魔女チバリとお茶会を

金髪少女と嫌われ薬

　まったく、なんていやなところ。

　どこかの沼地から聞こえてくるカエルの声に身震いして、私は森を見まわした。

　いや、沼地じゃないかもしれない。昨日の雨であちこちに水たまりができている。そのどれかに隠れているのかも。暗い森の中じゃ足元までよく見えなくて、さっきから何度も泥水に靴を突っ込んでいた。

　本当に、年頃の娘が来る場所じゃないわ。

　それでも引き返すわけにはいかなかった。木漏れ日を頼りに、消え入りそうな小道を一歩また一歩とたどる。何度目かの曲がれ道を曲がったところで、

「着いた……ここだわ」

　ようやく、その家が見えた。

　かかえるほど大きな木々が何本も身を寄せ合い、ねじれてからみ合っている。幹と幹との間に窓やドアがくっついているのが見えなければ、そんなふうに思っただけだっただろう。しかしよく見れば木肌と同じ色の窓枠から、中を覗き込むことができる。巨木の中がくり抜かれて、家になっているのだ。

　こんな家を作ろうだなんて、どうすればそんなリスみたいな発想ができるのかしら。しばし呆然と見あげてから、私は気を取り直してドアをノックした。

　コンコン。

「はぁい」

　鈴を転がすような声が応え、内開きのドアが開いた。現れたのは、同い年くらいの少女。背後に花が咲いて見えるようなその美しさに、私は一瞬息をのむ。

「あら、金髪のお嬢さん。ご用は何かしら？」

　そうだった。問われて、私は思い切って答えた。

「魔女にお願いがあってきたの。どうか、嫌われ薬を作って！」

　　　　　＊　＊　＊　＊　＊

「――でね、その男ったら本当にしつこくって！　お父さまもお母さまも押され気味だし、もう私、自分の身は自分で守るしかないわけよ。わかるでしょ？」

「求婚者、ねえ」

「カエルみたいな男なのよ！」

「それはめずらしいですね。狼みたいな男ならひとり知っていますが」

　始まったばかりの春はまだうっすらと寒く、部屋の中では暖炉がぱちぱち燃えていた。その火に照らされ浮かびあがるのは、積みあがった本の山、床に並ぶ瓶や壺、得体の知れない薬草があふれる袋、などなど。巨人が家ごとつまみあげて、掌で転がしたあとまた戻したみたいな、ひどい散らかりようだ。

　それでも部屋の奥に置かれたテーブルは、テーブルクロスがきちんと敷かれ、まわりを囲む四脚の椅子も、本の山に占領されているのは一脚だけだ。あとの三脚には客である私、ソニア・クーゲルと、私を迎え入れたふたりの少女が腰かけている。ふたりとも、年は十七、八といったところだろう。

「あなた、その男を追い払いたいのね。でもヘンね、カエルなら火が苦手なんじゃない？　あなたの金髪、太陽みたいなのに」

　無邪気に言うのは、人形のように美しい少女。彼女の方こそ、この世の光という光を合わせてつむいだような金髪だ。滑らかな白い肌に、サファイアの目を縁取る長いまつげ。容姿には私も自信があるけど、この子にはかなわないと思う。

「火が苦手なのは人間も同じです。家のまわりにかがり火をたいては？　それかロウソクの束を頭のまわりに巻きつければ、たいていの人は逃げていきますよ」

　真顔で言うのは、陰気な黒髪の少女。血のように赤い瞳は冷たい光を放ち、とてもこの世のものとは思えない。村の教会で子供たちに聞いた森の魔女の噂を思い出して、私はそっと身震いした。

　対価さえ支払えば、何でも叶えてくれる〈変身の魔女〉。気まぐれで、決して人間の味方ではなく、最近領主の息子が行方不明になったのも、薬の材料にさらわれたと噂だ。きっとこの、赤目の少女が魔女チバリ――。

「まあそれは冗談として。嫌われ薬ですか」

「そう！　そいつが私に見向きもしないようにしたいのよ。できるでしょ？」

「どうですかね、チバリさま」

「え？」

「嫌われ薬ね。ないことはないけど、めんどくさいのよねえ」

「え？　え？」

「まあ、なんにも問題ないわ。私は〈変身の魔女〉チバリ、依頼人の願いを叶えるためなら、やりようを三つは思いつくもの。まずひとつ目の案として、怪力薬でもってその求婚者をたたきつぶしちゃうのはどうかしら！」

