第14話 籠の鳥
――次の日の朝
遠くに聞こえる鳥の鳴き声に千紗は目を覚ます。
「………」
怠い体をゆっくり起こしながら、乱れた着物を整える。
ふと隣を見れば、まだ気持ちよさそうに眠る朱雀帝の姿が。
彼を起こさないように、千紗は静かに床を抜け出すと、縁側に腰掛けた。
人払いされた屋敷は静かで、千紗はする事もなくぼんやりと庭を眺めていた。
そんな千紗の前に1羽の雀が空から降り立つ。
その雀を目で追いながら、千紗は昨日、朱雀帝に言われた言葉を思い出していた。
――『あぁ、貴方をこのまま、私の腕の中に閉じ込めておきたい。貴方がどこにもいかないように、ずっと……。貴方は気が付くと、すぐ何処かへ飛んで行ってしまう、鳥のような人だから……だからこうしてずっと、私の腕の中に貴方を閉じ込めておきたい』
「お前は良いな。大空を羽ばたいてどこへでも飛んで行ける。自由で良いな。私は翔べぬ。翼を持たぬ私では、もう自由にこの大地を駆ける術を忘れてしまったよ」
そんな事を呟きながら、千紗は無意識に雀に向けて手を伸ばしていた。
瞬間、警戒したのか雀は再び空へ向かって飛び立って行く。
千紗の口から、「あっ」と短い声が漏れたかと思うと、暫くの間、目の前から飛び立った雀の姿を目で追いながら、どこまでも広がる青く美しい空をいとおしげに見上げていた。
そんな千紗の後ろ姿を、眺める朱雀帝の視線にも気付かずに。
空を見上げる千紗の寂しげな背中。
その背中が幼い日の自分と重なる。
――『良いですか寛明。絶対に、絶対にここから外へ出てはいけませんよ。これは貴女を守る為の結界。もし結界より外へ出てしまったら、貴女も貴方の兄のように、道真に呪い殺されてしまう。そんな事、母は堪えられない。お願い寛明、決して外へは出ないで……母を一人にしないで……』
朱雀帝が生まれる少し前、彼の兄、
そして保明様の後を追うように、保明様の息子、
当時、皇太子、皇太孫であったお二人が立て続けに薨去なされた事は、あまりにも不吉であり、そして衝撃的で、その少し前に無実の罪により太宰府に左遷され、流された先で無念の死を遂げた菅原道真の死と、自然と結びつけられるようになって行った。
これは道真の呪いではないのかと、多くの者が噂し怯えた。
そんな京に広まりし噂を恐れた保明様の母、隠子様は、お二人の死と時同じくして生まれた朱雀帝こと
朱雀帝は5歳になる歳まで、この几帳と言う結界の外に出る事は許されず、ごく限られた人間としか関わる事はなかった。
――『……お主、このような所で何をしておるのだ? この中に綴じ込められておるのか?』
『………え?』
『そんな狭い中では息が詰まるだろう。どうだ、少し外へ出て参らぬか? そして妾と一緒に遊ぼうぞ』
『……貴女は?』
『妾は千紗。左大臣家一の姫である藤原千紗だ』
『左大臣家? ……と言う事は、忠平の子か?』
『何だお主、父上を知っておるのか? 実はその父上に、ここ内裏まで連れて来て貰ったのだが……父上はお仕事で忙しいのか相手をしてくれぬ。供の者達も何故か内裏には入ってこれんでな。一人でする事もなく退屈だったから、内裏の中を探索でもしようとふらふらしていたら、こうしてここに辿り着いたのだ。どうだ? ここでお主と出会ったのも何かの縁。お互い暇をしているのならばお主、妾と一緒に少し遊ばぬか?』
偶然、彼の部屋に迷い混んだ千紗と出会わなかったら、外の世界に触れる事も出来ないまま、籠の鳥として今も几帳の中で、母に飼われ続けていたかもしれない。
当時の事は、母が自分を守る為にしていた事だと理解はしている。
だが幼心に外の世界に憧れ、外に出たいと願っていた自分を、几帳の中に閉じ込める母を、全く恨んでいなかったと言えば嘘になるだろう。
今目の前にいる千紗姫様は、まるであの頃の自分自身。
そして今の自分は、大切に思うあまり鳥籠に閉じ込めた、あの頃の母と同じ。
空に焦がれる小さな千紗の背中を見て朱雀帝はそう悟った。
――『お主はそんな狭い世界に綴じ籠もって息苦しくはないのか? 外へ出たいと思わぬのか? 外の世界は良いぞぉ。ここから見える空だけ見ても、とても広く、美しい。そこからでは空も見えぬだろう。お主は空の色を知っておるか?
空はな、青いのだ。真っ青な空にはふわふわの白い雲が浮かんでいる。その雲はな、様々な姿に形を変え空を漂っているのだ。お主も見てみたいとは思わぬか? 何を恐れておる。大丈夫。大丈夫だから、一歩そこから出て参れ』――
暗闇に一筋の光を照らし、外の世界に導いてくれた千紗が……
太陽のようにきらきらと、明るく光輝いていた千紗が……
己の欲望に飲み込まれ、光を失っていく。
その姿に朱雀帝の心がチクンと痛む。
だが……その事実から目を反らすかのように、朱雀帝は寝返りをうった。
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