ムーンライト
丹花
月の少年
女のように化粧を施され、長い髪を手入れされる。
時代にそぐわぬ漢服を着させられたら準備完了。今夜も哀れな少年、
「お綺麗ですよ、暁月様。まるで天女のよう」
まだ十六の少年とはいえ、男に天女という例えは些かどうなのか。
しかし、この美しさに当て嵌る言葉は確かに見つからない。天女、という例えが一番しっくりくるだろう。
長い黒髪は纏められ、髪飾りとして白と紅の花の髪飾りを付けている。紫の漢服は詳しくない者が見たら男性物なのか女性物なのかはわからないだろう。
言われなければ男だとは気付かれない。
もちろんそれは暁月の趣味でもなんでもない。ただ裏社会では需要がある、そう判断した異母兄の命令で人形のように扱われているだけだ。
楊暁月――彼は中華最大のマフィアファミリーの首領、
類まれなるその天女のような美しさを龍瀏の利益の為だけに酷使される日々を送っている。
「首領がいらっしゃいました」
淡々と伝えられると、先程まで暁月の身支度をしていた侍女達は全員下がる。
入れ替わりに入ってきたのは、正しく暁月にこのような格好を強制させている龍瀏だ。
龍瀏は舌舐りをしながら着飾った暁月の姿をまじまじと見つめる。
いつもの事だが、暁月は龍瀏のその視線には吐気がする。
「今日は日本の
相手、というのは所謂枕営業というやつだ。
三年前から楊一族のため、男相手に色恋営業や枕営業を強制されている。
最初は泣き叫びたくなるほど嫌で、終わった後は常に死にたい衝動に駆られていた。だが慣れとは恐ろしいもので、今となっては兄や相手に何を強要されても平気なふり、強気を装う事が出来るようになった。
そして、その本日の枕のお相手は日本の暴力団の若頭らしい。
以前、別の日本の暴力団の総裁を相手した時はかなり過激な奴だったな、と思い出す。
会う前に相手の事を知っておくようにと龍瀏から相手の情報が書かれた書類を手渡される。これもいつもの事だ。
用を終えると、そそくさと龍瀏は部屋から立ち去る。扉が閉まったのを確認すると、暁月はソファに腰を掛けて書類に目を通す。
こんな非情な扱いに怖いとかいう感情が無くなってしまった事が悲しい。
嫌だと言えば拷問を受けた。それも顔や身体に傷が残らないような物ばかりだ。例えばそう、水責めとか。
死んでやろうと思った時もあったが、龍瀏が原因で自殺、というのも暁月のプライドが許さず、結局こうだ。
今でも龍瀏の事は殺してやりたいほど憎い。
だが、そんな力も権力も無い暁月は結局龍瀏に従順な振りをして良き道具を演じ、隙や致命的になりうる情報を探るしか無い。
それに悔しい事に中華の裏社会を牛耳っている楊一族を纏める者が居なくなっては、裏社会の均衡が崩れてしまって目も当てられない事になるだろう。今すぐに何か行動する、というのはあまりにも無謀過ぎる。
書類によると、今日の相手は二十歳の若頭で普段は普通の大学生、これと言った特徴無し。
写真を見ると暁月でも感心するほどの美形だ。
これまでマフィアのボスや重役から有名なハリウッド俳優等様々な奴等の相手をしてきたが、それにしてもだ。
迎えが来ると、龍瀏の待つリムジンへと暁月も乗り込む。
今夜は霧谷一家の息がかかっている旅館でお互いのファミリーが参加する大規模な宴会が開かれるのだ。
暁月の装いはその宴会に参加するため。言わば龍瀏、楊一族を華やかに装飾する飾りだ。
会場へ到着すると、暁月は先に降りた龍瀏の一歩後ろを歩く。
いよいよ本会場内へ入ると様々な視線を感じるが、どれも気にする事は無い。暁月に対する好奇の目もあれば、霧谷一族にはもちろん楊一族を歓迎しない者もいるだろうから。
用意されていた上座の席へ着くと、既に座っていた年配の男が龍瀏に日本語で声を掛けてきた。
「これはこれは、楊龍瀏殿と……伴侶の御方かな?」
年配の男は龍瀏の一歩後ろに付き添うかのようにいる暁月の方に目をやると伴侶かと問うた。
そう見えるのも無理は無いのかもしれない、龍瀏と暁月はお世辞にも全く似ていないのだから。それに年齢だって親と子ほど離れている。
通訳を介して年配の男の言葉を楊龍瀏が受け取ると、上機嫌に笑い返した。
「まさか。私の弟、楊暁月ですよ」
龍瀏が暁月を中国語で年配の男に紹介する。それをまた通訳が訳し、年配の男に伝えるという何とも不便な会話のやり方だ。
そして、この年配の男こそが霧谷一家の総裁・
「霧谷総裁、お会い出来て光栄です。先程も紹介預かった通り、楊龍瀏の実弟、楊暁月と申します」
先程準備をしていたホテルにいた時には考えられない営業スマイルと流暢な日本語で霧谷総裁に話しかけると、驚かれ、次に関心された。
「こちらこそ光栄だ。楊一族には絶世の美人がいると噂には聞いていたが、まさかこれ程だとは。息子を紹介したかったのだが、生憎今は席を外している。まあ、後程お会いするはずだが」
息子というのは正しく暁月の今日の枕の相手である
何故苗字が違うのか、という疑問があるのだが書類には書かれておらず、何か事情があるのだろう。
例えば裏社会の名と表での名で使い分ける者も少なからずいる。
そしてこのような重要と言える場で一家の若頭が席を外すとは相当な変わり者と取れる。
「不出来な弟ですが、ご子息に御満足頂けるよう精一杯奉仕するよう申し付けましたので」
ははは、と豪快に笑う両家の首領を捻り潰してやりたい衝動に駆られながらも暁月は得意の愛想笑いで誤魔化す。
やがて時間になって呼ばれると、暁月は宴会の席を外して入浴をする。
まるで嫁入り前の公主かのように、普段よりも入念に手入れをされる。
先程まで纏められていた髪は下ろされ、鳳来蓮が好むという香りの香油まで付けてからバスローブを羽織れば旅館の一室の前まで案内される。
今から暁月の仕事が始まるのだ。
「失礼します、若様」
暁月はゆっくり扉を開け、そして少しだけ俯く。
徐々に顔を上げると、部屋には座椅子に腰掛けている、写真で見た鳳来蓮がいた。
いや、写真よりも美形では無いだろうか。
入浴後だからか写真よりも無造作な髪型だが、艶のある綺麗な黒髪、そして薄ら見える刺青や耳に刺さるピアス達からは二十歳とは思えぬ大人の色気まで感じられる。
鳳来蓮は暁月の姿を視界に入れると、優しそうな笑顔で部屋に招き入れた。
「そこは寒いだろう、早く中に入っておいで」
今は秋も終盤に差し掛かり、鮮やかな紅葉は散って地に彩りを与えている。
暁月は少し衝撃的で扉の傍から動けずにいたが、鳳来蓮から声を掛けられてはっとする。
「お気遣いありがとうございます」
扉を閉めて鳳来蓮の隣へ座る。
「君、年はいくつだっけ?」
すぐに行為が始まるかと思いきや、気さくな様子で暁月に雑談を持ちかけ始めた。暁月の経験上、こういう客は一番面倒臭いし後が大変だ。
にこやかに雑談に応じてやると、本当に自分に気があると思い込む。
しかし、余程重要な取引先なのか今日は龍瀏から失礼の無いようにと散々釘を刺されている。
もし鳳来蓮に失礼な態度を取ってしまえば、後始末が面倒なのは間違いなく鳳来蓮本人では無く龍瀏の方だ。
「十六です。若様は二十歳でしたよね?」
「そうだよ、よく知ってるね。それと若様なんてやめてよ、堅苦しいのは嫌いなんだ」
暁月の予想していた通りかなりの変わり者のように見える。そもそも暴力団の若様なんて顔や雰囲気じゃない。
それに堅苦しいのが嫌いだなんて、この業界でやっていけるのだろうか。
自分よりも四つも年上相手に暁月は疑問に思った。
「では何とお呼びしましょうか」
「蓮で良いよ」
暁月が蓮さん、と呼び掛けるとやはりあの調子が狂うような優しい笑顔で、ん?と返されるだけだった。
蓮は暁月が今まで相手をした事が無いタイプで、その笑顔の奥にある真意を汲み取る事が出来ない。
蓮は会話を続けた。大学の事や霧谷総裁との私的な話、最近面白かった事、そして暁月にも同じような事に聞いてきた。
暁月は生憎かなり制限されている中で生きてきているし、そういう娯楽のような物は何かと質問されたら直ぐに答える事が出来なかった。
らしくもなく暁月は顔を引き攣らせたが、蓮はそれでも笑って話題を変えた。
どれくらい雑談を交わしたのだろうか、もういい時間になってきた。そろそろか、と思い暁月が服をはだけさせようとすると、その手を蓮が止める。
「ああ、先に脱がせますね」
蓮の制止は先に自分を脱がせろという意味だと受け取った暁月は蓮の服に手を掛けた。
が、それもまた蓮によって止められた。
「そんな事、しなくていいよ」
「……え?」
蓮が発したのは予想外なことはだった。
蓮は男には興味が無いのだろうか?そう思ったが、暁月は今までも女にしか興味が無いという客でも魅了してしまい、手を出されなかった事なんて一度も無かった。
まさか断られるなんて思ってもいなくて少し驚く。
暁月の反応を見た蓮は慌てて勘違いだと弁明を始めた。
「違うんだ、君に魅力を感じないとかじゃないよ。ただ今日はたくさんお話をさせてもらったから、それだけで十分だ」
蓮のこの様子からして今回の枕は自ら望んでセッティングされた場、というよりも霧谷総裁と龍瀏で取り決めた場なのだろう。
霧谷総裁の本意は正直よく分からないが、龍瀏からしたら未来の霧谷総裁である霧谷一家の若頭に縁を持っておくのは悪い話じゃない。
そう考えたらもしかしたら龍瀏が無理強いをしたのかもしれない。
「そうですか。では」
もう別に用も無いし、暁月は部屋を出ようと扉へ向かうと今度は手首を掴まれてそれを阻止された。
蓮は先程から一体なんのつもりなのだ。
「君、このまま帰ったら君のお兄さんに怒られるんじゃない?」
蓮の言う通り、龍瀏は暁月を咎めるだろう。口で罵られるならまだマシな方だ。
しかしそんな内部の事情を蓮に話して何になる。
暁月は罰が悪そうにそっぽを向くと蓮は暁月の腕を引いて用意されていた布団へ寝かせた。
「何、やっぱりその気になりました?」
妖しい笑みを浮かべて誘い込むようにするも、蓮はまたそれを突き返した。
「いいや、明日の朝になったらこの部屋から出なよ。今日はここで休むんだ」
それだけ言うと、蓮は腰を上げた。
「待ってよ、あなたはまだ寝ないの?」
行為が無いのなら、もう寝ても良い時間だ。それなのに蓮は一つしか用意されていない布団に入ろうともしない。
「流石に君と同じ布団で寝るわけには。俺は大丈夫だから、今日はもう休んで。中国から来て疲れてるでしょ?」
何だかもう蓮に言い返す事も面倒になってきた暁月はそれ以上何も言わず、蓮の言葉に甘える事にした。
いつもは心休む事は無くぐっすり眠る事が出来ないのに、その日は不思議と熟睡出来た。
朝、暁月が目覚めると蓮は既に起きており、机には朝食が並んでいた。
「あ、起きた?おはよう、ついさっき朝食を運んで来てくれたんだ」
「……おはようございます」
暁月は先に身支度を済ませてから座椅子に着く。
「あ、和食なんだけど食べられるかな?苦手な物があるなら遠慮しないでね」
「いえ、大丈夫です」
暁月は食べ物に好き嫌いは無いし、食にはあまり興味が無い。
しかし、この鳳来蓮という男は昨日から暁月の調子を狂わせてばかりだ。蓮のその気持ちいい程の善良そうな笑顔は仮面なのか本来の姿なのか。
最初こそ営業スマイルを欠かさなかった暁月だが、蓮の顔を見たら暁月がニコニコして機嫌を取るのも何だか馬鹿らしくなってくる。
それに別に枕営業についてはそりゃ出来ればやりたくなんか無いし昨日の展開は暁月にとって願ったり叶ったりなはずだ。
しかしプライドの高い暁月は相手に断られたという事実が心の中で引っ掛かる。
まさか自分に魅力が足りないとか?まさか、そんな訳が無い。
暁月が心の中で自問自答をしている内に、目の前のこの鳳来蓮という男にも腹が立ってきた。
それに昨日の一緒に寝るわけにはいかないという発言はどういう事なのだろうか。
まさか暁月とは一緒に寝たくないとでも言うのか。
そうこうしている内に暁月の迎えが来て部屋を退出する時間になった。
「暁月様、お迎えに上がりました」
「ああ、今行くよ」
それじゃあ、と最後だけいつもの営業スマイルで会釈をする。しかし何を考えているのか、暁月と一緒に玄関先まで行くと暁月を迎えに来た者に対して挨拶をした。
「昨晩は楊一族の大事なお嬢さんをありがとうございました」
大事なお嬢さん蓮は確かにそう発言した。
最後の最後で何という爆弾発言をかましてくれたのだろうか。迎えの者も何を言っているんだとでも言いたいような、何とも言えない表情になっている。
「僕は男だ!」
流石に我慢ならず、それだけ吐き捨てると蓮に見向きもする事も無く表に止めてある車へと向かった。
全く、何て失礼な男なんだ。
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