第七話 割る
アナが目を覚ましてから数日が経った。今日も朝から診察を受けている。
「……うん、脈拍も正常、体温も平熱で落ち着いていますし、ようやく小康状態も過ぎたといったモノですね。今日からは軽い運動なら大丈夫ですよ」
笑顔で診断結果を告げているこの女性は、スターチスという。この軍隊の救護部隊で大隊長を務めている者で、左肩から流している銀色の編み込みは、部屋の照明に照らされてキラキラしており、目に入ると少し眩しい。
穏やかな性格であることが、優しい顔に現れていると感じる
「ありがと、スターチス」
「いえ、私も心配していましたから……」
スターチスに笑いかけて、ふと、あの日の勇者の言葉がアナの頭に浮かんだ。
「生きる理由、か……」
そう呟いて、頭をフルフルと左右に振った。
「難しいことは良くわかんないや……」
丸くなった背中を急にバシンと叩かれた。
「痛っ」
「気負わない事ですよ。抱え込むだけでは何も変わりませんから。気分転換に食事でもしてきたらどうかしら、今は丁度、給仕部隊がいるでしょうし」
「分かった、ありがとね」
時計を見る。八時を回る頃だった。
◇
靴を履いて食堂へ向かう。スターチスが言ったように、すでに軍の者たちは出てしまっているらしく、給仕部隊が幾人か食事を済ませている最中だった。入ると、中央の方にいたマドレーヌたちが、アナに気づいて駆け寄ってきた。
「アナ様!御体の不調は大丈夫ですか!?あの一件以来面会が叶わず、目を覚ましたことしか耳に入っていなかったもので……私、とても心配で……」
今にも泣きだしそうな顔をしている。実際にマドレーヌは、目の前でアナの倒れる様を見ているわけで、衝撃は他の者より大きかったのだろう。
「うん、大丈夫。さっき、少しなら動いても良いって言われたし」
アナがそう言うと、心底深く安堵の顔を見せた。
「そうでしたか……!!良かったです……」
「ただまあ、あんま無理しねえ方が良いな」
調理場の方からビスケットが出てきた。今朝の業務を終えたところらしい。
「婆さんの方から連絡が入ったんで、食事も優しいモンにしといた方が良いって思ってな。リゾットにしたんだが、まだ食えそうにないなら後で部屋に運ばせようか」
「ううん、食べる。大丈夫だよ」
そう言ってビスケットから食事を受け取って席に着く。一口、運ぶ。熱が口に広がって思わず空気を含もうとする。
「はふ、はふ」
「ハハハッ、出来たてだから気をつけろよ」
周りの給仕部隊もつられて笑っていた。
「なんだか、にぎやかだね」
呑気に口へ運んでいく。熱い、美味い、熱い、美味い。
食事を済ませて給仕部隊と別れると、部屋に戻ったアナは暇が出来た。何をしようか考え、身体を動かすか、と思った時には魔王の元に足を延ばしていた。
魔王は普段、書斎に居る。リセに部屋の場所を聞いて、扉の前まで案内してもらったが、屋上に出る大窓の向かい側だった。
「ここだったんだ」
「ええ。すでに連絡は済ませておりますので、入って頂いて大丈夫ですよ」
促されて扉をノックし、返事を聞いて戸を開ける。
「おお、来たか。体調はどうだ?」
「おかげさまで」
そうか、と微笑む。
「改まって用とは、どうした」
「や、大したことじゃないんだけど……外庭を回ってみようかなって。一応断りを入れとこうって思ったんだ。それと、地図とかあったらほしいなって思ってさ」
それを聞いて笑みをこぼす魔王。
「なんだ、勝手にしてくれていいのだが。ここはもうお前の家なのだから、好きなように過ごしてくれ。地図は……そうだな、用意させよう」
「そっか、そうだよね。わざわざ時間取らせちゃった」
少しはにかんで、はぐらかす。
「良いとも、お前が自分の意思を見せてくれただけでも嬉しい」
照れくさい言葉を吐く奴だ、と思ってぎこちなく笑う。
「ありがとう。じゃ、行ってくるね」
あちらも笑顔で見送った。
◇
給仕の一人が部屋の方に地図を届けてくれたため、日の高くなる前に外庭へ出ることがかなった。門から出て地図を開く。アナには少し難しい文字もあるが、広さが掴めれば、さほどの問題はなかった。
「さて、じゃあ……此間とは逆の方に行ってみようかな」
農場と反対に進んでいく。先には小さい集落がいくつか広がっていて、小ぶりな山があった。岩肌が広く見えている城の山とは違って、木々が茂っていて、どうにも外から道は見えないほどだった。
「登ってみようかな」
入口は気持ち程度に整備されていたが、入った先は植物が
「こんなに生えるもんなんだなぁ……」
村も街も植物が育つような土地ではなかったから、アナにとっては驚くべきものだった。いっそう茂った雑草をかき分けて進んでいく。
「ムルームのおかげって言ってた……どんな奴なんだろ、ちょっと会ってみたいな……春になったら出てくるのかな」
独り言を喋りながらズンズン進んでいく。おおよそ、日が最も高くに位置する頃に、頂上に到達した。近くで一番高い木に登って見渡す。
