第七話 割る

 アナが目を覚ましてから数日が経った。今日も朝から診察を受けている。寝間着ねまきの前を開けるのにまだ少し恥ずかしさを感じていた。


「……うん、脈拍も正常、体温も平熱で落ち着いていますし、ようやく小康状態も過ぎたといったモノですね。今日からは軽い運動なら大丈夫ですよ」


 笑顔で診断結果を告げているこの女性は、スターチスという。この軍隊の救護部隊で大隊長を務めている者で、左肩から流している銀色の編み込みは、部屋の照明に照らされてキラキラしており、目に入ると少し眩しい。

 穏やかな性格であることが、優しい顔に現れていると感じる植物霊種ドライアドで、魔王の若い頃から先代に仕えていたらしく、軍の者たちからも、畏敬の念をもって接されている。


「ありがと、スターチス」

「いえ、私も心配していましたから……」

 スターチスに笑いかけて、ふと、あの日の勇者の言葉がアナの頭に浮かんだ。


「生きる理由、か……」


 そう呟いて、頭をフルフルと左右に振った。

「難しいことは良くわかんないや……」

 丸くなった背中を急にバシンと叩かれた。


「痛っ」

「気負わない事ですよ。抱え込むだけでは何も変わりませんから。気分転換に食事でもしてきたらどうかしら、今は丁度、給仕部隊がいるでしょうし」

「分かった、ありがとね」

 時計を見る。八時を回る頃だった。





 靴を履いて食堂へ向かう。スターチスが言ったように、すでに軍の者たちは出てしまっているらしく、給仕部隊が幾人か食事を済ませている最中だった。入ると、中央の方にいたマドレーヌたちが、アナに気づいて駆け寄ってきた。


「アナ様!御体の不調は大丈夫ですか!?あの一件以来面会が叶わず、目を覚ましたことしか耳に入っていなかったもので……私、とても心配で……」


 今にも泣きだしそうな顔をしている。実際にマドレーヌは、目の前でアナの倒れる様を見ているわけで、衝撃は他の者より大きかったのだろう。


「うん、大丈夫。さっき、少しなら動いても良いって言われたし」

 アナがそう言うと、心底深く安堵の顔を見せた。

「そうでしたか……!!良かったです……」


「ただまあ、あんま無理しねえ方が良いな」

 調理場の方からビスケットが出てきた。今朝の業務を終えたところらしい。

「婆さんの方から連絡が入ったんで、食事も優しいモンにしといた方が良いって思ってな。リゾットにしたんだが、まだ食えそうにないなら後で部屋に運ばせようか」


「ううん、食べる。大丈夫だよ」

 そう言ってビスケットから食事を受け取って席に着く。一口、運ぶ。熱が口に広がって思わず空気を含もうとする。


「はふ、はふ」

「ハハハッ、出来たてだから気をつけろよ」

 周りの給仕部隊もつられて笑っていた。

「なんだか、にぎやかだね」

 呑気に口へ運んでいく。熱い、美味い、熱い、美味い。


 食事を済ませて給仕部隊と別れると、部屋に戻ったアナは暇が出来た。何をしようか考え、身体を動かすか、と思った時には魔王の元に足を延ばしていた。


 魔王は普段、書斎に居る。リセに部屋の場所を聞いて、扉の前まで案内してもらったが、屋上に出る大窓の向かい側だった。


「ここだったんだ」

「ええ。すでに連絡は済ませておりますので、入って頂いて大丈夫ですよ」

 促されて扉をノックし、返事を聞いて戸を開ける。


「おお、来たか。体調はどうだ?」

「おかげさまで」

 そうか、と微笑む。


「改まって用とは、どうした」

「や、大したことじゃないんだけど……外庭を回ってみようかなって。一応断りを入れとこうって思ったんだ。それと、地図とかあったらほしいなって思ってさ」


 それを聞いて笑みをこぼす魔王。

「なんだ、勝手にしてくれていいのだが。ここはもうお前の家なのだから、好きなように過ごしてくれ。地図は……そうだな、用意させよう」

「そっか、そうだよね。わざわざ時間取らせちゃった」

 少しはにかんで、はぐらかす。

「良いとも、お前が自分の意思を見せてくれただけでも嬉しい」

 照れくさい言葉を吐く奴だ、と思ってぎこちなく笑う。


「ありがとう。じゃ、行ってくるね」

 あちらも笑顔で見送った。





 給仕の一人が部屋の方に地図を届けてくれたため、日の高くなる前に外庭へ出ることがかなった。門から出て地図を開く。アナには少し難しい文字もあるが、広さが掴めれば、さほどの問題はなかった。


「さて、じゃあ……此間とは逆の方に行ってみようかな」


 農場と反対に進んでいく。先には小さい集落がいくつか広がっていて、小ぶりな山があった。岩肌が広く見えている城の山とは違って、木々が茂っていて、どうにも外から道は見えないほどだった。


