第四話 熟考、そして宣誓

 目を覚ましてから数日が経った。今日も朝から診察を受けている。寝間着ねまきの前を開けるのはまだ少し恥ずかしさがあるけれど、治療を受けなきゃだから仕方がない。

「…うん、脈拍も正常、体温も平熱で落ち着いていますし、ようやく小康状態も過ぎた、といったモノですね。今日からは軽い運動なら大丈夫ですよ」

 笑顔で診断結果を告げてくるこの女性はスターチス。此処の救護部隊で大隊長を務めている。左肩に流している銀色の長い髪は、部屋の照明に照らされてキラキラしていた。穏やかな性格であることが、優しい顔に現れていると感じる、そんな女性だ。聞いた話によると植物霊種ドライアドで、魔王の若い頃から仕えているらしい。

「ありがと、スターチス」

「いえ、私も心配していましたから…治りかけてた内臓も、少しやられていますので回復にはもう少しばかり時間がかかると思いますし、骨の強度も少しずつ上げていかなければいけませんね…まあ、成長期ですし大丈夫だとは思いますが」

 安堵の顔でいろいろ言ってる。そんなスターチスをよそに、頭の中はあの日に会った勇者の言葉が巡り巡っていた。

「生きる理由、か…」

 そう呟いて、頭をフルフルと左右に振った。

「難しいことは良くわかんないや…」

 丸くなった背中を急にバシンと叩かれた。

「痛っ」

「気負わない事ですよ。フェイから言われたことは確かにあなたに刺さったのかもしれませんが、抱え込むだけでは何も変わりませんから。気分転換に食事でもしてきたらどうですか?今はおそらく給仕部隊が食事をしているでしょうし」

 そう言って時計を見る。八時を回る頃だった。


 靴を履いて食堂へ向かう。すでに軍の者たちは出てしまっているらしく、給仕部隊が幾人か食事を済ませている最中だった。中央の方にいたマドレーヌたちが、こちらに気づいて駆け寄ってきた。

「アナ様!御体の不調は大丈夫ですか!?あの一件以来、面会が叶わず、目を覚ましたことしか耳に入っていなかったもので…とても心配で…」

 結構心配してくれたんだな。それもそうだ。実際にマドレーヌは目の前でアタシが倒れる様を見ているわけで、衝撃は他の人より大きいだろうから。

「うん、大丈夫。今朝の診察で少しなら運動をしても良いって言われたし」

 そう告げると安心した様子を見せた。

「そうでしたか…!!良かったです…」

「ただまあ、あんま無理しねえ方が良いな」

 調理場の方からビスケットが出てきた。丁度、今朝の業務を終えたらしい。

「食事も優しいモンにしといたが良いって思ってな。リゾットにしたんだが、まだ食えそうにないなら後で部屋に運ばせようか」

「ううん、食べる。大丈夫だよ、ありがとう」

 そう言ってビスケットから受け取ると、席に着く。思えば、魔王以外と朝食を食べるのは初めてだったと気付く。一口運ぶ。熱が口に広がって思わず空気を含もうとする。

「はふ、はふ」

「ハハハッ、出来たてだから気をつけろよ」

 周りの給仕部隊もつられて笑った。

「なんだか、にぎやかだね」

 のんきに口に運んでいく。熱い、美味い、熱い、美味い。


 食事を済ませて給仕部隊と別れると部屋に戻った。訓練しかせずに生きてきたから、こういった暇な時間は何をすればいいか分からない。身体を動かしにでも行くか。此処の土地勘を育てるのにもつながるだろうし。と思った時には魔王の元に足を延ばしていた。

 聞いた話によると、普段は書斎で業務をしているらしい。リセに部屋の場所を聞き、扉の前まで案内してもらったが、屋上に出る大窓の向かい側だった。思っていたより近くにあったんだな、と思った。

