つきしろ骨董店へようこそ!~霊の願いは当店におまかせください~

市瀬瑛理

第一章 こうして運命は動き出す

第1話 オッドアイがもたらす出会い・1

 夕暮れ時の静かな歩道には、二つの影が並んで伸びている。


「オッドアイ、しかも青い目ってすっげー綺麗だよな!」


 古賀こがみなとの顔をまっすぐに見つめている青年──月城つきしろ紫呉しぐれはしゃがみ込んだままそう言って、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。

 夕日を背負ったそれは、男の湊でも思わず見とれてしまいそうなほどにまぶしい。


 同じように歩道にしゃがんでいた湊は、紫呉のストレートな台詞と笑顔を前に、思わず呆気あっけにとられてしまう。

 我に返るまで、数秒の時間がかかった。


「……本当にそう思いますか?」


 自分よりも少し年上に見える紫呉に向けて、湊が明らかに疑いを含んだ口調で問いかける。同時に怪訝けげんな視線を投げたその瞳は、左目だけがにごりのない海を思わせる色をしていた。


 湊は髪色や肌の色こそ色素が薄めではあるが、純粋な日本人である。ハーフでもクォーターでもない。しかし、片方の瞳については日本人のものと少し違っていたのだ。


(お世辞とかじゃないのか……?)


 紫呉の答えを待ちながら、心の中でそっと眉をひそめる。


 つい先ほど出会ったばかりの人間の言葉だ。湊が半信半疑になるのも無理はないだろう。


 劣等感とまではいかないが、周りの人間と違うことを少々うとましく思っている湊には、紫呉の褒め言葉を素直に受け取ることができなかった。


 しかし、紫呉は湊のとげとげしい口調や視線を意にかいすことなく、またもきっぱりと言い切る。


「当たり前だろ。この俺が言うんだから綺麗に決まってんだよ」


 そして自信満々に胸を張った。


「……っ」


 改めて飛んできた言葉に、湊は瞠目どうもくし、息を呑む。


 にわかには信じがたいが、紫呉があまりにも堂々としているからか、不思議と嘘を言っているようには見えなかった。


 これはおそらく紫呉の本心なのだろう。そう思ってみると、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。


 それにここまではっきり言われてしまうと、もう信じるしかない。いや、きっと信じたいのだ。自分の瞳を褒めてくれた人間を。


 湊はゆっくり唇を動かして、言葉を紡いだ。


「……その自信はどこから来るんでしょうね」


 わずかに困ったような、複雑な笑みを浮かべる。

 それから小さく息を吐いて、


(どうしてこんなことになったんだっけ……)


 数十分ほど前のことを振り返り始めたのだった。



  ※※※



「ああもう、今日はホントについてない……っ!」


 湊がブツブツとひとちながら、人通りのない歩道にしゃがみ込んでいた。


 大学に入学して二ヶ月弱。ここまで運の悪い日は初めてで、思わず愚痴ぐちりたくもなる。


 そんな湊だが、こんな所で一体何をしているのか。

 答えはとても簡単だ。

 先ほどコンタクトレンズを地面に落としてしまい、それを必死に捜索中なのである。


「……はぁ」


 湊の口から溜息が零れた。


『溜息をつくと幸せが逃げる』とはよく言うが、湊にとってそんなことはどうでもいい。今の自分の中に幸せなんてものは存在していないと、本人がそう思っているのだから。


 そもそも、今日は午前中から運がなかったのだ。むしろ悪運にかれていたような気さえする。


 せっかくの日曜日だが、午前中に落ち込む出来事があった。

 アルバイトの面接に落ちたのである。いや、正確には面接をする前に落とされたと言った方が正しい。


 午後になっても気落ちしたままだった湊は気分転換をするべく、札幌の自宅近くにあるひばりが丘駅から地下鉄に乗って、ふらりと適当な駅──白石しろいし駅で降りた。ひばりが丘駅から五駅のところである。