　ぴしゃん、と頭に雷が落ちた気分だ。

　勘違いしていた。赤目の方ではなく、この人形のような美少女が、魔女チバリ？

「それはダメですよ、チバリさま」

「あらノーラ、何がダメだって言うの？」

「人間の世にはルールがあります。暴力で片づくようなことなら、魔女を頼ってはこないでしょう。穏便に済ませたいんですよ。そうでしょう？」

　ノーラと呼ばれた少女の方が、むしろ常識的だ。私は必死に頷いた。

「そ、そうよ。乱暴なやり方じゃ、私の人生設計が台無しだわ。求婚者を殴って追い返すような娘、お嫁にもらってもらえないじゃない。私はね、いずれ素敵な男性と偶然出会って恋に落ちる予定なんだから」

「偶然出会うところまで予定に含めてるんですね」

「偶然ってどういう意味だったかしら」

「誰だってそうでしょ、顔のいいお金持ちの男をつかまえたいわよね？」

「欲に素直なのはいいことですね」

「でもソニア、私はね、男性には顔よりお金よりもっと大切なことがあると思うわ」

　チバリは真剣な顔で、私の目をじっと見つめた。

「筋肉よ」

「……チバリさま、だからと言って、気に入った男性の食事に筋肉増強薬を勝手に混ぜるのはやめてください。かわいそうなので」

「えーでもノーラだって好みの男を創れるとしたらやるでしょう？」

「私は男性自体に興味がないので」

「あのふたりとも私はね！　いい男を『つかまえる』って話をしてるの！　誰も『創る』とは言ってないの！」

　なぜ怖い方に話が行くのか。

　それより求婚者をどう追い払うかだ。チバリはまだ話したそうだったが、すぐに次の案を出した。

「じゃあソニアのまわりの女の子を、みんなソニアと同じ顔にするのは？　その人、ソニアが美人だから求婚してるんでしょ？　興味を分散させられるわ」

　興味を分散させる代償が大きすぎる。

　自分と同じ顔の人間がわらわらいるなんて、想像だけでクラリと倒れそうになる。私は助けを求めて常識人（ノーラ）を振り向いた。ノーラは、ふむ、と頷いて、しごくまじめな顔で言った。

「それはちょっと、おもしろそうですね」

　赤い瞳が好奇心に輝く。

　ダメだ、どうやらノーラにも常識はない。私は椅子を鳴らして立ちあがった。

「絶対いや！　そもそも無理よ、人の顔を簡単に変えられるわけないわ」

「あら簡単よ」

　きっぱりと、チバリが言った。ゆるりと首を傾けると、やわらかな金髪が横に流れる。

「私は〈変身の魔女〉だもの。血と肉でできたものなら私の掌の上。美しくも醜くも、思いのままよ」

　笑った口に覗くのは八重歯。私は思わず息をのんだ。

　まるで言葉自体に魔法がかかっているように。つややかな唇からつむがれた言葉が、見えない糸になって私を縛りあげたような。

　血肉でできたもの、というなら私だってそうだ。人間も動物もそのすべてが、〈変身の魔女〉の領域（テリトリー）。

　もしかして、とんでもないところに来てしまったのかもしれない。魔女に頼ろうとしたことを心から後悔したが、

「でも、あなたがいやならしかたないわね。別の方法を考えるわ」

　魔女は意外にもあっさり案を捨てた。見えない糸がシュルシュルほどけたように体の緊張が解け、私はへなへなと椅子に戻った。深く息をつく私の横で、ノーラが少しつまらなそうに聞く。

「三つ目の案は何ですか？」

「そおねえ」

　チバリはうんうんうなったあと、ピン、と人差し指を立てた。

「嫌われ薬を使うってのは？」

　私の案と同じ気がする。

「チバリさまが思いついたのは、つまり、ふたつだけですね」

「あら違うわ。ソニアが言わなきゃ私が言い出してたもの。ちょっと面倒くさいけど、欠点といえばそれだけだし。えーっとたしか、こっちの棚にあるはずね」

　チバリがぴょこんと立ちあがり、椅子の後ろに引っかけられていた帽子をかぶった。その勢いで、帽子の房が金髪を軽くたたく。

　大きな黒い三角帽子。魔女を表す記号。

　ついさっきまでの私の目になら、ちぐはぐに映ったことだろう。だけどさっきの微笑のあとでは、生まれたときからかぶってるんじゃないかってくらい似合って見えた。

　部屋の壁という壁には棚や戸棚がついている。チバリはとてとて棚の前を歩き、あれでもないこれでもないと漁り始めた。ノーラはそれを手伝うでもなく、ゆったり座ってお茶を飲んでいる。