「ここだったのか」

「ええ、すでに連絡は済ませておりますので、入って頂いて大丈夫ですよ」

 促されて扉をノックし、返事を聞いて戸を開ける。

「おお、来たか。体調はどうだ?」

「おかげさまで」

 そうか、と微笑む。そして続ける。

「ところで改まって用とは、どうした」

「や、大したことじゃないんだけど。外庭を歩き回ってみようかなって。一応断りを入れとこうって思ったのと、地図とかあったらほしいなって思ってさ」

 それを聞いて笑う。

「なんだ、勝手にしてくれていいのだがな。ここはもうお前の家なのだから、好きなように過ごしてくれ。地図は…そうだな、用意させよう」

「そっか、そうだよな。わざわざ時間取らせた」

「良いとも、お前が自分の意思を見せてくれただけでも嬉しい」

 照れくさい言葉を吐く奴だ、と思った。笑って返す。

「ありがとう。じゃ、行ってくるね」

 あちらも笑顔で見送った。


 給仕の一人が部屋の方に地図を届けてくれたので、日の高くなる前に外庭へ出ることが出来た。門から出て地図を開く。少し難しい文字もあるけど、どんな感じで広がってるのが分かればいいから、さほどの問題はなかった。

「さて、じゃあ…」

「此間とは逆の方に行ってみようかな」

 菜園の反対には小さい集落がいくつか広がっていて、その先に小ぶりな山があった。岩肌が広く見えている城の山とは違って、木が青々と茂っていて、どうにも外から道は見えないほどだった。

「登ってみたら周りを見渡せそうだな」

 そうして入口の方に向かっていく。入口は少しだけ整備されていたけど、入った先は植物が只管ひたすらに群生していた。

「こんなに生えるもんなんだな…」

 村も街も植物が育つような土地ではなかったから、ここまでのものを見るのは改めて思うが驚くべきものだった。かき分けて進む。一応の道は用意されている。

「これもムルームのおかげって言ってたな…どんな奴なんだろ、会ってみたいな」

 独り言を喋りながらズンズン進んでいく。大体、日が最も高くに位置する頃に、頂上に到達することが出来た。近くで一番高い木に登って見渡してみる。

「やっぱり広いなあ…」

 雄大に広がる自然、群生する様々な植物の中に点々と色んな家が見える。少し離れたところに城が見えた。こうやって眺めると結構大きいんだな、と感じる。下の方には菜園。ひらけた農場では収穫している給仕部隊が豆粒のように見えた。あの中にハーヴェも居るんだろうか、などと考える。遠くに見える壁の上には道があるようで、軍の者が数人ほど歩いているのが見えた。

 少しの間ぼうっとしていると、一匹のリスが木を登ってきた。そのまま身体を登って肩にくる。頬をチロチロと舐める舌が、くすぐったくて笑いが出る。

「ハハッ、やめろよ」

 かまわず舐め続けるリスがかわいく思えた。

「お前、此処に住んでるのか」

 その問いに首をかしげる。

「一人なのか」

 反対の肩に移り、今度は頬を擦り付けてきた。

「そうか、そうなんだな」

 乾いた風が抜ける。ふと、物思いにふける。考えないようにしていたが、やはり頭の奥でぐるぐると回っていたあの女の言葉を、思い出す。一つため息をつくと、リスが心配そうな顔で見ているのに気づく。

「なんでもないよ」

 キュー、と鳴く。空を仰ぐ。名もない鳥が数羽、飛んでいた。

「あんな風に飛べるなら、生きる理由もあるのかな」

 それに対してまたキュー、と鳴く。鳥は軽く壁を越えその先へと消えていく。ああ、その先には、どんな自由があるんだろうな。アタシも飛べたなら、自由を求めたいとでも思っていたのだろうか。

 しばらく経って、日も傾いてきた。いつの間にかうつらうつらと太い枝の上で寝被っていたところ、リスが起こしてくれた。昼飯の時間が過ぎていることに気づいて、調理部隊に申し訳なさを感じながら、城へと戻った。


