第七話 割る

 目を覚ましてから数日が経った。今日も朝から診察を受けている。寝間着ねまきの前を開けるのは、まだ少し恥ずかしさがあるけれど…治療は受けなきゃいけないから仕方がない。


「…うん、脈拍も正常、体温も平熱で落ち着いていますし、ようやく小康状態も過ぎた…といったモノですね。今日からは軽い運動なら大丈夫ですよ」


 笑顔で診断結果を告げてくるこの女性は、スターチスという。この軍隊の救護部隊で大隊長を務めていると聞いた。左肩から流している銀色の長い髪は、部屋の照明に照らされてキラキラして、目に入ると少し眩しい。穏やかな性格であることが、優しい顔に現れていると感じる、そんな女性だ。聞いた話によると植物霊種ドライアドで、魔王の若い頃から、先代に仕えていたらしい。


「ありがと、スターチス」


「いえ、私も心配していましたから…治りかけてた内臓も、また損傷が見られますので、回復にはもう少しばかり時間がかかると思いますし、骨の強度も少しずつ上げていかなければいけませんね…まあ、成長期ですし大丈夫だとは思いますが」


 安堵の顔でいろいろ言ってる。そんなスターチスをよそに、頭の中はあの日に会った勇者の言葉が巡り巡っていた。


「生きる理由、か…」


 そう呟いて、頭をフルフルと左右に振った。

「難しいことは良くわかんないや…」

 丸くなった背中を急にバシンと叩かれた。


「痛っ」

「気負わない事ですよ。フェイから言われたことは…確かにあなたに刺さったのかもしれませんが、抱え込むだけでは何も変わりませんから。気分転換に食事でもしてきたらどうですか?今はおそらく給仕部隊が食事をしているでしょうし」


「分かった、ありがとね」

 時計を見る。八時を回る頃だった。


 靴を履いて食堂へ向かう。スターチスが言ったように、すでに軍の者たちは出てしまっているらしく、給仕部隊が幾人か食事を済ませている最中だった。入ると、中央の方にいたマドレーヌたちが、こちらに気づいて駆け寄ってきた。


「アナ様!御体の不調は大丈夫ですか!?あの一件以来、面会が叶わず、目を覚ましたことしか耳に入っていなかったもので…私、とても心配で…」


 今にも泣きだしそうな顔をしている。結構心配してくれたんだな。それもそうか。実際に、マドレーヌは目の前でアタシが倒れる様を見ているわけで…衝撃は他の人より大きいだろうから。


「うん、大丈夫。今朝の診察で少しなら運動をしても良いって言われたし」

 そう告げると安心した様子を見せた。

「そうでしたか…!!良かったです…」


「ただまあ、あんま無理しねえ方が良いな」

 調理場の方からビスケットが出てきた。丁度、今朝の業務を終えたらしい。

「婆さんの方から連絡が入ったんで、食事も優しいモンにしといたが良いって思ってな。リゾットにしたんだが、まだ食えそうにないなら後で部屋に運ばせようか」


「ううん、食べる。大丈夫だよ、ありがとう」

 そう言ってビスケットから食事を受け取ると、席に着く…思えば、魔王以外と朝食を食べるのは初めてだった。なんだかソワソワする…一口、運ぶ。熱が口に広がって思わず空気を含もうとする。


「はふ、はふ」

「ハハハッ、出来たてだから気をつけろよ」

 周りの給仕部隊もつられて笑った。

「なんだか、にぎやかだね」

 のんきに口に運んでいく。熱い、美味い、熱い、美味い。


 食事を済ませて給仕部隊と別れると部屋に戻った。訓練しかせずに生きてきたから、こういった暇な時間は何をすればいいか分からない。身体を動かしにでも行くか。此処の土地勘を育てるのにもつながるだろうし…と、思った時には魔王の元に足を延ばしていた。


 聞いた話によると、普段は書斎で業務をしているらしい。リセに部屋の場所を聞き、扉の前まで案内してもらったが、屋上に出る大窓の向かい側だった。思っていたより近くにあったんだな、と思った。


