第32話 イツキ高校生編③ 私が花村さんを助けなきゃ

 不思議なことに、そこから少しずつ私と花村さんの接触が増えた気がする。おそらく、彼女にとっては全て他愛のないものだろう。彼女にとっては私が相手じゃなくてもしているような普通の会話で、動作で、表情だろう。それでも私にとってはどれも新鮮で、鮮明で、鮮やかなものだった。


 「月山さん、ペアなろーよ。わたし余っちってさぁー」

 「月山さんじゃん、帰り一人なん? 一緒に帰ろーぜ」

 「えっ、月山さん帰り道逆なの!? 何それウケるわぁ、付き合ってくれたの優しくない? 次わたしが付き合うかんな」

 「月山さん、あのさぁ……教科書貸してくんね? わたし忘れちってさぁ……」

 「月山さん、かーえろっ」

 「月山さん」

 「月山さん!」


 新しい表情を見せてくれる度に、心が潤っていくのを感じる。花村さんと一言交わすだけで、嫌なことから目を逸らすことができた。

 私はたまに話す友達程度の存在でいい。そのくらいで満足すれば、きっと誰も傷つけはしない。休みで顔を見れない日は辛いけれど……。

 そう、思っていたはずなのに。


 「あつ……」


 頭上から降り注ぐ太陽光と足元から吹き上げる反射熱のせいで丸焦げになりそうだ。夏は嫌いだ。夏休みはもっと苦痛だ。家にいる時間が増えてしまう。父親はそもそも帰ってこないし、母親も私に一日分のお金を置いて行くだけで、毎日家から出ていく。家にいれば私は独りだけれど、あの家には負の感情が染みついているから出来る限り外にいたい。学校に友達はいないので、私はしかたなく街に出て地下鉄を乗り継ぎ、市内でも有数の公園内にある大きな図書館まで毎日していた。

 特に何かをするわけじゃない。図書館にはコンセントがあるからずっとスマホを見ることができることに加え、本まで読み放題だ。父親が医者だから仕方なく勉強はしていたけれど、もうそんなやる気も起きない。そもそも家庭がこんな状況で、真っ当にをやるなんて無理だった。


 「涼し……寒い……」


 クーラーが隅々まで利いた図書館に足を一歩でも踏み入れると、噴き出ていた汗が一瞬で身体から熱を奪い、私の意思に関係なく身体が震え始めた。私の身体は昔から体温調節が下手で、こういう些細な所から自身の生きにくさを感じてしまう。そして落ち込んでしまう。

 夏休み中だからか、図書館の中は学生であふれかえっていた。友達同士で宿題をしたり、本を読み合ったり。特に女子が多い。女は群れる生き物だな、と横目にグループになっている丸机を通り過ぎる。

 コンセントがある個人スペースを確保して、読みたかった本をいくつか見繕い、席に座ってダラダラとスマホを弄る。

 ふいに、通知が来た。インスタだ。それをタップした。花村さんのストーリーだ。


 『プール👙✨』


 水着姿の花村さんだ。黒いビキニで、トップスの中央からひらひらとしたレース生地がふわりと下半身に伸びている。それが華奢な肩と薄いお腹と白い肌に映えていて、とてもよく似合っていた。

 彼女の腰を抱いているひょろい男。鏡越しのツーショットだった。私はダブルタップで『いいね』をして、スクリーンショットで男の部分を切り捨てて保存した。

想いを表に出すつもりも無ければ、嫉妬する資格もない。私は彼と同じ土俵には立っていない。


 「分かってたはずでしょ……」


 私は弁えている。だから、そんな身体の細さでどうやって花村さんを守れるんだ、なんて感想は胸の中に仕舞い込むだけだ。花村さんの水着を見せてくれる口実になってくれてありがとう、と感謝するまである。私はツイッターの周回に戻った。


 「……ん?」


 私はフリックを止めた。惰性で流していたタイムラインを少し遡る。


🌸 @wwfv051022 2時間

今日のわたし可愛い。無敵。最強だろこれ

〈写真〉


 タイムラインに表示されたのは自撮り写真だ。バストアップで、顔の大半がスタンプ隠されて右目しか分からない。しかし上半身に着ている水着は、先ほどインスタで見た水着と明らかに同じだった。投降された時間は2時間前。場所は、外。彼女の肩越しに辛うじて見える人々も水着を着ているように見える。