「ねえ、チバリを手伝わないの？」

「どこに何があるか知っているのはチバリさまだけですから、私が行ったところでしかたありませんよ」

　その代わり、お茶を淹れたり掃除をしたりするのがノーラの仕事らしい。

　お茶といえば、私の前にも同じカップが置かれている。私はカップの中をにらんだ。いぶかしげに眉をひそめる金髪少女が、暗い水面に映りこむ。

「ソニアさんもご遠慮なく。ハーブティですよ」

「ハーブティ？　すごくどす黒い緑色だけど……」

「ハーブティっていうのはそういうものでしょう」

「私の知らないハーブティだわ」

「世の中は広いものですからね」

「あったわ！」

　明るい声でチバリが叫んだ。その手で、何かがキラリと光った。

「香水瓶？」

　噴き口のある小瓶の中で、透明な液体がゆれている。

「その香水が、嫌われ薬なの？」

「これはただの香水よ」

　ぷしゅ、と鼻先にかけられる。至近距離で吹きつけられればきつい感じがするが、少し香るくらいなら上品ないい香りだろう。

「でもこれが一番嫌われ薬にしやすいの。作戦はこうよ。この香水をあなたが日常的に使って、あなたの匂いにしていく。同時にその求婚者にはこっちの薬を飲ませて――」

　と、左手を掲げる。そちらの手には白い丸薬の小瓶があった。

「嗅覚を変えてやるのよ。この香水の匂いが、とんでもない毒臭だと感じるようにね」

　なるほど、悪臭で求婚者を追い払おうということか。

　本当に悪臭をまき散らせば、求婚者以外も離れていく。でも相手の感覚を塗り替えてやれるなら……。私が身につけるのは、ただの香水。さいわい、嫌われ薬にしやすいというこの香水は、あまやかで私好みの品だ。

　でも、たしかに面倒くさい。

「なんか、小細工なのね。魔女なんだから、魔法であっという間に解決しちゃうんだと思ってた」

「ソニアさんは、魔法って何だと思います？」

「えっ、それは……」

　悪魔と契約して身につけた不思議な力だとか。

　空を飛び、人を呪い殺す恐ろしい力だとか。

　村の噂や物語では、そんなものだ。怖い怖いと言うばかりで、よく考えてみれば誰も本当の魔法を知らない。ノーラは語る。

「魔法とは、ほかの人にはできないことをやってのける力です。魔法であっという間に解決――というのは、順番が逆ですね。あっという間に解決したとき、その技が魔法と呼ばれるんです」

　ノーラは椅子から立ちあがった。チバリに歩み寄り、金髪に覆われた肩にぽんと手を添えた。よく見ると、無表情なノーラの口の端に小さな笑みが浮かんでいる。

「『魔法』をお見せしますよ、お望みどおり」

　そのときだ。

　入り口のドアが勢いよくあいた。部屋の暗がりがドアの形に切り取られ、濡れた森を背景に、背の高い男が立ちはだかった。

「やっと見つけたぞ、魔女チバリ！」

　この声は！

　私は文字どおり飛びあがって驚き、そのままテーブルの下に飛び込んだ。その拍子にぐらついたテーブルから本が何冊かバサバサと落ち、バランスを崩したティーポットをノーラが「おっと」と救出する。

「突然飛びあがらないでくださいよ、カエルみたいに」

　失礼な、と言い返すような余裕もない。テーブルクロスの下から戸口に目をこらし、歯の隙間からつぶやいた。

「カエル男……！」

　どうやってこの場所をかぎつけたのか。しかし彼はテーブル下の私ではなく、その横に立つチバリをまっすぐ指さしている。チバリは突然の珍客にも悠然とかまえ、ゆるりと首を傾げて金髪をゆらした。

「今日はお客さんが多いわね。一体何のご用かしら？」

「とぼけるな！　おまえが私をこんな顔にしたんだろうが！」

　えっ、と私はチバリを見あげた。

　えっ、とチバリも目を丸くした。

　なんであなたまで驚くのよ。

　ぽん、とノーラが手をたたいた。

「そういえば、カエル化薬を使っちゃったって言ってましたね、この間」

「ああ、そうね。また作り置きしなきゃな～って思ってたの」

「なんで使っちゃったんですか？」

「あれはたしか、一か月前の雨の日だったわ」

　チバリは思い出すように口元に手を当て、目を閉じた。そうすると長いまつげが目立ち、ますます美少女だ。

「沼で魚を釣っていたら、足を滑らせて木のうろにすっぽりはまっちゃってね」

「そういえば、スカートどろどろにして帰ってきた日がありましたね」

「押しても引いても動かなくって困ってたら、通りすがりの人に笑われて！」

「あらら」

「腹が立ったもんだから、持ってた薬を投げつけたのよ。うまく顔面に当たってたけど」

　ぽん、とチバリも手をたたいた。

「もしかして、あのときのお兄さん？」

「そうだよ！」

　カエル男は叫ぶように答え、そしてその場に崩れ落ちた。弱々しく漏れ聞こえるのはすすり泣きだ。ボロボロこぼれる涙がドアの前の床に斑点を作る。

「会う人会う人に怖がられるし、家に帰っても息子だと思ってもらえないし！　しかも父上が領主なものだから、怪しい暗殺者が来たと追い回されるし！　もう私は、この顔で、森の怪人として生きるしか……」

