第13話 娘は発ち、そして海に落ちた


 全身瘴気に塗れ、身体中に巻き付いた黄褐色の蔓模様が次第に黒ずんでいく。


「まずいな、かなり深いぞ」

「一晩もたないんじゃないか? 無駄だとは思うが、封じの間に突っ込んでおくか」


 駆けつけた黒装束の一団。

 白狐の面を被った男達は、千歳の体内に入った瘴気が漏れ出ぬよう、特殊な染織の敷布で千歳をくるみ、封じのある離れへと移動する。


 全身を黒く染め、グッタリとしたまま遠ざかっていく千歳。


 豆太は一瞬追いかける素振りを見せたが、少し遅れて到着した蒼士郎に呼び止められた。


 瘴気に襲われ、千歳に庇われ。

 ショックから覚めやらない豆太は人の形を保つことが出来ず、子狸に戻ってしまっている。


「千歳があれだけ瘴気に塗れているのに、何故お前は無事なんだ?」


 剣の切っ先で割烹着の腰元を引っかけ、ひょいっと持ち上げると、そのまま剣を軸に勢いをつけてクルリと回した。


「……よもや千歳を盾にして、助かったのではあるまいな?」


 氷のように冷たく、鋭い視線が豆太を貫く。


「古井戸には近付かぬよう、触れを出していたはずだ」


 何となく察しているのだろう。

 豆太が言い訳をしようと口を開きかける度、怒りに満ちた眼差しを向けられる。


「何故千歳をここに連れて来た?」

「それは、その……」

「身勝手な振る舞いで、人が死ぬのだぞ?」


 言いつけを守れぬあやかしは涅家の守護から外され、屋敷の外に放逐される。

 そうなればこの瘴気溢れる『ハレの煉獄』で、たった一人で衣食住をまかない、異形にならぬよう日夜警戒し続けなければならない。


 それは豆太のような弱いあやかしにとって、死ねと言われているのと同義だった。


「う、うぇッ、ぇええぇん」


 剣先で吊り下げられたまま、豆太は小さくなって泣き出してしまう。

 古井戸から吹き上がる瘴気に気付き、駆けつけた兄の豆千代が少し離れた場所から心配そうに成り行きを見守っている。


 返事がないことに呆れ果て、大きな溜息とともに剣先を振り、豆太をポイッと地に落とした。


「放免すると他の者に示しがつかない。千歳が死んだら、お前はこの屋敷から追放だ」


 躊躇なくそう言い放つと、蒼士郎は黒装束の一団を引きつれ、また別の瘴気へと走って行ったのである。



 ***



「千歳の容態はどうだ」

「全身瘴気に侵されて、胸に至るまで黒い蔓模様が浸食しています」

「そうか……であれば難しいだろうな」


 下がってよいと手を振ると、白狐の面を被った男の代わりに、今度は神宮司家から帰って来たイヅナが襟巻のように蒼士郎の首元へまとわりついた。


「ああ、イヅナか。神宮司家の娘はもう発ったか?」

「それがね主様。娘はとっくに発ち、三ツ島へ向かう途中で海に落ちたと言っているの」

「……なんだと?」

「一番霊力の高い娘を向かわせた故、こちらも困っているのだと。あれだけの大金を受け取っておきながら、ふざけた話よねぇ」


 嘘か真か、舐めた真似をするものだと蒼士郎は舌打ちをする。

 御守様の白羽の矢が立ったということは、最も『鎮め石』に相応しい者がいたということ。


 煉宝山の麓にある湖には連日瘴気が湧き、もはや水場としては使えない。

 早々に『鎮め石』を水底に沈めなければ、抑えきれないところまで来てしまっている。


「あの家には確かもう一人、娘がいただろう」


 同じ神宮司家の娘であるならば多少力が弱くても、同様に『鎮め石』となる資格はあるかもしれない。


 だが見極めは必要である。

 迂闊な者を選んでしまった日には、事態が余計に悪化する。


「イヅナ、俺はこれから神宮司家に向かう。数日屋敷を空けるから、お前は連絡役として待機してくれ」


 涅家のあやかしの中で、最も足が速く空を飛ぶイヅナ。

 さらには本土にある神宮司家まで半刻ほどで辿り着くため、連絡役にはもってこいである。


 神宮司家め、余計な仕事を増やしてくれたものだと、蒼士郎は溜息を吐いた。




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