第一章:雨催いの花街
第1話 身代わり花嫁になりました
いつもなら、人が出払う朝八時。
広々とした屋敷は閑散とし、清掃に励む時間帯。
……なのだが、今朝は続々と人が集まり物々しい気配に満ちていた。
「一体、なにごと……?」
義姉である芙美の金切り声まで聞こえ、これは面倒臭いことになりそうだ。
八つ当たり的に頬の一つでも殴られ、芙美の気が収まればしめたもの。
長引くとやだなぁと裏庭を掃き清めていると、本邸から当主……義父が、怒鳴りながら千歳を呼んでいる。
うう、これは長くなるぞ。
重い足を引きずるようにして本邸の広間へ向かった。
――古くより祭祀を司り、祓い屋も務める、由緒正しき『神宮司家』。
世が世なら姫君といっても過言ではない家柄だが、前当主である母が未婚のうちに情を通わせたのは、身分を持たない青年だったそうだ。
この不祥事が外部に漏れては家門の恥と、内々に処理をされ、その過程で父は命を落としたと聞いている。
そして母もまた千歳を産んですぐに儚くなり、まだ乳飲み子だった千歳は、新たに当主となった叔父の養女として迎え入れられたのである。
霊力が強いわけでもなく、これと言った特技も、目を引くほどの美貌があるわけでもない。
『ゆえにロクな食事も教育も与えられず、使用人以下の生活を強いられるのだ』
親族総出で居並ぶ中、義母にそう言われ、嘲笑されたのはいつの頃だったか。
あの時と同様に、親族がズラリと座敷に勢揃いしていた。
「何の御用でしょうか」
「喜べ、お前の嫁入り先が決まったぞ」
「……よ、嫁入り先?」
突然呼び出され、皆の注目を浴び……すぐさまこの場を下がりたい気持ちでいっぱいなのに、あろうことか嫁入り先!?
そもそも、だ。
順番で言えば十五歳になったばかりの千歳ではなく、義姉の芙美が先のはず。
親族大集合のこの状況もおかしいし、順番も逆。
一体どこに嫁げというのか……?
訳が分からず視線を這わせると、中央にある破魔矢の置き台に一本の矢が飾られていた。
艶やかな光沢の黒漆塗。
白羽の矢羽が美しいその射付節には、朱塗りの三本線が引かれている。
「嫁ぎ先は最南端の離島、
「三ツ島ッ!? まさか、
聞けば「そうだ」としたり顔で頷かれる。
この国は複数の島々で成り立っており、その中でも千歳達の住む一番大きな島を『本土』と呼び、多くの人々が住んでいた。
そして本土をグルリと囲む離島のうち、南方にある幾つかの島をまとめて、
学のない千歳ですら耳にしたことがある、
その三ツ島を統べる
「白羽の矢を放つのは、実に千年ぶりらしい」
「千年ぶり!? なぜまたそんな物が!?」
「……異形を祓いきれず難儀し、我が家に救いの手を求めたようだ」
地に山に、海に、空に
今現在、この国で最も危険な『穢れの地』と評される三ツ島。
至るところから瘴気が噴き出す、異形多発の最警戒区域なのだ。
「喜べ、お前は選ばれた」
「で、ですがロクに霊力もない私は、異形を祓うことが出来ません」
光栄な話だと薄ら笑いを浮かべているが、白羽の矢に選ばれた家門は、最も霊力の高い娘を差し出す決まりのはず。
「我が家で一番霊力が高いのは、お義姉様では?」
芙美に比べ霊力も少なく、祓い屋としては明らかに力不足。
せめて親族の他の娘を……と言いたいところだが、残念ながら昨今はロクに祓えないお粗末な者ばかり。
千歳もまた例に洩れず、役立たずの一人なのだが――。
「先程から、何を寝惚けたことを言っている?」
「ですが役目を果たせるとは思えません」
「……問題ない」
そこかしこから下卑た笑いが起こる。
ああこれはもう、何を言っても覆らない決定事項なのだ。
「使用人程度の仕事しか出来ない無駄飯喰らいのお前が、やっと役に立つ日が来たんだ」
「無駄飯喰らい……?」
「なんだ自覚すらなかったのか? お前が行けば多額の結納金が手に入る。良いこと尽くめだ」
幼い頃はまだしも、最近は相応に役に立っているはずなのに。
『無駄飯喰らい』と蔑まれるが、釜にこびりついた冷飯メインの、実に質素なお品書き。
義父一家の放蕩三昧がたたり、先祖伝来の土地も次々と売られ、残すところはあと僅か。
名家とは名ばかりで、今や地に向かい、財政は傾く一方である。
使用人を解雇しすぎて人手不足を補いきれず、頭を悩ませるほどなのだ。
不遇ながらも幼い頃は、亡き母と縁のあった女中達が面倒を見てくれていたのだが、皆暇を出され、今は誰一人として残っていなかった。
「これ以上の反論は許さない。――行くのは、お前だ」
もう、何を言っても無駄なのだろう。
押し付けることに成功し、本来であれば行くべき芙美の口端が醜く歪む。
――誰も気付いていないのだろうか。
その隣で小さなあやかしが、心配そうに千歳を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます