第2話 「京都がどんな所だか、散歩に連れて行ってくれません?」

 会見が終わって自室に引き揚げてからも、彼女はずっとその問いについて考え続けた。

北から東へ望む五十メートルほどの窓からは、天空へ広がる東山三十六峰の山並みと古都の街並みが一望出来たし、世界的な英国デザイナーによる内装デザインは、これまでに見たことも無い品位有る調和と安らぎを生み出していたが、それらは翔子の心には何も響かなかった。

傍らで武田がぶすっとした顔付きをしている。

あの記者に訊かれたようなことは、芸能雑誌や新聞の記者にもよく訊かれる。だが、同じことを訊かれてもさっきのあの記者からは別の違った感じを受けた。生真面目な物腰の所為か、丁寧な言い回しの所為か、あの記者はただお座成りの質問をしていたのではないような気がする。彼は真実に答を知りたがっていた。ひょっとして、心から私のことを心配してくれたのかも知れない、そんなことは在り得ないことだろうけれど・・・

「どうしたんだ?浮かない顔をして」

武田が訊ねた。

「別にどうもしないわよ」

「俺は騙されないぞ」

武田は東京育ちのやり手のマネージャーだった。

「何か気になっていることが有るんだろう?」

「ちょっと疲れただけよ」

翔子は嘘を言った。

武田は不信の眼差しで彼女を見た。

「あいつの言ったことが気になっているんだろう?記者会見の席で、真実に幸せか、って訊いた奴のことが」

武田の眼を見返すと翔子は首を振って顔を背けた。

「少し休ませて頂戴」

彼女は拗ねたように言って目を閉じた。直ぐに眠りに引き込まれた。

 目を覚ますと京都は既に夜だった。武田の姿は無い。部屋にはシャンペンの空き瓶が二本と食べ残した摘みが一皿。全くだらしがないんだから、と思いつつ浴室に入った。シャワーを浴びてから、ジーンズに格子柄のシャツという地味な服装に着替える。トレードマークの長い黒髪は上に押し上げて帽子の中へ束ねた。サングラスをかけ部屋のキーをポケットに辷り込ませて、ロビーへ下りて行く。武田はきっと地下のラウンジで同行しているバンドのメンバーたちと飲んで居るのだろう・・・

 エレベータを降りて広々としたロビーへ出て行くとあの男がソファーに座っていた。記者会見の席で例の質問をした記者である。彼は直ぐに立ち上がって近づいて来た。

「大空翔子さん、先ほどは失礼。僕の質問であなたを大分困らせてしまったようですね」

「ううん、良いのよ、そんなことは無いわ。私の方こそご免なさい、答らしい答えをしなくて」

 彼は向井吾郎と名乗って簡単な自己紹介をした。職業はジャーナリストで東京やニューヨーク、中東や東南アジアでも仕事をしていたと言う。音楽専門のライターではなく諸々の社会現象や文化現象について分析し論評し提起するのが本業とのことだった。

それを聞いて、翔子は微笑いながら言った。

「それじゃ、わたしも、その“現象”とやらの一つなのかしら?」 

「ええ、勿論です。それはあなたも良くご承知でしょう。何処へ行ってもあなたを知らない人など居ないだろうから」

彼女はただ微笑して彼を見やった。

「わたし、これから一週間、このホテルと南座の舞台に閉じ込められるの、まるで囚人のように。それで一つお願いが有るのだけど、聞いて貰えるかしら?」

「ええ、僕で出来ることなら何なりと」

「有難う、嬉しいわ。でね、京都がどんな所だか、ちょっと、散歩に連れて行ってくれません?」

「然し、あなたは京都生まれの京都育ちと聞いていますが・・・」

「私が京都に居たのは中学生までなの。そんな子供が知っている京都なんて多寡が知れているでしょう、何も知らないのと同じだわ」

向井は軽く頷いて言った。

「解りました。お供しましょう」

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