「ここだったのか」

「ええ。すでに連絡は済ませておりますので、入って頂いて大丈夫ですよ」

 促されて扉をノックし、返事を聞いて戸を開ける。


「おお、来たか。体調はどうだ?」

「おかげさまで」

 そうか、と微笑む。そして続ける。


「ところで改まって用とは、どうした」

「や、大したことじゃないんだけど…外庭を歩き回ってみようかなって。一応断りを入れとこうって思ったんだ。それと、地図とかあったらほしいなって思ってさ」


 それを聞いて笑う。

「なんだ、勝手にしてくれていいのだがな。ここはもうお前の家なのだから、好きなように過ごしてくれ。地図は…そうだな、用意させよう」

「そっか、そうだよね。わざわざ時間取らせちゃった」

「良いとも、お前が自分の意思を見せてくれただけでも嬉しい」

 照れくさい言葉を吐く奴だ、と思った。笑って返す。


「ありがとう。じゃ、行ってくるね」

 あちらも笑顔で見送った。


 給仕の一人が部屋の方に地図を届けてくれたので、日の高くなる前に外庭へ出ることが出来た。門から出て地図を開く。少し難しい文字もあるけど、どんな感じで広がってるのが分かればいいから、さほどの問題はなかった。


「さて、じゃあ…此間とは逆の方に行ってみようかな」


 農場と反対に進んでいく。先には小さい集落がいくつか広がっていて、小ぶりな山があった。岩肌が広く見えている城の山とは違って、木々が茂っていて、どうにも外から道は見えないほどだった。


「登ってみたら周りを見渡せそうだな」

 そうして入口の方に向かっていく。入口は少しだけ整備されていたけど、入った先は植物が只管ひたすらに群生していた。


「こんなに生えるもんなんだなぁ…」

 村も街も植物が育つような土地ではなかったから、ここまでのものを見るのは改めて思うが驚くべきものだった。かき分けて進む。


「これもムルームのおかげって言ってたな…どんな奴なんだろ、ちょっと会ってみたいな…春になったら出てくるのかな」


 独り言を喋りながらズンズン進んでいく。大体、日が最も高くに位置する頃に、頂上に到達することが出来た。近くで一番高い木に登って見渡してみる。


「やっぱり広いなあ…」


 雄大に広がる自然、群生する様々な植物の中に点々と色んな家が見える。巨大な壁が周囲を囲んでいて、その先に少し、平野が見えた。離れたところに城が見える。こうやって眺めると結構大きいんだな、と感じる。

 下の方には農場。収穫している給仕部隊が豆粒のように見えた。あの中にハーヴェも居るんだろうか、などと考える。壁の上には道があるようで、軍の者が数人ほど歩いているのが見えた。


 少しの間ぼうっとしていると、一匹のリスが木を登ってきた。そのまま身体を登って肩にくる。頬をチロチロと舐める舌が、くすぐったくて笑いが出る。


「ハハッ、やめろよ」

 かまわず舐め続けるリスが、かわいく思えた。


「お前、此処に住んでるのか」

 その問いに首をかしげる。

「一人なのか」

 反対の肩に移り、今度は頬を擦り付けてきた。

「そうか、そうなんだな」


 乾いた風が抜ける。ふと、物思いにふける。考えないようにしていたが、やはり頭の奥でぐるぐると回っていたあの女の言葉を思い出す。一つため息をつくと、リスが心配そうな顔で見ているのに気づく。


「ああ…なんでもないよ」

 キュー、と鳴く。空を仰ぐ。名もない鳥が数羽、飛んでいた。


「あの鳥たちは、あれが生きる理由なのかな」


 それに対してまたキュー、と鳴く。鳥は軽く壁を越えその先へと消えていく。

 ああ、その先の、何を求めて飛んでいくのか。アタシも飛べたなら、何かを追ってどこまでも進んだのだろうか。


 しばらく経って、日も傾いてきた。いつの間にか、うつらうつらと太い枝の上で寝被っていたところ、リスが起こしてくれた。昼飯の時間が過ぎていることに気づいて、調理部隊に申し訳なさを感じながら、城へと戻った。


「ただいま」


 魔王の書斎に行くと紅茶を淹れている最中だった。

「おお、おかえり。随分と小さい友が出来たようだな。魔リスとは、また珍しい」


 それに反応してリスが首元に隠れる。

「懐いちゃったみたいでさ」

 そう言って撫でる。魔王のオーラを本能で感じてるみたいだ。少し警戒している。


「…あまり、私とは共に居たくないようだな」

 少し残念そうにしている。気の毒だけどまあ仕方ない。


「山の方に行ったのか。あちらはあまり面白いものもなかったと思うが…」

「そうでもないよ、自然は好きだし」

 ソファに腰かける。紅茶を貰って一口含む。


「…少し考えてたんだ、あの勇者と出会ってから」

「フェイか?あいつの言うことは真面目に考えるだけ無駄だぞ」

 その言葉に少し苦笑する。


「確かに、考えなくても別にいいことなんだろうけど…それでもアタシも思うところがあったからさ。生きる理由なんて、考えたこともなかった…」

 魔王は黙って聞いている。


「なんなんだろうなって。難しいこと一つも分かんないし。ちょっと前まで死にたいって思ってたんだよ?生きる理由なんて、分かるわけないじゃん。生きていたいなんて、何がアタシをそう思わせてるのかって」


