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 結局式の1週間前になって父から


『遅くなってごめん。今回は参加を諦めるよ。卒業式の写真を後で送ってください、口座に卒入学祝いを振り込んでおくから、有効に使ってください。おめでとう』


と返信が届いた。

 これだけ返事が遅れたのは何か理由があったのか、ひとりでも参加しないということは夫婦で出ることに意味があったのか、奥さんに「行かないで」と止められたりしたのか。

 いずれ考えても仕方のないこと、私は

『式、お父さんは来ないよ。お祝い振り込んどくってさ』

と母へメッセージを送っておく。


 夜になって母から着信が入り出てみると、

『桃、断ったの⁉︎私に遠慮しなくていいのよ?』

と珍しく挨拶も無しに高い声が響いた。

「違うよ、各家庭で参列は2名までって決まってるんだよ。ひとりなら良いよって言ったけど、お父さんは諦めるって」

『…奥さんと…来たかったのかしら』

「かな?私はそう思う」

『ん…分かったわ』

母はホッとしたような声でため息を吐いて、ソファーにでも掛けたのかギシと何かが軋む音が聞こえる。

「…お母さん、今回は角が立たないようにそういう断り方したけどね、本来奥さんは参加すべきじゃないと…私は思ってる。関係無いし。お金貰ってるからそこまでは言わないけど……あの人と浮気したからお母さんは離婚したんでしょ?」

『……やだ、知ってたの?』

「知ってる。お父さんとの面会でも何回か会ったけど、その事を知ってからは正直気分悪かった。もうすぐ…養育費って18歳まででしょう?もう少しだから…言われれば面会はするけど、それ以降は関わるつもりが無いから」

『桃…』


 これは実は前々から考えていたこと、養育費は有り難くいただくから義理立てのために面会をしていたけれど、たいして話が弾むわけでもない大人2人と数時間一緒にいるのは正直気まずくてしょうがなかったのだ。

 私と父には面会時以外の共通の思い出も無いし…思春期に聞かされた父の浮気話も、案外私の心理には深く鋭く刺さっていたのだろう。あの夫婦が目配せなどして微笑み合うのを見せられるとモヤモヤと気分が悪い。

 あぁ何故だろう考えはしても口に出すことが無かったのに、言ってしまうと想いが次々と溢れてしまう。

「お母さんはお父さんのことを私に悪く言わないけど、私はお父さんのこと、そんなに好きじゃない。父親として責任を負ってくれてるけど、それは当たり前だし。人として、好きじゃない。お腹が大きいお母さんを置いて浮気して…私が知ってること以外にも色んな事情はあるんだろうけど、客観的事実だけ繋げても好きになれる要素が無い、好きじゃない」

『難しい言葉使うのね…うん…そう、桃の気持ちは尊重するわ』

「…お父さんのこと…悪く言ってごめんなさい、でも大人になったら…関わる理由が無いと思うの。向こうのお世話には…なりたくない」

『…うん、好きにしたらいいわ……あの人は…順番を間違えたのね、きっと。奥さんと今も続いてるってことは、2人は運命というか…ばっちり合ってるのよ、私が介入しなければもっとスムーズにいい夫婦になってたと思うわ』

 確かに彼らは子供が居なくても続いている。向こうを軸に物語を作れば母の存在はただの障壁だったろう。しかし私は母側のストーリーを生きている。

「お母さんは悪くないじゃん」

『そうね、悪くないわ。本命がいながら私と…エッチしちゃったあの人も、妊娠した私も未熟だった、それだけね。私には桃が生まれてきてくれたから結果オーライよ、ふふ♡』

「…そうだ、式の日に悦っちゃんがパーティーしてくれるって言うんだけど、泊まりがけで来れる?」

『んー、前乗りしようと思ってたのよ、式が済んだら夜には兵庫に戻るつもりで。でも前日は休み取ってるわ』

「じゃあ式の前夜にしてもらう。その選択肢も考えてたから良かったァ」

『うん…じゃあ桃、次の水曜日にまた会いましょう、おやすみなさい』

「おやすみ、またね」

 あぁひと仕事終わった、私はスマートフォンを枕元へ置いて風呂へ降りた。


 今日も母は父のことを悪く言わずいい大人だったな、相変わらず母は私の人生の規範でいてくれる…本人は「反面教師になさい」などと言っていたが。


 これは源ちゃんも惚れるわけだわ、湯船に浸かりほわほわと少し大人びたことを考えたりなんかして、自室へ戻ると窓の外にライトが灯っているのが見えた。

「…源ちゃん?」

「…モモちゃん…風呂上がり?」

「うん、そうだよ」

 ベランダの手摺りまで歩いてきた源ちゃんと窓際の私の距離は100センチあるかどうかくらい、彼は懐中電灯を消して手摺りに肘をつく。

「お父さんの卒業式の件、どうなった?」

「あー、来ないってさ、夫婦で参加したいみたいだったよ。さっきお母さんにも電話で伝えたところ」

「そっか…うん、分かった」

 何が分かったのだろう、私は日課の小粒アイスをぺろぺろ舐めながら真似して窓枠に肘をついた。

「気になってたから…モモちゃん、ここんとこ顔色悪かったし」

「あ、そう?ストレス溜めてたのかな」

「…まぁいいよ、元気なら」

「うん……もうちょっとで卒業だね」

 パジャマ代わりの着古したロングTシャツ姿で頬杖をついてアイスを転がして、源ちゃんを見遣れば彼は渋い顔をしていた。

「…モモちゃん、あのー……いや、何でもない」

「なに、気になる」

「ううん、急ぎだけど急ぎじゃないからいいや」

「なにそれ?いいならいいけど」

 溶けきったアイスの名残を舌で探して舐め取って、

「そうだ、お母さん、卒業式の前日にこっち来るから、パーティーは前夜の方が良いって」

と私は思い出したことをもごもごと話し始める。

「あー、分かったよ、伝えとく」

「源ちゃん、お母さんに会えるの嬉しい?」

「んー…まぁ久しぶりに会えるのは嬉しいよ」

「そんだけ?好みのタイプなんでしょ?」

「…あのさぁ、モモちゃんのお母さんが好きな訳じゃないんだよ、あくまでタイプってだけ。好み…うん、まぁいいじゃん」

「ふーん?そう、」

 その話はそこでお終い、源ちゃんは去り際に

「ちゃんとカーテン閉めてね」

と言って部屋へと戻って行った。

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