「登ってみようかな」

 入口は気持ち程度に整備されていたが、入った先は植物が只管ひたすらに群生していて、どうにも進むのが難しいほどに足元が見えなかった。


「こんなに生えるもんなんだなぁ……」

 村も街も植物が育つような土地ではなかったから、アナにとっては驚くべきものだった。いっそう茂った雑草をかき分けて進んでいく。


「ムルームのおかげって言ってた……どんな奴なんだろ、ちょっと会ってみたいな……春になったら出てくるのかな」


 独り言を喋りながらズンズン進んでいく。おおよそ、日が最も高くに位置する頃に、頂上に到達した。近くで一番高い木に登って見渡す。


「やっぱり広いなあ…」


 雄大に広がる自然、群生する様々な植物の中に点々といくつかの集落が見える。遠く巨大な壁が周囲を囲んでいて、その先に少し、平野が見えた。

 大きな山に城、下の方には農場。収穫している給仕部隊が豆粒のようだった。





 アナが少しの間ぼうっとしていると、一匹のリスが木を登ってきた。そのまま身体を登って肩にくる。頬をチロチロと舐める舌が、くすぐったくて笑いが出る。


「ハハッ、くすぐったいよ」

 かまわず舐め続けるリスが、かわいく思えてくる。


「お前、此処に住んでるの」

 その問いに首をかしげる。

「一人なんだ」

 反対の肩に移り、今度は頬を擦り付けてきた。

「そうか、そうなんだ」


 乾いた風が抜ける。ふと、物思いにふける。少女は考えないようにしていた女の言葉を思い出す。一つため息をつくと、リスが心配そうな顔で見ていた。


「ああ、なんでもないよ」

 キュー、と鳴く。空を仰ぐ。名もない鳥が数羽、飛んでいた。


「あの鳥たちは、あれが生きる理由なのかな」

それに対してまたキュー、と鳴く。

「お前は、どうして生きているの」

 リスは何も答えることなく、アナの肩でくつろいでいた。

鳥は軽く壁を越えその先へと消えていく。

 ああ、その先の、何を求めて飛んでいくのか。アタシも飛べたなら、何かを追ってどこまでも進んだのだろうか。

 そんな思いが、アナの頭に巡っていた。


 しばらく経って、日も傾いてきた。いつの間にか、うつらうつらと太い枝の上で寝被っていたところ、リスが起こしてくれた。昼飯の時間が過ぎていることに気づいて、調理部隊に申し訳なさを感じながら、少女は城へと戻った。





「ただいま」


 書斎に行くと紅茶を淹れている最中だった。

「おお、おかえり。ちょうど淹れたてが出来たところだ」

 そう言ってアナに一つ、カップを渡す。

「ありがとう」

 アナが受け取って、一口含む。肩のリスが不思議そうに見ていた。


「随分と小さい友が出来たようだな。魔リスとは、また珍しい」

 それに反応してリスが少し、気を張ったように鳴く。

「懐いちゃったみたいでさ」

 そう言って撫でる。魔王に少し警戒しているようだ。


「……あまり、私とは共に居たくないようだな」

 少し残念そうにしているが、取り直した。


「山の方に行ったのか。あちらはあまり面白いものもなかったと思うが…」

「そうでもないよ、自然は好きだし」

 ソファに腰かける。紅茶を一口含む。


「……少し考えてたんだ、あの勇者と出会ってから」

「フェイか?あいつの言うことは真面目に考えるだけ無駄だぞ」

 その言葉に少し苦笑する。


「確かに、考えなくても別にいいことなんだろうけど……それでもアタシも思うところがあったから」

 思いを馳せるような顔で、くうを見ていた。

「生きる理由なんて、考えたこともなかった……」

 魔王は黙って聞いている。


「なんなんだろうなって。難しいこと一つも分かんないし。ちょっと前まで死にたいって思ってたんだよ?生きる理由なんて、分かるわけないじゃん。生きていたいだなんて、何がアタシをそう思わせてるのかって」


「アタシは、何がしたいんだろうなって……考えたんだ。それで、アタシはあいつが言った通り、何も考えていなかった」


「でも、理由って必要なのかな」

 拳を握りしめる。

「アタシにはまだ生きる理由とか全然分からないし、それが必要なのかも分からない。ただ今は、死にたくないから生きているってだけで、それだけで充分なんじゃないかって思ったんだ」


 魔王が少し微笑む。


「これが……正しい答えだとかは、全然分かんないけどさ。前に言ったのと一緒、アタシは死なないよ。弱いとか強いとかじゃなくて、理由とかもなくただ生きていたい」

 顔を上げて笑顔を魔王に向ける。

「あんたから拾った命を大切に、死なせないために生きていく。日々を過ごしていく。これがアタシの答えなんだって、思うことが出来たんだ」


「……そうか。お前がそのような答えを出すことが出来たのであれば、私がわざわざ口を挟むことも必要なさそうだ」

 少しの安堵と、喜びをはらんだ表情をする。やさしい、やさしい顔だ。


「うん……アタシはまだ子供で、まだ知らないことも多くて、頭だって悪いから、難しいこと考えても難しいままだし……」

「だから、これからいろんなことを知っていって、この答えが変わってしまうのかもしれない。それはアタシにも分からない。それでも今、アタシなりの答えを出すことが、大事なんだって思ったんだ」

 出した一つの結論、確かに胸に刻んだそれを、魔王の方へと打ち明けた。


「ああ、変わろうとも良いのだ。お前の出した答えは、お前だけのもの。誰が何を言おうとも、お前を肯定するものなのだから」


 魔王の言葉に顔がほころぶ。優しく微笑んでいる彼に、思わず涙が目尻に膨らんでいた。と、同時に、書斎の窓の割れ、人陰が激しく転がり込んできた。

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