 ちょっとした気晴らしの散歩をするつもりだった。


 これまで降りたことのなかった駅から出て、そのままぶらぶらとあてもなく歩き始める。最初のうちは初めて見る景色に、少しだけ気分が晴れた気がしていた。


 しかしそれからしばらくして、運悪くコンタクトレンズを落とし、現在に至っているというわけだ。


「どうして今日に限って悪いことばっか起こるかなぁ……!」


 湊は誰に言うでもなく、さらに文句をつのらせる。


 いつもは予備のコンタクトレンズと鏡を必ず持ち歩いているのだが、今日はルーティンが崩れていたようで、どちらも持ってきていなかった。


 今の湊が持っているのは、財布とスマホだけである。しかもそのことに気づいたのも、つい先ほどという有様ありさまだ。


 家を出る時に毎回、予備のコンタクトレンズと鏡をきちんと持っているか確認している湊ではあるが、思った以上に午前中の出来事が響いていたらしい。


 少なくとも、これまでほとんど崩れたことのなかったルーティンが大きく崩れる程度には落ち込んでいるようだった。


「しかも全然見つからないし……」


 自身の不運を呪いながらも懸命にコンタクトレンズを探していると、不意に何かの気配を感じた。

 とっさに振り向いてしまってから、激しく後悔する。


(そうだ、今はコンタクトがないから霊が見えるんだった……。まあ、放っておけば問題ない、よな……?)


 視線の先、少し離れた電柱のところに男性の霊が見えたが、無視することにした。それから、また大きな溜息を一つ。


 湊には『霊が見えて、簡単な会話もできる』という、本人にとっては迷惑でしかない能力があった。


 コンタクトレンズをつけている時には気配しか感じないが、外すと霊が見えてしまう。どういう仕組みかはわからないが、コンタクトレンズが視界から霊を遮断しゃだんしてくれているらしい。


 ちなみにつけているのは左目だけで、ブラウン系のカラーコンタクトレンズである。視力についてはまったく問題ないので、度なしのものを使用している。


(霊が見えるとか全然嬉しくない能力だよな。だいたいいつ使う能力だよ……)


 今度はがっくりと肩を落とす。


 霊がはっきり見えるようになったのは、小学校を卒業した直後の春休みだった。その時にうっかり霊に話しかけてしまったせいで、会話ができることにも気づいたのである。


 左目だけが青いオッドアイになったのも、ほぼ同時期のことだ。コンタクトレンズと霊の関係を考えると、やはりオッドアイも霊と無関係だとは言えないだろう。


 幸いというか救いだったのは、相談した時の両親の反応が「かっこいい!」だったことくらいか。


 それ以来、湊はコンタクトレンズで霊を見ることを拒絶し、関わることを徹底的に避けてきた。


 当然オッドアイについても、家族以外には一切見せていないし、話してもいない。他人にバレないよう、細心の注意を払いながら中学、高校と過ごしてきたのだ。


 湊は霊を無視しながら、引き続きコンタクトレンズを探す。


(おれ、何か悪いことしたかなぁ……)


 ここまで不運が重なるのには何か原因があるのではないか、と何とはなしに考え始めた。

 探す手を止めることなく、ここ数日の行動を振り返ってみる。


 しかしまったく見当もつかず、「きっとたまたまなのだろう」と煮え切らない気持ちを、渋々心の奥に片づけるのが精一杯だった。


 コンタクトレンズは、まだ見つからない。


「そろそろ諦めて帰ろうかな……」


 ふと口からそんな言葉が出てくるが、すぐに困り果ててしまった。

 捜索を放棄して帰ることも、もちろんできなくはない。しかし、そうなると左目は青いままで帰ることになるのだ。


「さすがにこの目で地下鉄に乗るのも、タクシーもちょっと嫌だなぁ。遠いけど歩いて帰るか……?」


 うつむいていれば多分気づかれないよな、唸るようにそう呟いた湊の左目は、まだ青いままである。


 次には、家族に車で迎えに来てもらうことも考えた。だが、車で日曜出勤している父親はまだ帰ってきていないはずだと、すぐに思い当たる。つまり、今は家に車がないのだ。


 せめて帽子でもあれば、多少は目を隠せたかもしれない。けれど普段から帽子をかぶったりはしていないし、今日はフードのついたジャケットやパーカーなども着ていない。


「どうしよう……。やっぱり歩いて帰るしかないかなぁ」


 しゃがんだ湊がさらに膝を抱え、もう何度目かもわからない溜息をついた時だった。


「おい、そこのお前。どうした?」


 突然背後から低い声が聞こえて、両肩が大きく跳ねる。これまで人がまったくおらず、予想もしていなかったのだから当然の反応だ。


 湊は早鐘はやがねを打つ心臓を懸命に落ち着かせながら、反射的に左目を手で隠す。失礼かもしれないとは思うが、その状態で後ろを振り返った。


 そこにいたのは、Tシャツとジャージ、そしてスニーカー姿の青年である。おそらくランニングかウォーキングの途中だったのだろう。


 青年は両手を膝に当て、前傾姿勢で覗き込むようにして湊を見ていたのだった。


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