流れ魔弾と救国の英雄
天木蘭
序章:英雄被弾
英雄被弾
「対空火柱魔術用意! 放て!」
切り立った崖に挟まれた岩場に号令が響いた。
号令に合わせ、規則正しく並んだ無数の兵士達が、地面に描かれた魔術陣へ魔力を流し込む。
途端、術式は魔術となって発動し、高温の火柱が陣から立ち昇る。火柱それぞれに高低差はあるが、いずれも崖を越えるほどの高さであった。
「第一から第五陸圏小隊、進め!」
新たな号令が掛かり、八名で構成された五組の集団が前進する。彼らの向かう先からは、黒い塊が押し寄せてきている。
否、正確には塊ではなく、妖魔の群れであった。
捻れた角、光のない目、一糸纏わぬ紫がかった肌、二足から八足の異形、それが妖魔だ。
臆する事なく突撃していく陸圏隊の頭上に、固体の様な質感を伴った焦げ臭い雨が降る。
先遣隊として空中から襲いかかろうとした妖魔達の多くが、陸圏隊の発動した火柱に焼かれているのだ。
運良く、あるいは能動的に火柱を避けたり、しぶとく生き残った妖魔らは、浮遊魔術に魔力を割いても余裕のある空圏隊が残さず狩っていく。
比較的危険も少なく、軽やかさが与える印象から、魔力素養が必要とはいえ、兵士からの人気も高い部隊である。
一方で陸圏隊は、降り注ぐ死骸とその臭いに向き合わなければならない戦闘状況、そしてひたすら泥臭く突撃戦闘を繰り返す性質から、兵士の死傷率も高く、望んで加入する者は少ない。
もっとも、空圏管の隊員はほとんどが鳥人であり、連合軍に入隊した者達のおよそ六割が陸圏隊に所属する事となるのが現実である。
陸圏隊には、魔力が少ない種族や魔力操作の不得意な者たちが多く所属する。その為、戦闘時は魔力を消費しない自身の膂力や、魔道具に頼った継続戦闘が主となりやすい。
「総員! その場に伏せろ!」
というのが、それまでの常識であった。
突如として発された号令に従い、前進していた陸圏隊の面々は、足を止めてその場に身を伏せる。ただ一人、陸圏隊の誰よりも先頭に立つ者を除いて。
先頭にいる者は、まるで幼子が真似する指揮の様な軽妙さで宙に術式を描き出す。
魔力を込めた指先が紡ぐ精巧な術式は、いくつもの方程式を掛け合わせている事が読み取れる。だというのに、決して乱雑に見える訳ではなく、惚れ惚れする程に美しいものであった。
そう感じる者の中に、シマバキ=ガトレも含まれていた。
妖魔にもこの術式の美しさを理解する事ができるのだろうか。いや、できたのなら、奴らの足もまた、その場に釘付けになるか、踵を返していることだろう。
あれこそが、英雄の才能。
英雄は術式を描き切ると満足そうに頷き、次は術式に魔力を込め出した。
描かれた線の一本一本に魔力が迸り、妖魔の群れが個々を認識できる程度まで近づいた頃には、美しい方程式の解が導き出される。
妖魔らの足元から、尖った岩が立ち昇る。岩の棘は多くの妖魔を貫くと、さながら見せしめのように、空へむけてその肉体を曝した。
そして、爆ぜる。
岩単体では確実に起きようもない、炎を伴った爆発だ。しかし、飛び立った岩の破片は四方八方に散らばりつつも、球状の一定範囲内で留まる。
ガトレには一瞬、時が止まった様にも思えた。
何かが起こる。
それを察した瞬間にはもう、破片は途轍もない速度で内側へと収束していた。まるで、空間が急速に収縮する様だった。
岩の棘に貫かれなかった妖魔らも、集う破片に肉体を打ち砕かれていく。悲鳴もなく岩が擦れ合い崩れゆく音が響く中、黒い塊は既にが瓦解を起こしていた。
「こんなところか。総員! 前進せよ!」
「うおおおおお!!」
英雄の掛けた号令は、兵士らの士気を飛躍的に向上させた。伏せていた兵士たちが顔を上げると、多くの目は輝きを放っており、叫び声には統一された意思が感じられた。
ある程度まで前進した兵士たちは魔道銃に魔力を込めて、妖魔に向けて魔弾を放つ。
白色の魔弾は、一度放射されれば妖魔の肉体を容易く奪い去っていくが、ガトレには先ほどの魔術の規模に比べると玩具の様に思えた。
しかし、それは比べる相手が悪いというもの。
大魔術を戦場で構成し発動したのは、『救国の英雄』と呼ばれる叙勲者なのだから。
大規模魔術兵器の異名すらも持つ英雄と、魔力量が少ないからと陸圏隊に配属された一兵卒の能力差は比べるべくもない。
陸圏隊の戦闘常識を覆した英雄は、陸圏隊の志願者数を底上げし、兵士の死傷者数を大きく低減させるのに一役買ったとまで言われている。
「危ない!」
ガトレの呼び掛けに、声を掛けられた兵士が頭を下ろす。直後、妖魔の放った雷魔術が、兵士の頭上を掠めた。
「助かった!」
高まった士気が無茶をさせたのか、あるいは妖魔の攻勢が想像以上に弱まった為か、魔族に向かって突撃した各小隊はかなり切り込んでいるようだった。
小隊長達は気づいているのか?
いや、妖魔の損耗も大きい。気づいた上でのこれか。
ガトレは一人納得すると、大魔術の破片と魔族の死体が積み重なった山を壁にして、単純作業を繰り返す様に魔弾を撃ち続ける。
魔力が枯渇すれば戦闘の継続はできない。そうすれば部隊長の指示がなくても退却すれば良い。
引き際を支える殿は『救国の英雄』だ。
初めは先頭にいたはずである兵士らの心の支えは、いつの間にか上空から魔術を放っていた。
今は簡略化された軍式魔術を使用し、一体、また一体と、妖魔が倒れる度に標的を変える。
その様子を見たガトレも、一体、また一体と壁に隠れながら妖魔を撃ち抜く。
ガトレは、虎人族が見れば臆病者と揶揄するくらいには慎重である。特に今回は訓練後、初の出撃だったからだ。
妖魔の急所は不明とされている。妖魔は我々と同じ臓器で構成されている訳ではないと講義を受けた。
対魔術戦闘において有効なのは、術式を描く指から崩していく事だ。
作業の様に魔弾を撃ち続けている内に、妖魔が減って空間も開けてくる。
まだ魔力に余裕がある。そろそろ援護射撃も視野に入れるべきだろうか。
目的は妖魔の殲滅。そして自分が生き残る事だ。
生き残る為の知識は実地でも身につけていかなければならない。
一人で生き残るには力が必要だが、俺は英雄ほどの力を持ち合わせていないのだから。
戦闘中に余計な事を考えた。
ガトレはそう思い直し、魔弾を放つ。
「やめろ!!」
聞こえた声は、誰に向けたものだったのだろう。
魔弾の先にいたのは、確かに妖魔であった。
紫がかった肌。腰まである長い髪。二足。ヒト族を模している。その指先は、氷結魔術の術式を描いていた。
だから、俺はそれを止めようとして──
魔弾を撃った。しかし、その魔弾が貫いたのは、妖魔ではなく。
ありえない。何故。どうしてだ。
ガトレが何を考えようと、目の前にある事実は変わらない。
──撃ち抜いたのは、『救国の英雄』だった。
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