・落ちこぼれ魔導師 裏世界を我が物とする

 オバちゃんに不審者扱いされようとも、無理して壁抜けに挑戦し続けたのには引っ越しよりも大きな理由がある。


 例えば学生寮。

 教室から学生寮の部屋に帰るには、歩いて10分ほどの移動時間がかかる。

 しかし壁抜けを使えば歩いて2分だ。


 俺は1000時間プレイした記憶を頼りに世界の裏側を進み、上位ランクの学生寮・ヴァレリウスの部屋をどうにか見つけ出した。


 そしてちょちょいと、寮の部屋にならばどこにもでもある衝突判定の設定ミスに角度を加えて、こうしてぶつかれば――


「おお、成功だ! 現実でも壁抜けワープって出来るもんなんだなぁっ!」


 こうしてヴァレリウスの部屋に簡単に来れるというわけだった。

 ゲームというは一見は全部繋がっているように見えても、実はエリアごとにデータが区切られている。


 つまり衝突判定の設定ミスは、バグ利用プレーヤーにとってはワープポータルというわけだ。

 え、ならなぜ寮の鍵を取りに行った?

 それはこれからすることを怪しまれないようにするためだ。


「よし、上手くいったところで全部持って行くか」


 ベッド、タンス、本棚、立派なテーブルセット。

 壁抜けのコツをつかんだ俺は、猫型ロボットが亜空間ポケットに物を詰め込むように、あっちの世界に家具、私物を運び込んだ。


 模様替えくらいのほどほどの苦労で、世界の裏側へのお引っ越しが完了した。


「ハハハッ、いいじゃん、これ! 超斬新!」


 広い漆黒の世界にタンスを立て、本棚を並べ、テーブルセットを開放的に配置して、白いベッドに身をもたげた。


 しばらく体を休ませた。

 家具一式を全部いただいたが、嫌疑をかけられてもしらばっくれればいい。


『ならどうやって、ベッドやタンスを人に気づかれずに外に運んだんだ?』


 と言ってやれば学園側は黙る。

 証明は不可能だ。

 この家具たちは俺がいただいた。もう返さん。


「ん……? あれって、柱……?」


 しばらくベッドでだらだらすると、視界の彼方に妙な柱を見つけることになった。

 起きあがってその柱に近づくと、ブレーカーのような小さなレバーがくっついていた。


 レバーの上には『時間停止』の殴り書き、下には『4倍速』とあった。


「なんだこれ……?」


 何も考えずにレバーを等速に入れた。


「うおっ!?」


 すると無音だった世界に人の声や生活音が広がった。

 ビックリしてレバーを『時間停止』に入れると、音が途絶えた。


「まさか、止まってるのか、この中の時間……?」


 その推測は正しかった。

 壁抜けをせずに、学生寮一階フロアの上によじ登ると、真上から覗き見し放題の天国がそこにあった。


 人の集まるエントランスホールに何人か生徒がたむろしていたが、彼らは微動だにしない。

 外の世界では――いやこの世界では時が止まっていた。



 ・



 時の止まった鍛錬空間を見つけた俺はプランを変えた。

 最初は壁抜けを使って【はじまりの森】に行き、そこでモンスターをテイムするつもりだったが、その攻略チャートをぶん投げることにした。


 俺はこの時の止まった環境を使って、ひたすら魔法の鍛錬に打ち込むことにした。

 このゲームは魔力1つにしても【魔法威力】【魔力容量】【魔法制御力】【詠唱速度】という4つのパラメーターを持っている。


 最も重要なのは【魔法制御力】だ。

 これは他3つの全ての魔力パラメーターに影響する。

 序盤は個々のパラメーターを均等に上げるよりも、これだけ上げまくった方が遙かに強くなれる。


 おまけに設備がなくても出来るので、自主練向けだ。


「ネルヴァのやつ、今に見てろよ」


 首の火傷がヒリヒリと痛む。

 あんな小者なんてどうでもよく思っていたが、今も赤らめた火傷の痕が首に残っている。