「アタシは、何がしたいんだろうなって…考えたんだ。それで、アタシはあいつが言った通り弱くて、結局…信念ってのも、よく分かんなかった」

 そうして結論を出す。


「そうやって、頭悪いなりに考えたんだけどさ!理由なんて要らないんじゃないかって思ってさ…誰かのためとか、そういうのアタシにはまだ無くて。そういうの、分からなくて…ただ今は、死にたくないから生きているってだけで、それだけで充分なんじゃないかって思ったんだ」


 魔王が少し微笑む。


「これが…正しい答えだとかは、全然分かんないけどさ。アタシは、死にたくないんだ。だから、ただ生きていく。弱いとか強いとか関係ない。信念なんて知らない。あんたから拾った命を大切に、死なせないために生きていく。のうのうと日々を過ごしていく。これがアタシの答えなんだって、思うことが出来たんだ」


「…そうか。お前がそのような答えを出すことが出来たのであれば、私がわざわざ口を挟むことも必要なさそうだ」

 少しの安堵と、喜びをはらんだ表情をする。やさしい、やさしい顔だ。


「うん…アタシはまだ子供で、まだ知らないことも多くて、頭だって悪いから、難しいこと考えても難しいままだし…」

「だから、これからいろんなことを知っていって、この答えが変わってしまうのかもしれない。それはアタシにも分からない。それでも今、アタシなりの答えを出すことが、大事なんだって思ったんだ」

 出した一つの結論、確かに胸に刻んだそれを、魔王の方へと打ち明けた。


「ああ、変わろうとも良いのだ…お前の出した答えはお前だけのもの、誰が何を言おうとも、お前を肯定するものなのだから」


 魔王の言葉に顔がほころぶ。優しく微笑んでいる彼に、思わず泣きそうになった…と思うと、窓が割れ、勢いよく人影が転がり込んできた。

「な、なんだ!?」

 反射的に手で顔を守る。恐る恐る目を開けると、そこには勇者が居た。


「なはは~、久々に割ったわい」


「あ、あんた、なんでここに!?」

「なんでもへったくれもないだろう。茶でも飲みに行くと言っただろう?」

 ガハハと大きな声で笑う。その隣で静かに魔王が怒りを見せる。


「貴様なぁ…窓を割るなと何度言えば理解する…」

 凄まじいほどの剣幕で詰め寄る。しかし、勇者は動じない。


「割らんと窓から入れんだろう」

「窓から入らなければ良いだろうが!!」

「そう怒鳴らんでも聞こえておるわ」

「貴様ぁ…」


 いつもの落ち着いた様子とは違う魔王に驚く。相手がここまで失礼な奴だとさすがに怒るものなんだな…と思った。


「二人は、そっか…知り合いって言ってたね」

「知り合いというか、まあ、腐れ縁みたいなもんさね。ウン百年も生きてりゃ、古い知り合いもほとんどいやしないからの。昔を懐かしむ相手が、こいつくらいしか居ないんだよ」


