44話 魚の宴


「ただいま戻り……うわあ!?」

「どこ見てんだチビ、蹴っ飛ばしちまうぞ!」

「すっすみませんっ!」


マグニたちが人手を集めて、約三十分後。

小厨房に戻ると、中は集まった冒険者たちでいっぱいだった。魚の仕込みだけだというのに、鍋やフライパンも並んで、魚の焼ける匂いやあたためられた酒の匂い、香辛料などの良い香りがむわっと漂う。

調理台では、冒険者たちが場所を奪い合うようにして調理していた。自分の膝の上にまな板を乗せてそばに桶を置き、器用に魚を捌いている者たちまでいる。


「た、ただいま戻りました!」

「お帰りなさい、マグニ。本当に沢山呼んできてくれたのね、おかげで助かったわ!」


男達に混じって、作業していたステラがひょっこり顔を出す。

「ちょっとここ、お願いしますね」と男達に声をかけると、彼らは揃いも揃って鼻の下を伸ばし「はぁい、ステラさぁん!」と声を揃える。

そして互いに睨み合うや「オレに言ったんだ!」「いいやオイラに任せろっつってくれたんだい!」「おねげえしますだろ、てめえ言われたことも覚えらんねのか!」と奪い合うように魚を掴んで捌きはじめた。

下ごしらえが済んだ魚たちが、まばたきするごとに、どんどん積まれていく。

「うむ……美女を目の前にした男の我欲は凄まじいな」とヴィーザルが呆れ半分、感心半分に呟いた。まあ無理もない、ステラの美貌は、十人すれ違えば十人が振り返るほどの美女である。彼女には、人種に関係なく、共通して人の視線を惹きつける妙な色気というものがあった。


「こらアンタたち!喧嘩せずに順番に捌く!そこ、背骨に沢山肉がついたままよ!こんな魚じゃ食べれないじゃない!」

「だーもー姐さん、耳元で叫ばんでください!」

「ヒトの話を聞いてないからでしょ!ほら、ここの身を切り取るなら、もっと包丁をねかせて!小骨は見逃さない!」


男達の手際のよさはまちまちだが、アクセラが先だって男達に指示してくれているお陰で、滞りなく進んでいるようだ。

ちらりとガルムの姿を探すと、彼も至極不服そうな顔で、ちまちまと魚の腸を取ったり、三枚に下ろす作業に集中させられている。ステラはどうやって説き伏せたのだろうか。

先に戻っていたヴィオはというと、メイディに教わって、ナイフでおっかなびっくり、ちまちまと野菜の皮を剥いている。かなり億劫そうだ。

忙しなく行き来する男達の間をすりぬけ、彼らの元に近寄った。ヴィオの横には桶があり、実のついた野菜の皮が無惨にも積まれている。


「ただいまヴィオ、何してるの?」

「見れば分かるでしょ!魚に触りたくないから、お野菜の皮剥いてるの。あー楽しいわね、お料理は!」

「簡単そうに見えるが、そんなに不格好な切り方になるものなのか?」

「なによあんた、出会い頭に失礼ねっ!誰よアンタッ!」

「マグニの親友マブダチだ」

「マブ……なんて?なんでもいいけどそこに立たないでよ、暗くて見えないわ」


ぶすくれるヴィオ。とても楽しそうという表情には見えない。

ヴィーザルが投げかけた素朴な疑問にもすぐさま噛みつき、じろりと目腺だけでヴィーザルを退かせた。かなり不機嫌とみえる。

すかさずマグニが「代わるよ、少し休んだら?」と肩を撫でて、ナイフと野菜をスッと取り上げると、ちゃきちゃきと野菜の皮を剥き始める。

その滑らかな動きたるや、野菜がマグニの手の中で踊るが如く、くるくる回りながら、薄い皮だけがみるみる剥がれていき、綺麗な剥き身となっていく。

メイディも感心して「器用なもんだなあ!」と褒め、ヴィーザルも倣うように横に座って、野菜をひとつ手に取る。


「ふむ、野菜を切るのは初めてだが……マグニと同じようにしてみればいいのか?」

「軽く刃を入れて、親指で押さえながら回すんだよ。手元、気をつけてね」

「うむ……あっ」


ヴィーザルが野菜に刃物をざくりと入れた瞬間、勢い余って野菜が真っ二つ。

それを見ていたマグニは、咄嗟に野菜を空中でキャッチする。ヴィーザルは「すまない」と受け取ると、「思ったより力加減が難しいのだな、これは」とぼやいた。

するとヴィオが「そうよっ、難しいのよっ!皮だけ剥ぐのって、刃先の向きとか気にしないといけないし、チマチマやらないといけないから、苛々するのよっ!」と爆発するように不満を垂れ流し始めた。