「ただいま」

 魔王の書斎に行くと紅茶を淹れている最中だった。

「おお、おかえり。随分と小さい友が出来たようだな。魔リスとは、また珍しい」

 それに反応してリスが首元に隠れる。

「懐いちゃったみたいでさ」

 そう言って撫でる。魔王のオーラを本能で感じてるみたいだ。少し警戒している。

「…あまり私とは共に居たくないようだな」

 少し残念そうにしている。気の毒だけどまあ仕方ない。

「山の方に行ったのか。あちらはあまり面白いものもなかったと思うが…」

「そうでもないよ、自然は好きだし」

 ソファに腰かける。紅茶を貰って一口含む。

「…少し考えてたんだ、あの勇者と出会ってから」

「フェイか?あいつの言うことは真面目に考えるだけ無駄だぞ」

 その言葉に少し苦笑する。

「確かに、考えなくても別にいいことなんだろうけど。それでもアタシも思うところがあったから。生きる理由なんて考えたこともなかったけど…」

 魔王は黙って聞いている。

「なんなんだろうなって。難しいこと一つも分かんないし、ちょっと前まで死ぬことを考えてたような奴が、生きようと考えるようになって、それに理由があるのかって。考えてみたけど、全然分かんなくてさ」

「アタシは何がしたいんだろうなって。アタシはあいつが言った通り弱くて、信念ってのも…よく分かんなかった」

 そうして結論を出す。

「それでさ、考えたんだけど、理由なんて要らないんじゃないかって思ってさ。誰かのためとか、そういうのアタシにはまだ無くて、ただ今は、死にたくないから生きているってだけで、それだけで充分なんじゃないかって思ったんだ」

 魔王が少し微笑む。

「これが正しい答えだとかは全然分かんないけどさ、アタシは死にたくないから、ただひたすらに生きていく。弱いとか強いとか関係ない。信念なんて知らない。ただ、あんたから拾った命を大切に、死なせないために生きていく。これがアタシの答えなんだって、ようやく出すことが出来たんだ」

「…そうか。お前がそのような答えを出すことが出来たのであれば、私がわざわざ口を挟むことも必要なさそうだな」

 少しの安堵と、喜びをはらんだ表情をする。やさしい顔だ。

「うん…アタシはまだ子供で、まだ知らないことも多いから、難しいこと考えても難しいままだし、これからいろんなことを知っていって、この答えが変わるかもしれない。それでも今、アタシなりの答えを出すことが、大事なんだって思ったんだ」