 出てくる言葉一つ一つに驚く。

「ウン百年って…あんた何歳!?」

「それは乙女の秘密さね」

 目くばせをして軽くあしらう。魔王が言おうとするのを、必死で止めていた。


 紅茶を一口飲んで、落ち着きを取り戻す。

「そうだ…だからなんで居るんだよ」

「言うたであろう、茶を飲みに来た。ついでにお前に会うのと、久しぶりにヴァーミリオンの顔でも見とこうかと思ってね。それだけさね」

「別に窓から来なくても…」

「カッコ良さってのは追求するもんだよ」

 肩をすくめておどけている。


「茶だけではないだろう、要件を伝えろ」

 魔王が割って入る。それに合わせて勇者も態度を直す。

「さすがに分かるか。そうさね…少し面倒な事が出来ちまってさ」

 魔王の紅茶を取り、一息に飲み干して続ける。


「アナを人間界に引き戻すように依頼が来たさね」


 言ってる意味が理解できなかった。ただ、魔王の怒りがさらに強くなったのが強く感じられた。


「…私は笑えない冗談が嫌いだというのは、貴様も知っていると思っていたが」

「ああ、もちろん知ってるさね」

 毅然とした態度で振る舞う。魔王は苛立ちを隠さなくなった。


「もう少し聡い者だと思っていたのだがな…では、失せろ。そして二度と我が領土に踏み込むことを禁ずる。今後一切、貴様との交流はしない」

「まあ待て。昔から結論を急ぎすぎるのがお前の欠点さね。私はまだ、『依頼が来た』としか言っていないだろう」

 魔王は口を噤み、言葉を飲み込んだ。アタシにはまだよく分からない。この勇者は、アタシを連れていくつもりなのだろうか?


「まだ正式に受けてはいない…というよりも、お前の性格からして返事をしていないと言ったところか…」

 勇者は頷いて返事をする。

「それで、どういった依頼内容なのだ」

「簡単なモンさね。『魔王に攫われた勇者を取り返してこい』っていうもんだ。攫われたって言う辺り、おそらく施設の奴らだろうねえ」

「おそらく、とは?」

「ワシも人伝ひとづてに依頼されたからねえ、依頼者が明確ってわけじゃあないんだ。そもそんな奴らは信用しないんだが…施設だった場合、裏に二大宗教のどっちかが絡んでる」

魔王が一つ、ため息をつく。


「無視は、できんか」

「ああ、無理だねえ。既に人間界ではもう広まりつつある。お前んとこの兄姉の方には、おそらく向かないとは思うがね」

「そこから白か黒か、判別は付けられんのか」

「どうかね…規模や広まり方から言っても十中八九、白鯨だろうけど。少し気になる点があってね。起点がアーゲンじゃないってことなんだ」

「…それは、難しいところだな」

 魔王は眉間にしわを寄せて、不機嫌さを隠さない。


「面倒だ…それで、貴様はどうするつもりだ」

「それは本人次第だねえ」

 そう言うとアタシに向き直った。少し驚く。先程まで連れていくような雰囲気をしていただけに、アタシも思わず声を出す。


「なんで、依頼をもらってるんだろ?」

「だから、依頼はまだ返事をしていない。今日はお前を見極めに来た。先日に問うた答えを聞いて、そこからどうするか決めようって話さね」

 そうしてアタシに問い質す。

「…して、お前の答えは出たのかい?」


 一瞬、躊躇う。しかし、魔王を見やり改めて、決心する。


「ああ、出したよ。さっきそいつにも言った」

 少し驚いた様子を見せる。直ぐに態度を戻し問う。


「そうかい、ではお前の生きる理由とは何だい?何のために生きるのかい」

「ないね、理由なんて大層なモノ」

 気の抜けた声を出して驚く。


「はぁ?お前、分かって言ってるのかい?」

「うん。アタシに生きる理由なんて無いんだ。だけど、もう死ぬ理由も無い。命を拾ってもらって、死ぬ理由が無くなった。死にたくなくなって…今は、それだけでいいんだって思ったんだ」


 それを聞いて少し考えている。

「うぅん…全く、面倒な子だねえ。それなら弱いままでいいってことかい」


「大事なのは、たぶんそこじゃないんだ。心も、力も、アタシは弱い。実際…何もできずに死にかけたから、それは痛いほど分かる。そう考えると、強くなることも必要かもしれない」

 勇者は見定める。目を離さない。


「それでも不確定な先を見て話せるほど、アタシは大人じゃない。だから、死なないために今を生きてみるだけなんだ」


 しばらく黙っていたが、急に大声で笑いだした。

「あっはっは!!お前はそう結論付けたのかい。まったく…面白いもんだねえ。そうかい、そう考えたのかい…それなら…」

 魔王に向かって声を投げる。目尻に小さな雫が見えた。

「連れて行かないことにしたよ。ワシも、こいつが気に入ったさね。お前んとこに居てくれた方が、これからは面白いもんが見れそうだ」


「急すぎるだろ!そんなに即決できるの!?」

 思わず突っ込む。

「お前が、しっかり考えた結果だって分かってるからねえ。前に言っただろう、ワシも似たようなモンだって。お前とワシとでは、結論は違うけどねえ」

「自分の答えと違うのは、正解なの…?」

「正解だとも、それがお前の正解さね」


 その言葉に少しの安心感を覚えた。すると黙って聞いていた魔王が口を開いた。

「初めから連れて行かせなどしないがな。どうせ貴様のことだ…トルッカでアナと出会った際に、既に決めていたのだろう。どんな答えでも、自分の考えを出せていれば連れて行く気はない、と」