「ふむ、野菜を剥くことも必要な修練とみた。

力加減、刃先の向け方、皮に沿って剥ぎ取るということは繊細な作業だ。刃物を扱う余にとっては良い修行になる。共に練習するか。ヴィオとやら」

「なんでよっ、マグニがやってくれるなら良いじゃないのっ!」

「汝も上手になれば、マグニたちの負担は減るし尊敬されるぞ。悪いことばかりでもないと思うが。なあ、マグニ」

「えっ?うん、まあ、手伝ってくれると嬉しいし、ヴィオも出来ることが増えるのは良いことだと思う」

「む、……尊敬……ま、まあ、それなら悪くないかも?最近のマグニ、ちょっと生意気だもの。ここで私の有り難さってものを知るといいわ」


ヴィオはその言葉に納得したのか、二人は並ぶと、ああでもない、こうでもないと、野菜の皮を一緒になってチマチマ剥き始めた。

微笑ましい気持ちで、マグニは二人を眺める。思ったより早く、二人も仲良くなれそうだ。安堵で鼻息を小さく鳴らす。

その時、マグニの背中を、つんつんっと控えめにつつく感触。振り返ると、ジネヴラことネヴィが、おずおず佇んでいる。


「あの」

「ん?ああ、ネヴィさん。どうしました?」

「お手伝い……」

「ああ、何か出来ることありますか?僕でよければやりますよ」


ネヴィはこくん、と頷くと、調理台の方へと向かう。

すると、連れてこられた調理台の一角では、男達が味付けで散々揉めており、かなり白熱していた。

どうやら、ネヴィは彼らの喧嘩を止めて欲しいらしい。気の弱い彼女では、間に入ることも出来ないのだろう。


「煮つけはモレーソースに決まってんだろ!引っ込んでろ素人が!」

「バカおめえ、そんな甘ったるい魚なんか食えるもんか!どんな魚だろうがシラッチャまぶしときゃいいんだよ!」

「かーっこれだから田舎もんは!魚には魚の味が合うに決まってんだからよお!ヌクマーム漬けっきゃねえだろが!」

「あんな塩っぺえもん食えっかよ!男は黙ってジョロッキアンソース、これ一択!」

「辛けりゃなんでもいいってもんじゃないでしょ。バカ舌にする気?」


食の好みは時に戦となる、という古い言葉を思い出した。まさに現状がそうだろう。

とはいえ、このままでは作業もままならない。「あのう」とマグニが声をかけると、一斉に男達が「あ"あ?」と凄んだ声で振り返った。

並の子供なら、怖くなって逃げ出していただろう。ネヴィも怯えてサッ、とマグニの後ろに隠れる。彼らの放つ威圧感に内心、焦燥を覚えながらも、マグニは男達に話しかける。


「あの、なんで揉めてるんですか?すごい白熱してますけど」

「おう聞いてくれチビッコ!この分からず屋どもがよお、僕のモレーソースにケチつけてくんだあ!」

「だぁら、菓子に使うようなモンで魚の煮つけにするバカがいるかって話してんだぁ!シラッチャは万能なんだから迷ったらこれで味付けときゃ万事解決なんだよォ!」

「ヌクマームの何がダメだってんだ、旨えだろうが!日持ちするし他の飯と合うんだぞ!」

「しょっぺえだけの魚が食いたきゃ海魚を生で食ってろってんでい!」

「やんのかボケ舌!故郷の山に帰んな~!」


売り言葉に買い言葉とはこのことだろう。

今にも殴り合いが始まりそうな、一触即発の空気。マグニは「待って待って!」と男たちの間にずもっと割って入り、彼らを制止した。


「あのお!こんなにお魚あるんだし、別にひとつの味にこだわる必要はないんじゃないかとッ!」

「ああ?どういう意味だよ」

「皆さんで、それぞれ好きな味付けの魚料理を作って、食べ比べればいいのでは!?一つに決めなきゃいけないってルールはないんだしッ!」


半ば声を張り上げるように言うと、全員が顔を見合わせた。

「確かに」「別にどれか一つ決めないと料理出来ねえって法はないわな」「どれも保存食に使える調味料なんだしなあ」「食べ比べりゃあ、どれが一番旨いか分かるわけだしなあ」と、少しずつ殺気が収まってきた。

男達は各々が処理を終えた魚に、めいめい調理法を加えていく。どの鍋からも美味しそうな匂いが漂ってきて、ぐううっとマグニの腹が鳴る。


「うおっ、そっちの鍋旨そうな匂いしてんなあ」

「一口食わせろよ、腹減ってきちまったぜ」

「なんだぁ、こんなに旨そうなもん知ってなら教えてくれよ!」

「オイラ達、なんでこんなことで喧嘩してたんだろうなァ」

「おい、出来たら俺にも食わせろよ、さっき大口叩いたからにはグウの音も出ねえほど旨い飯じゃなきゃ満足しねえかんな!」


和気藹々とした空気が男達の間に流れ始める。やっと彼らは和解を覚えたらしい。

マグニがほっと一安心していると、ネヴィが服を引っ張って、「ありがとう……」とやはりか細い声で礼を言った。

さっきまで言い争っていた男たちも、「おいボウズ、さっきは悪かったな!」「オレ達の飯、あとで食わしてやるから楽しみにしとけ!」「僕のが一番旨いがな!」と肩を組んで絡んできた。