 そうやって笑って言うと同時に、窓が割れ、勢いよく人影が転がり込んできた。

「な、なんだ!?」

 反射的に手で顔を守る。恐る恐る目を開けると、そこには勇者が居た。

「なはは~、久々に割ったわい」

「あ、あんた、なんでここに!?」

「なんでもへったくれもないだろう。茶でも飲みに行くと言っただろう?」

 ガハハと大きな声で笑う。その隣で静かに魔王が怒りを見せる。

「貴様なぁ…窓を割るなと何度言えば理解する…」

 凄まじいほどの剣幕で詰め寄る。しかし、勇者は動じない。

「割らんと窓から入れんだろう」

「窓から入らなければ良いだろうが!!」

「そう怒鳴らんでも聞こえておるわ」

「貴様ぁ…」

 いつもの落ち着いた様子とは違う魔王に驚く。相手がここまで失礼な奴だとさすがに怒るものなんだな、と思った。

「二人は、そうか、知り合いって言ってたな」

「知り合いというか、まあ腐れ縁みたいなもんさね。ウン百年も生きてりゃ、古い知り合いもほとんどいやしない。昔を懐かしむ相手がこいつくらいしか居ないんだよ」

 出てくる言葉一つ一つに驚く。

「ウン百年って…あんた何歳なんだ!?」

「それは乙女の秘密さね」

 目くばせをして軽くあしらう。魔王が言おうとしたが必死で止めていた。紅茶を一口飲んで、落ち着きを取り戻す。

「そうだ…だからなんで居るんだよ」

「言うたであろう、茶を飲みに来た。ついでにお前に会うのと、久しぶりにヴァ―ミリオンの顔でも見とこうかと思ってね。それだけさね」

「別に窓から来なくても…」

「カッコ良さってのは追求するもんだよ」

 肩をすくめておどけている。

「茶だけではないだろう、要件を伝えろ」

 魔王が割って入る。それに合わせて勇者も態度を直す。

「さすがに分かるか。そうさね、少し面倒な事が出来ちまってさ」

 魔王の紅茶を取り、一息に飲み干して続ける。

「アナを人間界に引き戻すように依頼が来たさね」


 言ってる意味が理解できなかった。ただ、魔王の怒りがさらに強くなったのを感じた。

「私は笑えない冗談が嫌いだというのは、貴様も知っていると思っていたが」

「ああ、もちろん知ってるさね」

 毅然とした態度で振る舞う。魔王は苛立ちを隠さなくなった。

「もう少し聡い者だと思っていたのだがな…では、帰れ。そして二度と我が領土に踏み込むことを禁ずる。今後一切、貴様との交流はしない」

「まあ待て。昔から結論を急ぎすぎるのがお前の欠点さね。私はまだ、『依頼が来た』としか言っていないだろう」

 魔王は口を噤み、言葉を飲み込んだ。アタシにはまだよく分からない。この勇者は、アタシを連れていくつもりなのだろうか?

「まだ正式に受けてはいない。というよりも、お前の性格からして返事をしていないと言ったところか…」

 勇者は頷いて返事をする。

「それで、どういった依頼内容なのだ」

「簡単なモンさね。『魔王に攫われた勇者を取り返してこい』っていうもんだ。攫われたって言う辺り、おそらく施設の奴らだろうねえ」

 魔王が一つため息をする。

「おそらく、とは?」

「ワシも人伝ひとづてに依頼されたからねえ、依頼者が明確ってわけじゃあないんだ。そもそんな奴らは信用しないんだが、施設だった場合、裏に二大宗教のどっちかが絡んでる。お前も知っての通り、その場合ワシは原則として依頼を受けねばならない」

「面倒な盟約だな…それで、どうするのだ」

「それは本人次第だねえ」

 そう言うとアタシに向き直った。少し驚く。先程まで連れていくような雰囲気をしていただけに、アタシも思わず声を出す。

「なんで、依頼をもらってんだろ」

「だから、依頼はまだ返事をしていない。今日はお前を見極めに来た。先日に問うた答えを聞いて、そこからどうするか決めようって話さね」

 そうしてアタシに問い質す。

「…して、答えは出たかい?」

 一瞬、躊躇う。魔王を見やり決心する。

「ああ、出したよ。さっきそいつにも言った」

 少し驚いた様子を見せる。直ぐに態度を戻し問う。

「そうかい、ではお前の生きる理由とは何だい?お前は、何のために生きるのかい」

「ないね、理由なんて大層なモノ」

 気の抜けた声を出して驚いている。

「はぁ?お前、分かって言ってるのかい?」

「うん。アタシに生きる理由なんて無いんだ。だけど、もう死ぬ理由も無い。命を拾ってもらって、死ぬ理由が無くなった。死にたくなくなって、それだけでいいんだって思ったんだ」

 それを聞いて少し考えている。

「うぅん…全く、面倒な子だねえ。それなら弱いままでいいってことかい」

「そうじゃない。でも、大事なのはそこじゃないんだ。心も、力も、アタシは弱い。現に何もできずに死にかけた。そう考えると、強くなることも必要かもしれない。それでも不確定な先を見て話せるほど、アタシは大人じゃない。だから、死なないために今を生きてみるだけなんだ」

 しばらく黙っていたが、急に大声で笑いだした。

「あっはっは!!お前はそう結論付けたのかい。まったく…面白いもんだねえ。そうかい、そう考えたのかい。それなら…」

 魔王に向かって声を投げる。

「連れて行かないことにしたよ。ワシも、こいつが気に入ったさね。お前んとこに居てくれた方が、これからは面白いもんが見れそうだ」

「急すぎるだろ!そんなに即決するほどか!?」

 思わず突っ込む。

「お前がしっかり考えた結果だって分かってるからねえ。前に言っただろう、ワシも似たようなモンだって。お前とワシとでは、結論は違うけどねえ」

「自分の答えと違うのは、正解なのか?」

「正解だとも、それがお前の正解さね」

 その言葉に少しの安心感を覚えた。すると黙って聞いていた魔王が口を開いた。

「初めから連れて行かせなどしないがな。どうせ貴様のことだ…トルッカでアナと出会った際に、既に決めていたのだろう。どんな答えでも、自分の考えを出せていれば連れて行く気はない、と」

