 説明の内容はこうだった──第一にシミュラクラの管理するセクターへ向かうこと。第二にセクターの特色。第三にセクター内で代行チームのガイドを行うため、シミュラクラの職員が一人同行すること。それから環はシミュラクラの本部で別の仕事があるため、到着次第ヨウとエセルとは別行動になること。

 環が別行動になることは一先ず置いておくとして。問題はいつどのようにして現場へ向かうかという説明が無いことだ。

 ヨウは自分と同じように会議室に残るエセルに声をかけることにした。現地人のでも流石に投げっぱなしには困っていることだろう。


「環さんには空間結合の能力があるの。今いる場所と異なる場所とを繋げる能力って言えばピンと来るかな……本社へ来る時に体験してない?ドアを開けると突然別の場所に通じているとか」

「アレってあの人の能力だったの?」

「そうそう。と言っても仕組みとかはイマイチ分からないけど」


 初日にノエルと二人で歩いた屋敷からフェノム・システムズ本社までの道のりは環の能力によって作られたものであるという。

 とはいえ初仕事の依頼者であるシミュラクラのような「ゲートを潜ったら紐づいたゲートに瞬間移動できる」というほど便利なものでもないらしい──環の場合は会議室、通路、職員の生活空間といった核となるフロアごと移動させている。車を停車させるような感覚でフロアを「停めても問題の無い場所」に結合し、空間から空間へ移動している。そして今この瞬間にも自分達を乗せたこの空間は目的地に向けて移動をしているはずだという。

 エセルは「最初は驚いたけど」と言いつつ淡々と話した。


「そうだ。ヨウに話しておかないといけないことがあったの」

「何?」

「いいから来て!」


 エセルは勢いよく椅子から立ち上がると隣に座っているヨウの手首を握り、強引に会議室から連れ出す。エセルはこちらに有無を言わせないといった様子で早歩きのまま通路を抜けると、途中の部屋にエセル押し込むような形で入室した。

 扉の先にはガラス窓の部屋が広がり、窓の外にはヨウの慣れ親しんだ「現実世界」に程近い近代的な街並みが広がっている。雑居ビルが立ち並び、道路には車が行き交い、歩道には通勤や通学の途中であろう人々が歩いている。

 風景を俯瞰できるような場所──展望室のような部屋なのだろうか?

 ヨウはぼんやりと代行チームの「部屋」が本社の一階に位置していたことを思い出す。一度も建物の外に出ていないため確証はない上、自分が勘違いしている可能性はあるものの……このように高所にある部屋ではなかったはずだ。


「もう移動を始めてるみたい。ヨウ、このまま外を見ててね」


 エセルはヨウの手を引いて窓へと近付いていく。

 言われるがまま窓の外に視線を移すと窓の外の景色が動いていることに気が付いた。ヨウには「混んだ道を走行する車ぐらい」しか気の利いた例えは思い浮かばなかったが、それぐらいのスピードで自分達のいる部屋が前方へ移動している。

 ──通行人達を追い抜くようにして部屋が追い抜いているのだ。


「……部屋が動いてるの?」

「ええ、私達のいるフロアは本社から独立したのよ。だから本社のドアを開けたとしてもう『ここ』には通じないし……」

「じゃあ玄関を開けたら何処へ繋がってるの?」

「それが話しておかないといけないことなの。走行中、貴女がここから出ないよう言いつけろって言われてたの。直接言えって思うけど……口下手なんだろうね。単に面倒くさいことが嫌いなだけかもしれないけど」


 ヨウとエセルは並んで窓の外を眺める。

 漠然と外を眺め、ヨウには一つ気が付いたことがあった──時折ぱっと画面が切り替わるようにして景色が切り替わることがある。然しながら都市部の風景であることには変わらず、そもそもヨウにとってアウェーのこの土地で突然景色が変化したところでピンと来るものでもない。それでも突然眺めていたはずの道路や人間の姿が消える……というぶつ切り加減には違和感を感じざるを得なかった。

 エセルはとっくにこの移動方法に慣れているのか、話は既に「走行中」の注意に差し掛かっている。本来は移動を行っている本人がすべき話だろうと不満を漏らすエセルにヨウは数度頷いた。


「走行中にここから出た前例があるの?」

「自主的に外に出たって話だけど一応いるみたいよ。空間の狭間でミンチになったって聞いた。でも、その人は五体満足で今も生きてるらしいわ」

「なんで出たの?パニックにでもなったの?」

「トイレに行こうとしたんだって。ここにもいくつかあるのにね。環さんも他の社員も説明したけど言うこと聞かなかったらしいわよ」


 ──どの世界にもバカがいるものだ。手洗いを理由に空間の狭間で挽肉になるのは滑稽を通り越して憐れだろう。

 エセルは日常会話の延長のように驚くでも恐れるでもなく淡々と事故について語った。過去にも環は能力を用いて職員を移動させたことがあり、その際に職員の一人が

「自主的」に玄関から外へ出ようとしたのだという。もしかしたら走行中の注意を聞かされて錯乱したのかもしれない。


「そういえば電気・水道・ガス……とかここはどうしてるの。空間が独立しちゃったんじゃ色々と苦労が有るんじゃない?」

「移動中は別の空間の施設を借りてるの。だからたまにお風呂もトイレも多少構造が異なっているはずよ。使えないほど汚いってことは今のところないけど……条件に合う部屋を探すのにも苦労が有るんだって。まあ、大丈夫よ。環さん綺麗好きだから」


 電気・水道・ガス──こちらの世界の文明レベルはヨウが生活していた世界と然程変わらない。所々突出する技術は有れどインフラに関しての「不便さ」は同様だ。

 環はトイレやバスルームといった下手を都度、別の空間から探しては結合しているのだという。一瞬、ヨウの脳裏に無断使用や不法侵入という言葉が頭にちらついたがそれを補完するように使われているのは「放棄された空間」であることがエセルの口から語られた。

 ここではない世界の放棄された空間。辛うじてインフラが生きているが、誰も使用者がいない空間……或いは所有者が帰ってこない空間、というものが無数に存在しているという。

 ──後で入浴する際、自室のバスルームを確認してみよう。

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