荒っぽく見えても、彼らの根っこは人懐こい性分であるらしい。

マグニは弱気に微笑み返すと、その後も厨房じゅうを駆け回って、手伝いに従事するのだった。エラブッタの奴隷だった頃の、賑やかで忙しない厨房を思い出していた。


「うっ……わ~!壮観ねえ、こんなに料理が並ぶなんて!」

「"人の数だけ皿の数がある"トは言いマスがね!どれも美味しソ〜ですネエ!」


集まった面々で料理を始めて、約二時間後。

あれほど山のようにあった魚の山はすっかり消え失せて、全部美味しそうな魚料理や保存食に早変わりしてしまっていた。

即席で並べたテーブルの上には、焼き魚、煮魚、揚げ魚、切り身の盛り合わせ、蒸し焼き、魚団子の汁物等々。挙げていけばキリがない。


「いやあ、作ってる最中にも腹減っちまったよ」

「お祈りして早く食べようぜ!」


皆ドヤドヤと座ると、一斉に目を閉じて両手を組み、黙り込む。

クラインに限らず、大半の者たちは、食事の前に、皆が各々の信仰する神に感謝の黙祷を捧げる慣習がある。

祈る際には、親指を上にして両手を握手させるように組んで、静謐な十数秒が場を満たす。マグニはこの時間が好きだ。

ふと、マグニは薄目を開けて、二つ隣に座るガルムを見やる。

意外なことに、自分以外信じるものが何もなさそうな彼も、黙祷には参加する。ただし、彼の指の組み方は独特で、まるで恋人同士で手を繋ぐように指を組んで祈るのだ。

彼は何を信じ、誰に祈りを捧げるのだろう?ふとそんな疑問がよぎった。


「(この人にも、信じたい心の寄る辺があるのだろうか)」


数秒ほどの静かさの直後、パッと皆顔を上げて「いただきまーす!」「俺これもーらい!」と再び場は賑やかさに包まれた。

マグニの左隣に座るヴィーザルは、どれから手をつけるか、そもそもどう食べるかすら迷っているのか、手に持つフォークやナイフが動かない。

見かねたマグニが「取ってあげる」と微笑んで、大きな深皿にどんどん魚を盛り付けていく。

甘酸っぱい小魚のヌクマーム漬け、身の中に香辛料を挟んでこんがり焼いた焼き魚、まろやかな味わいに仕立てた魚のタルタル、激辛の真っ赤なスープの煮つけなどなど……。

どれもこれも、あまりクラインでは見ない料理だ。


「うむ、どれも美味いな。国に持ち帰りたい旨さだ。このスープなどはパンがすすむな……」

「あ、私たちが剥いた芋も入ってる!皮付きでも美味しいのね!」

「チビども、もっと食え!こっちのシラッチャ和えもうんめぇぞ!」

「はっはい!いただきます!」

「ガキンチョ、マグニだっけ?お前いくつだ、16か?もう酒は飲めるだろ、飲め飲め!」

「いや僕、酒はそんなに得意じゃ……」

「ボクのも分けたげる〜、おいしいよお」

「あっ待って、これってカニ!?」

「マグニ、その皿のものも美味そうだ。取ってくれるか」

「待ってて、今分けるから!」


途中からは、もう目まぐるしい時間だった。

メイディや立ち食いを始めた面々が、ひっきりなしに酒や料理を勧めてくるし、ヴィーザルはすっかり信頼しきってか、マグニが取り分ける魚しか食べないのだ。

もはや会話をしながら食べているのか、食べながら会話をしているのか、しっちゃかめっちゃか。

チチフも美味しそうな魚料理につられて、マグニの懐からひょっこり顔を出すと、真っ赤なスープに顔を近づける。


「チフ、チチフ!ぐびりっ!」

「あっチチフ、そのスープはかなり辛いからやめ……」

「ち……チフーーーーッ!!」


チチフがスープを飲みくだした途端、そのちっちゃな顔がみるみる真っ赤になり……ボッ!

なんとチチフの口から、スープと同じ真っ赤な炎がボアボアと噴き出てきたではないか!


「きゃあ!チチフが火を噴いたー!?」

「がはははは!ボンチフは辛いもんを食うと火を噴くというが、本物を見たのは初めてだ!」


一方で、ガルムや益荒男たちがこぞって飲み比べを始めてしまい、場は大盛り上がり。

途中から、誰がガルムより多く飲めるかで競い始め、どのジョッキが誰のものかすらも分からないほどにテーブルの上は大混雑。

ヴィーザルは薄く微笑み、さりげなく自分の酒は水と替えつつ、一人優雅な所作で食事を楽しむ。


「ふ。ありがとう、マグニ」

「ほへ?」

「斯様に楽しく、気負いなく食事を楽しむのは久方ぶりだ。誘ってくれて感謝する」

「いやあ〜、それほどでもぉ」


途中から飲んだくれたペルビット人がテーブルをリズミカルに叩き始め、弦楽器を背負ったポリマン人が陽気に弦をかき鳴らし、酔っ払いたちが「飲んだくれの数え歌」を歌い始める。

マグニも気づかぬうちに、水と間違えて酒に手をつけてしまっており、場の空気に乗せられたヴィオとヴィーザル、気弱なネヴィとも一緒になって、陽気に歌うのだった。

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