「領主の息子の行方不明って、チバリさまのせいだったんですか」

「私を怒らせた人が誰かなんて、そんなのいちいち気にしないわ」

「領主の息子と知っていても、やることは変わらなかったでしょうしね」

「当然！」

　やけに得意げに胸を張るチバリ。

「でもそろそろ、恨みもすっかり晴れたでしょう。忘れるくらいのできごとだったなら、戻してやったらどうですか？」

「ええ～？　……しかたないわねえ」

　チバリはいやそうに眉根を寄せたが、それでも「解毒薬、どこに置いたっけ」と探し始めた。あちこち探した末に、部屋の隅のカーテンで仕切られた区画から、「あったわ！」と黒い壺を取り出した。いちいち声の元気がいい。

　壺の中身を指ですくうと、黒くて粘り気が強い。それを、入り口で泣き濡れている男の顔にべたべたと塗った。

「なっ何をする！？　やめたまえ！　くさっ！　変なにおい！」

「ノーラ、水とタオルちょうだい」

「用意します」

　ノーラが木のバケツに水を汲んでくると、チバリはそのバケツを男の頭上で逆さにした。勢いよく落下した水流が顔のドロドロを洗い流す。現れた顔を見て、

「あら……」

　私はつい、テーブルの下から体を滑り出した。

　年は二十代くらいだろう。水の滴る黒い髪、鼻筋の通ったやさしげな顔。垂れ目が驚きに見開かれたのは、自分の顔が元に戻ったと気づいたからか。彼は立ちあがり、はにかんだ笑みをこちらに向けた。

「ソニア孃、あなたのあとを追ってきたおかげで、魔女チバリに再び会うことができました。ありがとう」

「あとつけてたこと、白状しましたね」

　ノーラが小声で言う。それはともかく彼は私の手を握り、目を見つめた。

「あなたは私の救いの光。どうかこの恋心を受け入れてください」

「――フロリアンさま、わが主！」

　私が返事をする前に、別の声が森の奥から聞こえた。馬に乗り、もう一頭を後ろに連れて駆けてきたのは、鋼の鎧に身を包んだ騎士。あらまあ……、こちらも美男子だ。

　家の前で馬を飛びおりた彼は、戸口に立つ男――フロリアンにひざまずいた。

「ああ、フロリアンさま、元の姿にお戻りに！」

「ハインリッヒ、よく来た。ソニア嬢のおかげで元に戻れたのだ」

「あなたがソニアさまですね。わが主の呪いを解き、元に戻してくださったと！」

「いや元に戻したのチバリさまですけどね」

　ノーラが小声で言う。それはともかくハインリッヒと呼ばれた騎士は、ひざまずいた姿勢から立ちあがると、精悍な顔で微笑み、うやうやしく一礼した。私は赤い顔をうつむけて、淑女らしくしとやかに言った。

「当然のことをしたまでですわ……」

「特に何もしてないとも言いますね。あ痛っ」

　つぶやくノーラの足を踏んずけて黙らせると、ノーラは不機嫌そうに目をすがめた。

「魔女を相手に、度胸がありますね」

「それで、嫌われ薬はいるの？　いらないの？」

「どうやらいらないようですよ」

　領主の息子とその騎士と、ふたりの美男子に手を取られ、魔女の家から足を踏み出す。じめじめといやな感じだった森が、今では雨の名残に輝いて見える。私は一度振り返って、魔女たちに別れのハンカチを振った。

「魔女さまたち、素敵なご縁をありがとう――私、この人と幸せになります……！」

「さっきまで、嫌われ薬とか言ったのに？」

「全員が全員好き勝手して、めでたしめでたしになることってあるんですね」

　あきれ切った声色も、この耳にはもう聞こえない。フロリアンの馬にいっしょに乗って、私は幸福な結婚生活（ハッピーエンド）へと猛進していった。

「嵐のような一幕でした」

「それじゃ、嵐は去るわけね。お茶会の続きを始めましょうか」