「やっぱり広いなあ…」
雄大に広がる自然、群生する様々な植物の中に点々といくつかの集落が見える。遠く巨大な壁が周囲を囲んでいて、その先に少し、平野が見えた。
大きな山に城、下の方には農場。収穫している給仕部隊が豆粒のようだった。
◇
アナが少しの間ぼうっとしていると、一匹のリスが木を登ってきた。そのまま身体を登って肩にくる。頬をチロチロと舐める舌が、くすぐったくて笑いが出る。
「ハハッ、くすぐったいよ」
かまわず舐め続けるリスが、かわいく思えてくる。
「お前、此処に住んでるの」
その問いに首をかしげる。
「一人なんだ」
反対の肩に移り、今度は頬を擦り付けてきた。
「そうか、そうなんだ」
乾いた風が抜ける。ふと、物思いにふける。少女は考えないようにしていた女の言葉を思い出す。一つため息をつくと、リスが心配そうな顔で見ていた。
「ああ、なんでもないよ」
キュー、と鳴く。空を仰ぐ。名もない鳥が数羽、飛んでいた。
「あの鳥たちは、あれが生きる理由なのかな」
それに対してまたキュー、と鳴く。
「お前は、どうして生きているの」
リスは何も答えることなく、アナの肩でくつろいでいた。
鳥は軽く壁を越えその先へと消えていく。
ああ、その先の、何を求めて飛んでいくのか。アタシも飛べたなら、何かを追ってどこまでも進んだのだろうか。
そんな思いが、アナの頭に巡っていた。
しばらく経って、日も傾いてきた。いつの間にか、うつらうつらと太い枝の上で寝被っていたところ、リスが起こしてくれた。昼飯の時間が過ぎていることに気づいて、調理部隊に申し訳なさを感じながら、少女は城へと戻った。
◇
「ただいま」
書斎に行くと紅茶を淹れている最中だった。
「おお、おかえり。ちょうど淹れたてが出来たところだ」
そう言ってアナに一つ、カップを渡す。
「ありがとう」
アナが受け取って、一口含む。肩のリスが不思議そうに見ていた。
「随分と小さい友が出来たようだな。魔リスとは、また珍しい」
それに反応してリスが少し、気を張ったように鳴く。
「懐いちゃったみたいでさ」
そう言って撫でる。魔王に少し警戒しているようだ。
「……あまり、私とは共に居たくないようだな」
少し残念そうにしているが、取り直した。
「山の方に行ったのか。あちらはあまり面白いものもなかったと思うが…」
「そうでもないよ、自然は好きだし」
ソファに腰かける。紅茶を一口含む。
「……少し考えてたんだ、あの勇者と出会ってから」
「フェイか?あいつの言うことは真面目に考えるだけ無駄だぞ」
その言葉に少し苦笑する。
「確かに、考えなくても別にいいことなんだろうけど……それでもアタシも思うところがあったから」
思いを馳せるような顔で、
「生きる理由なんて、考えたこともなかった……」
魔王は黙って聞いている。
「なんなんだろうなって。難しいこと一つも分かんないし。ちょっと前まで死にたいって思ってたんだよ?生きる理由なんて、分かるわけないじゃん。生きていたいだなんて、何がアタシをそう思わせてるのかって」
「アタシは、何がしたいんだろうなって……考えたんだ。それで、アタシはあいつが言った通り、何も考えていなかった」
「でも、理由って必要なのかな」
拳を握りしめる。
「アタシにはまだ生きる理由とか全然分からないし、それが必要なのかも分からない。ただ今は、死にたくないから生きているってだけで、それだけで充分なんじゃないかって思ったんだ」
魔王が少し微笑む。
「これが……正しい答えだとかは、全然分かんないけどさ。前に言ったのと一緒、アタシは死なないよ。弱いとか強いとかじゃなくて、理由とかもなくただ生きていたい」
顔を上げて笑顔を魔王に向ける。
「あんたから拾った命を大切に、死なせないために生きていく。日々を過ごしていく。これがアタシの答えなんだって、思うことが出来たんだ」
「……そうか。お前がそのような答えを出すことが出来たのであれば、私がわざわざ口を挟むことも必要なさそうだ」
少しの安堵と、喜びをはらんだ表情をする。やさしい、やさしい顔だ。
「うん……アタシはまだ子供で、まだ知らないことも多くて、頭だって悪いから、難しいこと考えても難しいままだし……」
「だから、これからいろんなことを知っていって、この答えが変わってしまうのかもしれない。それはアタシにも分からない。それでも今、アタシなりの答えを出すことが、大事なんだって思ったんだ」
出した一つの結論、確かに胸に刻んだそれを、魔王の方へと打ち明けた。
「ああ、変わろうとも良いのだ。お前の出した答えは、お前だけのもの。誰が何を言おうとも、お前を肯定するものなのだから」
魔王の言葉に顔がほころぶ。優しく微笑んでいる彼に、思わず涙が目尻に膨らんでいた。と、同時に、書斎の窓の割れ、人陰が激しく転がり込んできた。
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