「なっ!?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で魔王を見ている。

「気づいてないと思ったのか、何百年来の付き合いだと思っている」

「え、そうだったの」

 アタシも面食らって勇者を見る。照れ隠しに勇者が魔王を殴る。

「そういうもんは本人が居ないとこで言え」

 殴られた魔王は鼻で笑った。


「…とりあえず、アナ。ワシはお前の答えを是とする。依頼主には面倒だけど、うまく言い訳を考えなきゃあいけないね」

 そこでまた魔王が口を挟む。

「そのことなんだがな、一つ案がある」

 なんだろう、と思っていると、勇者が少し面倒そうな顔をした。

「お前の提案は過去ろくでもないモノばかりだからねえ…」

「お互い様だろう…まあ良い。実はな、アナを拾った時からすでに考えていたことだが、アナを私の養子として迎え入れようと思う」

「はぁ!?」

 声が出た。勇者も驚いている。

「アタシを養子にって…なんで!?」

「事を円滑に運びやすくなるからだ。自分たちで捨て置いて何を今更かとも思うが、現にフェイを使ってまで人間たちがお前を奪おうとしていることが分かった。

 私はお前を手放すつもりはない。お前はもう私の大切な仲間だ。しかし、世界から見ればお前はただ、私の城に連れてこられ軟禁されている状態である。これを払拭するためには私とお前の間に、確かな繋がりを作るべきだと考えた」

「それで、養子?あんまり分かんないけど」

「お前を養子として縁組をすることで、私の身内であるという事を公的に宣言する。そうすればお前がこの城に居ることの正統性ができるのだ」

「普通にアタシが自分の意思で住んでるっていうのは…?」

「公的な宣言とはその存在自体が効力を持っている。自分の意思で住んでいるというだけよりも、この城に住む理由付けにもなる方が良い。お前は世界から見れば囚われの身、であれば私とお前、双方が友好的であるという意思を示す必要がある。

 そうすれば大半の世論は『お前を救う』という大義名分を失い霧散する。公的に宣言するだけで邪魔な奴が減るのだ。魔王の娘という立場を持つことで、身柄を狙われることも少なくなるだろうしな」

 言っていることは確かに的を得ている。アタシがここで暮らしていく上で、外の人間たちに邪魔はされたくない。

「そんなに上手くいくかねえ」

 隣で聞いていたフェイが口を開いた。

「上手くはいかずとも牽制にはなると考えている。元々この提案はもう少し時間が経ってアナが我々魔族に慣れてきてからのつもりではあったからな」

「そうなのか?初耳なんだけど」

「ああ、その時まで言うつもりはなかった。今回前倒しにしたのは、今後の人間がお前の負担になるだろうと考慮した上での判断だ、許してほしい」

 いいけど、と口をつく。隣の勇者が挟む。

「人間が信じると思うかい?」

「そこはお前次第だろう」

「結局ワシ任せかい。お前って奴は本当に…」

 大きくため息をついて面倒臭そうな態度を出す。

「面倒事を舞い込ませたのは貴様だ。それに、アナを気に入ったようじゃないか」

 ニヤリと得意げな顔でフェイを見る。当人は嫌そうな顔を微塵も隠さない。

「はぁ~~~~…分かったさね。やりゃ良いんだろう。それなら、ワシが匿った方が上手くいきそうなもんだけどね」

「それは貴様の願望もあるだろう」

 二人のやりとりに苦笑する。そんなアタシに魔王が向き直る。

「それで、アナ。どうだろうか。お前の気持ちを優先したい」

 そう言われて考えてみる。これから施設の奴らがアタシを追うことが無くなるなら、悪い話ではないと思う。だけど、そうならなかったら。施設の奴らも、それと敵対してるような奴らも、アタシを狙うそのどれもが、この魔王の領域に攻め込んできたら。