 俺は漆黒の床にあぐらをかいて目を閉じ、両手の間に極小の【ライトボール】を生み出した。これは光属性の照明の魔法だ。


 序盤のヴァレリウスはこの【ライトボール】と、【マジックアロー】と、【アイデンティファイ】しか使えない。

 【マジックアロー】は純粋な魔力を矢にして敵を貫く魔法だ。

 【アイデンティファイ】は鑑定魔法とも呼ばれる。


 俺は砂粒のように小さな薄紫のマジックアローと、色彩多彩なライトボールを交互に生み出しては、辺りに浮遊させた。


「へへへ……魔法って、いいなぁ……。まさか自分が使えるように――あ……」


 目の前に生まれた9つの星々に悦に入ると、トランプタワーが崩れるように全ての星が消滅してしまった。

 魔力の制御が乱れたからだった。


「なんか、悔しいな……」


 それを続けた。

 いつまでも、いつまでも、誰の邪魔も入らないと時の止まった世界で、延々と。


 目標は100個同時発動。

 100の星を浮かべるまで、ここを出ないと願掛けした。



 ・



 あれからどれだけの時が流れただろう。

 集中しすぎて何もかもが定かではないが、俺はついに初志を貫徹させた。


「や……った…………」


 見上げて悦に入っても消えない星が100個、美しいそれが漆黒の世界で綺羅びやかにまたたいていた。


「う、うお……力が……入らねぇ……」


 術を解除して立とうとすると、猛烈に腹が減ってきた。

 喉が張り付くように乾いた。


「ヤ、ヤバ……死、死ぬ……」


 訓練用の樫の杖を杖にして、俺は学食のある分棟一階――に近い分棟二階の壁抜けポイントから、死にかけの放浪者のように外に出た。


「み……水……水を、くれ……」


「あ、あんた大丈夫かいっ!? 水だねっ、ちょっと待ってなっ!」


「何か、食べ物、も……。ぅ……っ」


 よっぽど酷い顔をしていたのだろう。

 学食のお姉さん(実は攻略可能の人)はすぐに水とパンを用意してくれた。


 危うくシナリオが始まる前に、自殺同然のバッドエンドを迎えてしまうところだった……。

 俺はお姉さんに深く感謝して、これで最後かもしれないCクラスのディナーセットを注文した。


 今夜はチキンのバターソテーに8種の野菜のサラダ、やわらかな白いバターロール。それに魔力の補給によいとされるベリーとトマトだった。


「美味いか、ヴァレリウス?」


「ああ……いずれ食べれなくなると思うと、また一際美味いわ……」


「ふっ、惨めな」


「……へ? ネルヴァ?」


 食事の手を止めて顔を上げる。

 ネルヴァが俺の向かいに立ち、高い身長からこちらを見下ろしていた。


「いや、なんでいるよ……?」


「未来あるスキルを手にした者の思いなど、負け犬のヴァレリウスにはわかるまい」


「それ言うために来たってことか?」


「自主練だよ。魔法学院の方が設備が良いからな」


「はは、そうかよ。俺との差を引き離すってわけだ」


「気分の上ではそんなところだ」


 ネルヴァの手がこちらに伸びた。

 またあれをやられるのかと思い、俺はイスを引いた。


「ああああーーっっ?!!!」


「ククク……ッ、トマトが好きだったな、お前は昔から。ああ、不味い……」


「ふざけんなよっっ、ネルヴァァァーッッ!!」


 ネルヴァの狙いは俺が楽しみに残していたトマトだった……。

 ネルヴァは怒る俺に食いかけを投げ渡した。


「お前はキレるところがおかしい」


「うるせーっっ、この恨みっっ、絶対忘れねーからなぁっっ!!」


 許さん……!!

 こいつは近い将来絶対にぶち転がす……っ!!

 俺のトマトを挑発の道具にしやがって!!


 ネルヴァに食いかけにされたトマトをかじり、俺は復讐を心に誓った!!

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