「なっ!?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で魔王を見ている。

「気づいてないと思ったのか、何百年来の付き合いだと思っている」

「え、そうだったの」

 アタシも面食らって勇者を見る。照れ隠しに勇者が魔王を殴る。

「そういうもんは本人が居ないとこで言え」

 殴られた魔王は鼻で笑った。


「コホン…とりあえず、アナ。ワシはお前の答えを是とする。依頼主には面倒だけど、うまく言い訳を考えなきゃあいけないね」

 そこでまた魔王が口を挟む。

「そのことなんだがな、一つ案がある」

 なんだろう、と思っていると、勇者が露骨に面倒そうな顔をした。


「お前の提案は過去ろくでもないモノばかりだからねえ…」

「お互い様だろう…まあ良い。実はな、アナを拾った時からすでに考えていたことだが、アナを私の養子として迎え入れようと思う」


「はぁ!?」

 声が出た。勇者も驚いている。

「アタシを養子にって…なんで!?」


「事を円滑に運びやすくなるからだ。正直な話、自分たちで捨て置いて何を今更かとも思うが…現に、フェイを使ってまで人間たちが、お前を我々から奪おうとしていることが分かった」

 その言葉に目を伏せる。


「私はお前を手放すつもりはない。お前はもう私の大切な仲間だ。しかし…世界から見ればお前はただ、私の城に連れてこられ、軟禁されている状態である。これはあまり良い状況とは言えない」

「それで、養子かい?突飛なもんだねえ」

 勇者が口を挟む。


「私もそう思う。しかし、アナを養子として縁組をすることで、私の身内であるという事を公的に宣言すれば、この城に住む正統性ができるのだ」

「普通にアタシが自分の意思で住んでるっていうのは…?」


「公的な宣言とはその存在自体が効力を持っている。お前は、まだ知らないかもしれないが…血盟とは口約束ではない。明確に、自分の意思で賛同することが絶対の条件とされ、不正があった場合、重い罰が与えられる。故に、結ぶと結ばないとでは全く信憑性が違うのだ」

「ちょっと待って、罰!?え、そんな重いの?」

「大丈夫だ…罰は提案者が決める。今回は、お前には罰を一切受けさせないように締結するから、心配は無用だ」

 …なら、いいのか?いや、それでもお前は受けるんだろ…?


「盟約が締結されれば、人間側は『お前を救う』という大義名分を失い霧散することになる。公的に宣言するだけで邪魔な奴が減るのだ。魔王の娘という立場を持つことで、身柄を狙われることも少なくなるだろうしな」

 言っていることは確かに的を得ている。アタシがここで暮らしていく上で、外の人間たちに邪魔はされたくない。


「上手く、聞いてくれれば…の話だねえ」

 隣で聞いていたフェイが口を開いた。


「聞き入れるしかなかろう。元々、この提案はもう少し時間が経ってアナが我々魔族に慣れてきてからのつもりではあったのだが…」

「そうなのか?初耳なんだけど」

「ああ、その時まで言うつもりはなかった。今回前倒しにしたのは、今後の人間がお前の負担になるだろうと考慮した上での判断だ、許してほしい」

 いいけど、と口をつく。隣の勇者が挟む。


「まあ、いい考えだね。広まりゃいいけどね」

「そこはお前次第だろう」

「結局ワシ任せかい。お前って奴は本当に…」

 大きくため息をついて面倒臭そうな態度を出す。


「面倒事を舞い込ませたのは貴様だ。それに…先程の発言を聞くに、アナを気に入ったようじゃないか」

 ニヤリと得意げな顔でフェイを見る。当人は嫌そうな顔を微塵も隠さない。

「はぁ~~~~…分かったさね。やりゃ良いんだろう。それなら、ワシが匿った方が上手くいきそうなもんだけどね」

「それは貴様の願望もあるだろう」

 二人のやりとりに苦笑する。そんなアタシに魔王が向き直る。


「それで、アナ。どうだろうか。お前の気持ちを優先したい」

 そう言われて考えてみる…これから施設の奴らがアタシを追うことが無くなるなら、悪い話ではないと思う。だけど、そうならなかったら。あいつらは危ないから、上手くいかないかもしれない…施設の奴らも、それと敵対してるような奴らも、アタシを狙うそのどれもが、この魔王の領域に攻め込んできたら。