 おそらくアタシは怖いのだと思う。生きる選択をした時から死ぬことが怖くなって、またそれよりも、迎えてくれた魔王軍の奴らに、とりわけこの魔王に、迷惑をかけてしまうことが、どうしようもなく怖いんだ。それでも…

「うん、養子になりたい」

 それでも、その恐怖よりも、ただこの縁を守りたいという浅はかな願望の方が、アタシの頭を食い尽くしていた。

「そうか」

 と、笑顔で一言述べる。

「ではこれより養子に迎えるべく、契約を結ぶ」

「契約?」

「と言っても、本来あまり意味を持たない形式的なものだが…しかし今は違う。人間界の代表的な者が見届け役としているからな。これを書いたのを見ているという事が、意味を成しているのだ」

 フェイに視線を飛ばす。

「じろじろ見んじゃあないよ。分かってる。ワシがお前たちの養子縁組の保証人として責任を持って世界に伝えよう」

「よし。アナ、この契約書に自身の血でサインを。ファーストネームは私のものを使うとしよう。綴りは分かるか」

 分かんないから聞きながら書いた。指に少しの傷をつけて血を出した時、小さな痛みがせいを感じる程、温かかった。

「これでいいのか?」

「ああ、完璧だ」

 そう言って書類をフェイに渡す。入念に目を通す。

「確かに。これでお前たちは家族さね」

 勇者は書類を筒状に丸め紐で止めると、魔法の印で封をした。

「こんなに簡単に済むんだな」

「そも家族になるだけならこんな形を取らなくても良いがな。事が事だ、先の面倒を避けるためにやっておかねば」

 そういうもんなんだろうな。

「それじゃ、ワシは帰るさね。アナ、また会いに来るから、それまで元気に生きていくことだね。ヴァーミリオン、お前もしっかりアナを見ててやりな。守るなんて考えるんじゃあないよ。この子はちゃんと、自分で立って歩けるんだ」

「貴様に言われなくとも、分かっているとも」

 魔王の応えに頷くとアタシの方を向く。

「アナ、勇者の路は弱いままではいられないと、そう前に言ったね。あれは実際にワシがここまで生きてきて出した結論さね。ワシの生き方ではそこにたどり着いた。

 要は、どうしたいかさね。お前がどうしたいか、何になりたいか、何でありたいかが重要なんだ。だからこそ、今回お前の答えを聞いて、面白いと感じた」

 窓際に進み、割れた枠に足をかける。

「これからが本当に楽しみさね。ウン百年の時の中でもここまで胸が弾んだことはそうない。お前の成長を、ワシにも見届けさせておくれ」

「うん、見ててよ。アタシも、アタシの答えを最後まで持っているから」

 にかっと笑い、割った窓から飛び出て帰っていく。その背中は大きく見えた。だから窓から出入りするな、と叫ぶ魔王を横目に見送る。笑顔の勇者が空に映えていた。


 勇者が飛び降りて姿が見えなくなってから、少し経ったところで口を開く。

「これから何をしていこう」

「なんでもしていいさ、お前の人生だ。お前のしたいことを私も出来るだけ手伝ってやりたい。お前の望んだ生き方に、手を添えたいのだ」

「そう、だよな。あんたはそうだ。もう嫌と言うほど分かってる。だからアタシも、もうあんたの娘なんだし、出来るだけ我儘を言うようにするよ」

「そうか、期待しておこう」

 ニヤリとしながら言う。

「さては、あんま期待してないな」

「そうすぐに変われるものでもないしな。長く待つさ。私は長命種だ」

「アタシの方が、あんたより先に寿命迎えそうだな」

「そうかもな」

 二人で思わず笑い合う。こんな、なんでもない日々が、これからも続いていく。強いられることも、痛めつけられることもなく、ただ平穏な日々を過ごしていく。アタシのちっぽけで大きな目標。ただひたすらに生きる。これから、この場所で、生きていく。

 その想いを、聖痕に打ちつけるように、胸に刻んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王、勇者を拾う。 かふぇ猫。 @cat8_cafe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