 花村さんかもしれない。

 私は夢中でメディア欄を漁った。ショッパーやフラペチーノの写真の他、時々自撮りをしている。トイレで顔を隠しながら鏡越しに撮った写真、やはり顔をスタンプで隠した自撮り、目や頬をアップにしてメイクの出来栄えを誇る自撮り……どれもギリギリのところで特定を避けているように見える。

 だが、私には分かる。こじつけをするなら、花村羽風ハナムラ ハカゼ(flower,village,wing,wind)で彼女の誕生日が2005年10月22日だとすると、このアカウントのIDとつじつまが合う気がする。


 「……はっ、はは」


 私は口を押さえて笑みを隠した。フォロワーはたったの73人。フォローは0人。インスタのアカウントのフォロワーが何千人もいることを鑑みると、完全にツイッターは裏垢だ。

 花村さんの裏側を覗けるかもしれない。

 私は興奮を隠しきれない指先で、彼女の投稿を見た。


🌸

@wwfv051022

自尊心守るぞ


🌸 @wwfv051022 2時間

今日のわたし可愛い。無敵。最強だろこれ

〈写真〉


🌸 @wwfv051022 4時間

あんたも髪型崩れたらかっこよくなくなるじゃん笑笑って言わなかったわたし偉くない?


🌸 @wwfv051022 4時間

あんたのために可愛くなってるわけじゃないよ。ごめんね


🌸 @wwfv051022 4時間

どうせプールだから落ちる? 知ってるけど?


🌸 @wwfv051022 5時間

可愛いわたしがわたしは好きだ。


🌸 @wwfv051022 5時間

今日メイク絶好調すぎ。やば。髪とか死ぬほどキマってる。もはや輝いてる


🌸 @wwfv051022 17時間

なんでデート前日になると病む? わたしを病ませるお相手さんがやばくない?


🌸 @wwfv051022 17時間

だからダメなのでは?笑


🌸 @wwfv051022 17時間

まぁわたしも今の彼氏イケメンだからなんとなく褒められて悪い気がしないけど笑


🌸 @wwfv051022 17時間

わたし、愛してもらえない。所詮アクセサリー。トロフィーワイフ。や、ワイフじゃない。死んでも嫌かも。結婚無理だわ。少なくとも今の彼氏とは


🌸 @wwfv051022 17時間

前々から約束してたプール。見せつけるみたいに肩抱いてくるんだろうな。周りに。昨日今日でLINEの返信「わかった」「そうだね」だけのくせに?


🌸 @wwfv051022 2日

押しつぶされてみたい。好き、に


🌸 @wwfv051022 2日

恋愛、わからんすぎる


🌸 @wwfv051022 2日

やだもう。なんで振り回される? わたしが? 相手の“好き”に答えてればいいんじゃないの? わたしちゃんと“彼女”してたよね???????????


🌸 @wwfv051022 2日

喧嘩したわけじゃないけど。なんか。露骨だもん。つまんない話してくる時はまだよかった。会話はリズムゲーだし


🌸 @wwfv051022 2日

最近彼氏からの好きって気持ちがなくなってきた、と感じる


 私は愕然とした。興奮の熱は一瞬で冷めた。

 もしかしたら、花村さんは彼氏のことを好きではなくなったのかもしれない。

 そもそも、最初から好きではなかったのかもしれない。

 好きじゃないのに、付き合っている?

 父親のカミングアウトが脳裏をよぎった。

 それは、ダメだ。自分を偽って誰かを大切な人だと欺いて、それでは誰かを傷つけてしまう。関わった人が皆、嫌な気持ちになる。ひいては花村さん自身も傷ついてしまうだろう。


 「私なら……分かってあげられるよ……」


 その苦しみを。

 スマホを自分の額に押し付けて、私は目を瞑った。

 私は被害者でもあり当事者でもあるから。私は愛の無い両親から生まれてきたから、愛の大切さが分かる。私が花村さんを一番分かってあげられる。


 「私が花村さんを助けなきゃ」


 私の頭の中はもう花村さんでいっぱいだった。もう頭の中を花村さんでいっぱいにしていいと、神様から免罪符を与えられたような気分だった。

 私は彼女の投稿に『いいね』をした。

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