 おそらくアタシは怖いのだと思う。生きる選択をした時から死ぬことが怖くなって、またそれよりも、此処に迎えてくれた魔王軍の奴らに、この魔王に、迷惑をかけてしまうことが、どうしようもなく怖いんだ。それでも…


「うん、養子になりたい」

 それでも、その恐怖よりも、ただこの縁を守りたいという浅はかな願望の方が、アタシの頭を食い尽くしていた。


「そうか」

 と、笑顔で一言述べる。


「ではこれより養子に迎えるべく、血盟を結ぶ」

「結局、血盟って何をするの?」

「そうだな、互いの血で魔力を練り込んだ紙に署名と血判をする。本来は、あまり知れ渡ることは無いものだが…」

 フェイに視線を飛ばす。


「今は違う。人間界の代表的な者が見届け役としているからな。これを書いたのを見ているという事が、意味を成しているのだ」

「じろじろ見んじゃあないよ。分かってる。ワシがお前たちの養子縁組の保証人として責任を持って世界に伝えるさね」


「よし。アナ、この契約書に自身の血でサインを。ファーストネームは私のものを使うとしよう。綴りは分かるか」

 分かんないから聞きながら書いた。指に少しの傷をつけて血を出した時、小さな痛みがせいを感じる程、温かかった。


「これでいいのか?」

「ああ、完璧だ」

 そう言って書類をフェイに渡す。入念に目を通す。


「確かに。これでお前たちは家族さね」

 勇者は書類を筒状に丸め紐で止めると、魔法の印で封をした。


「こんなに簡単に済むんだな」

「そも家族になるだけならこんな形を取らなくても良いがな。事が事だ、先の面倒を避けるためにやっておかねば」

 面倒そうな顔に可笑しくなって笑ってしまった。


「それじゃ、ワシは帰るさね。アナ、また会いに来るから、それまで元気に生きていくことだね。ヴァーミリオン、お前もしっかりアナを見ててやりな。守るなんて考えるんじゃあないよ。この子はちゃんと、自分で立って歩けるんだ」


「貴様に言われなくとも、分かっているとも」

 魔王の応えに頷くとアタシの方を向く。


「アナ、勇者の路は弱いままではいられないと、そう前に言ったね。あれは、実際にワシがここまで生きてきて出した結論さね。ワシの生き方では、結果としてそこにたどり着いた」

 一つ言葉を飲み込んで続ける。


「要は、どうしたいかさね。お前がどうしたいか、何になりたいか、何でありたいかが重要なんだ。だからこそ、今回お前の答えを聞いて、面白いと感じた」

 窓際に進み、割れた枠に足をかける。


「これからが本当に楽しみさね。ウン百年の時の中でもここまで胸が弾んだことはそうなかった。お前の成長を、ワシにも見届けさせておくれ」


「うん、見ててよ。アタシも、アタシの答えを最後まで持っているから」

 にかっと笑い、割った窓から飛び出て帰っていく。その背中は大きく見えた。だから窓から出入りするな、と叫ぶ魔王を横目に見送る。

 笑顔の勇者が空に映えていた。


 勇者が飛び降りて姿が見えなくなってから、少し経ったところで口を開く。


「これから何をしていこう」

「なんでもいいさ、お前の人生だ。お前のしたいことを私も出来るだけ手伝ってやりたい。お前の望んだ生き方に、手を添えたいのだ」


「そう、だよな。あんたはそうだ。もう嫌と言うほど分かってる。だからアタシも、もうあんたの娘なんだし、出来るだけ我儘を言うようにするよ」

「そうか、期待しておこう」

 ニヤリとしながら言う。


「さては、あんま期待してないな」

「そうすぐに変われるものでもないしな。長く待つさ。私は長命種だ」

「アタシの方が、あんたより先に寿命迎えそうだな」

「そうかもな」


 二人で思わず笑い合う。なんでもない日々が、これからも続いていく。強いられることも、痛めつけられることもなく、ただ平穏な日々を過ごしていく。


 アタシのちっぽけで大きな目標。ただひたすらに生きる。これから、この場所で、生きていく。

 その想いを、聖痕に打ちつけるように、胸に刻んだ。

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