第26話 勇者の噂

 パンケーキが美味しいと評判のお店にやって来た。

 私たちは個室に通される。


「好きな物注文していいよ。ここは俺のおごりだから」


 吹雪は私にメニュー表を渡す。

 私は悩んだ末に「季節のパンケーキ」を選んだ。


 今の季節は魔界では葡萄が取れる。葡萄を使ったパンケーキだ。

 吹雪たちもそれぞれに注文をした。


「ご馳走になってしまってすみません」


 私が軽く頭を下げると吹雪は笑みを浮かべる。


「女性におごるのは男として当たり前だよ。真雪は仕事を頑張っているから特別ご褒美だよ」


 私のやっている仕事は使用人としては当たり前のことだ。

 烈牙様に言われたから公子の話し相手も私の仕事の一つであるがあまり公子たちに無駄遣いはさせたくない。


 吹雪は商人だから個人的なお金は多そうだけど散財するような子になったりしたら困るわ。

 私にお金を使って商人の仕事に影響出てもいけないし。

 それとも私に多額のお金を使うくらい仕事で稼ぎがあるのかしら。


「吹雪様のお仕事は順調ですか?」


 吹雪の懐事情を知るためにそんな質問をしてみる。


「俺の仕事? うん。問題なくやっているよ。最近は取引相手も増えて順調なんだ」


「やっぱり商品は宝飾品が中心ですか?」


 先日、吹雪が取り扱っていた商品は宝飾品が多かったはずだ。


「そうだね。需要が多いからね。貴族なんてさ、自分を着飾ることに執念燃やしてるから」


 そうなのだろうか。

 私の実家の男爵家はあまり裕福ではなかったから両親もそんなに派手に着飾っていた印象はない。


 身分の高い吹雪たちの身に着けている物を見ても上質な素材の物だが華美な装飾品を身に着けているわけではない。

 貴族が着飾ることが好きなら公子の吹雪たちはもっと派手な服装をしているような気がするが。


 まあ、派手な服装を着ていなくても公子たちは烈牙様の美貌を受け継いでいるから笑顔を浮かべるだけで周囲の者を惹きつけちゃうけど。


 お店に入る時には店内にいた女性たちの視線が吹雪と響に注がれていたことには気付いていた。

 本人たちは慣れているのか気にした素振りもなかったが。


「公子様たちを見ているとあまり着飾っているようには見えませんが」


「ああ。俺たちは男だし、それに母親の影響もあるかな」


 母親という言葉に私はドキリとする。


「アリシア様ですか?」


「うん。俺たちの母親は人間だったせいもあるけどあまり贅沢を好まない人でね。必要な物があればいいって自分から宝飾品を父上に強請ることはなかったんだ。父上が勝手に母上に贈り物はしてたみたいだけどさ。だから俺たちにも必要以上にお金や物を欲しがるなって言うのが口癖だったから俺たちも必要以上に着飾ることはしないようになったんだよね。貴族の奥方としては変わった人間だったよ、母上は」


 まあ、人を変人みたいに言わないでよ。

 でも吹雪の言うことは当たっているわ。


 確かに私は無駄遣いするのが好きではなかった。

 烈牙様から贈り物をもらえば受け取っていたが自分から贅沢な物を強請ったことはない。


 社交界のパーティーに参加する時は魔公爵夫人として煌びやかな恰好をしてもそれ以外は動きやすいドレスを身にまとい息子たちと走り回って遊んでいたぐらいだ。

 とても高位貴族の奥方とは呼べない行動だったろう。


「そうなんですか」


「真雪は信じられないかもしれないけど母上は俺たちと泥んこ遊びもするような人間だったんだ」


 そんなこともあったわね。

 今思うとちょっと恥ずかしいわ。


「元気なお母様でいらしたのですね」


 私は無難な言葉で答える。


「私が5歳の時に亡くなってしまったから母上にはもう少し長生きして欲しかった気持ちがあります」


 響は寂しげな表情をした。

 その表情に私は胸が痛くなる。幼い響には母親の死は辛いことだっただろう。


 ごめんなさい、響。

 貴方の成長を見ずに死んでしまって。


 心の中で私は響に謝った。


「きっと奥方様も響様の成長を見守ってあげられなくて悔しい気持ちだったと思いますよ。でも今はあの世から響様の成長を喜んでいるはずです」


「そうかな。それなら嬉しいけど」


 そうよ。あの世じゃないけど生まれ変わって響の成長を見て私は嬉しいもの。


 そこへパンケーキが運ばれて来た。


「さあ、真雪。たくさん食べて」


「はい。いただきます」


 私はパンケーキを食べる。

 甘くてとても美味しい。葡萄の甘味が口いっぱいに広がる。


「とても美味しいです」


「うん。本当に美味しいね」


 吹雪も満足そうに食べている。

 そういえば吹雪は子供の頃から甘い物が好きだったわね。


「ところで吹雪兄さん。例の噂を聞きましたか?」


 例の噂?


「ああ。勇者が現れたんじゃないかってこと?」


「ええ。父上はそのことで今日王城に行っているんですよね?」


「でもまだ噂だし、勇者が『真の勇者』か分からないし。今の段階では気にすることないんじゃない?」


 勇者が現れたですって?


 二人の会話を聞いて私は驚いた。


 勇者というのは人間界に生まれる魔王を倒しに来る者のこと。

 約百年ごとに現れる勇者は魔族にとって厄介な者だ。


 普通は人間より魔族の方が強い。

 だから魔族は人間を自分たちより弱いモノとして馬鹿にするのだ。


 しかし勇者は魔族を倒す力を持つ。

 けれど普通の勇者では魔王様は倒せない。


 魔王様の魔力は強大だ。

 普通の勇者なら烈牙様も倒せまい。


 だがそんな勇者の中にたまに「真の勇者」が生まれることがある。

 この真の勇者は魔王様さえ倒すほどの能力を持っているのだ。


 数千年に一度しか現れないという真の勇者だが先代の魔王様を倒したのもこの真の勇者だった。

 なので魔族は真の勇者を恐れている。


 前回の真の勇者は魔王様と刺し違えて死んだらしい。

 その後を現在の烈牙様の兄に当たる紫電しでん様が魔王を引き継がれたのだ。


 もし今回の勇者が真の勇者なら烈牙様の御身も危険だ。


「勇者が現れたのですか?」


 吹雪に尋ねる私の声は震えてしまう。

 それを吹雪は私が勇者に怯えていると感じたようだ。


「まだ噂だよ。それに真の勇者かは分からないし。真雪が怖がることはないよ。真雪のことは俺たちが護るから」


 安心させるように吹雪は言うが私は落ち着かない。

 もし勇者が現れたら魔王様より先に戦うのは魔王軍の元帥の烈牙様だ。


 烈牙様の身に何かあったら私は生きていけない。

 私の脳裏に血に染まる烈牙様の姿が浮かぶ。


 しっかりしなさい! まだ烈牙様に何かあった訳じゃないんだから!


 それに噂はまだ勇者が現れたのではないかということだけだ。

 たとえ勇者が噂通りに誕生していても吹雪の言うようにそれが「真の勇者」だとは限らない。


「そうですか。真の勇者でないことを祈ります」


 今の私にはそう言うことしかできない。


 勇者なんて生まれなければいいのに。


 人間のアリシアだったら願わないことを魔族の真雪は願う。


 やはり私はアリシアではないわね。

 もう私は魔族なのだわ。


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