第6話

 特徴的な黒髪は平凡な茶色に染め一つに結んで後ろに流し、黒目は普段ダニエルが使っている魔道具眼鏡で隠す。リポッソの制服は脱ぎ、代わりに皺一つない執事服に身を包み、手には真っ白な手袋を。

 完璧な変装。そのはずなのに、エーリヒの魅力が隠しきれていない気がするのはなぜだろうか。


 身支度を終えたエーリヒを見てダニエルが溜息を吐いていると、エーリヒが小首を傾げた。決してエーリヒが悪いわけではない。わかってはいるが、つい仏頂面になってしまう。


「どこか変なところでもありますか?」

 きょろきょろしながら自分の服装をチェックするエーリヒに、ダニエルは首を横に振った。

「いいえ、よーくお似合いですよ」

 投げやりな回答に、ダニエルが機嫌が悪いのだと気付く。

「そ、そうですか。それにしてもすごいですね。この仕立ての良い服もそうですが、この魔道具眼鏡。こんな魔道具があるなんて初めて知りました! どこで手に入るんですか?」

「それは……秘密です。独自の伝手で入手したものなので」

「そんなに貴重な物なんですか。それにしても……そういう服を着るとまた印象が変わりますね?」

「そうですか?」

「はい。まるで、本物の貴族みたいです!」


 嫌味なく目を輝かせて言うエーリヒ。ダニエルは何とも言えない気持ちで己の着ている服を見下ろした。


『ダニエル。おまえには剣の才が無くともそれ以上に特別な力がある。気にすることはない』

『そうよ。それに、その力が無くてもあなたが私達にとって大切な家族だということは変わりないわ』

『そうだぞ! もしかしてまた何か言われたのか?! 今度はどこのどいつだ? 俺がそいつを叩き潰してやる! だから家を出るなんて言うなよ』

『ダニエル……ダニエルの憂いは僕らが払ってやる。だから』

『父さん、母さん。サンドロ兄さん。イヴァン兄さん。違うんです。僕は』


「――――さん。ダニエルさん?」


 エーリヒに名前を呼ばれ我に返る。


「すみません。少しぼーっとしてました」

「いえ。……大丈夫ですか? もし、体調が悪いのであれば無理は」

「いいえ。大丈夫です。それより、エーリヒさんの方こそくれぐれも気をつけてくださいね。その眼鏡があればエーリヒさんだとバレることはないと思いますが……もしバレた時は」

「わかっています。すぐに離脱すること、ですよね」

「そうです」


 心得ていると微笑むエーリヒにダニエルは真顔で頷き返す。

 当初はダニエル一人で例の求人を受けに行くつもりだった。仕事に困っているフリをして。ダニエルが通年まともな依頼がないとぼやいていることは少し調べればわかることだ。断られたとしても構わない。それでも、何かしらの情報は得ることができるだろうから。


 けれど、エーリヒが自分も行くと言い出した。頑なに。そのため、別の作戦を考えたのだ。

 求人に応募するのではなく、王都から観光にきた『貴族』とその『従者』として堂々とメーベルト城を訪ねようと。



「さて、行こうか。エーリヒリヒト

「はい。ダニエルエル様



 リポッソについては店を閉めている間もその周囲を見張るようヴィリーに頼んである。もし、そちらで動きがあればヴィリーから連絡がくるはずだ。ダニエルの事務所については……一応臨時休業の張り紙をしてきたがそもそもいつも客なんてこないのだから無問題。いや、雑用を押し付けてくる連中はいるから、そういう意味では役に立つはず……多分。


 今回のメーベルト城への潜入作戦。潜入といっても深入りするつもりはない。なんらかの情報を得ることができたら上々。無理はしない。と、エーリヒとも約束している。安全第一。バレないように準備は念入りにした。だから、きっと上手くいくはず。それなのに、不安になるのはなぜだろうか。

 嫌な予感を振り切って、ダニエルはエーリヒと用意した馬車に乗り込んだ。



 ◇



 普段メーベルト城から出れないほど忙しいと噂のヨハン辺境伯は、ダニエル、いやエル達の訪問を自ら迎えてくれた。背は高いが心配になるくらいのやせ型。普段、部屋にこもって仕事をしているせいか肌は白を通り越して青白く見える。顔は整っているが、目つきが悪く、どことなく神経質な印象を受ける。――――この人がヨハン辺境伯。なんだかイメージと違う。

 ヨハン商店街の雰囲気から勝手に若々しく明るい人という勝手な印象を持っていた。

 ――――でも、切れ者というのは間違いない。

 ヨハンからの意味深な視線に気づかないフリをして挨拶をする。


「エル・ルーデンドルフと言います。後ろに控えているのは僕の従者です」


 ぺこりとエーリヒが一礼をすると、ヨハンは「ほう」と片眉を上げた。一瞬、ダニエルに緊張が走る。が、すぐにヨハンの視線が逸れ、安堵する。


「突然の訪問にもかかわらず受け入れてくださったこと、感謝いたします」

「当然のことをしたまでです。それに、お礼を言うのは私の方ですよ」

「?」

「『ルーデンドルフ公爵家の秘宝』と呼ばれている三男様にお目にかかれたとなれば、王都の連中がうらやましがるはずですからね」

「僕のこと知っていたんですね」

「知らない者はいないでしょう。しがない辺境伯である私ですら知っていたんですから」

「それなら話が早い。……ヨハン卿。実はそのことについてなんですが……僕がここにいることについては秘密にしていただきたいんです。僕がいる間だけでも」


 ダニエルのお願いにヨハンは首を傾げた。ダニエルは言い辛そうに口を開く。


「僕の噂を知っているということはご存じでしょう? 僕が普段公爵家から出してもらえないということは」

「ええ、まあ」

「その噂は本当なんです。両親も、兄達もとても過保護で……僕がメーベルト領に行ってみたいと言ったら絶対駄目だといわれました。それで……家族には内緒で家を飛び出してきたんです」

「それはつまり家出……いえ、ちょっとしたお忍び旅行ということですか?」

「はい。見ての通り、僕はもう子供ではありません。それなのに、家族はいつまでたっても僕を子ども扱いする。もう、そういうのは嫌なんです。僕は、僕の意思で動く。その手始めとして『若者の理想郷』と言われるメーベルト領を訪れたんです」


「僕もこれで普通の若者の仲間入り」とでも言うように胸を張るダニエルを見て、ヨハンが「なるほど」というように頷き、「ですが」と続けた。


「私も辺境伯という立場がありますからねえ。公爵様か、エル様。どちらかの味方をしろと言われたら……」

 考え込むように言いながらもちらりとダニエルに視線を送る。


 ――――よく言う。


 ダニエルは心の中で悪態つきながらも、両袖から金のカフスを取り外し、ヨハンへと差し出した。


「一つは口止め代として、もう一つは宿代として……いかがでしょうか」

「おやおや。そんなつもりはなかったんですが……ここまでされたら仕方ないですね」


 そう言いながらヨハンは二つのカフスを受け取る。


「好きなだけ泊まっていってください。ですが、無理はしないでくださいね。エル様に何かあれば私の首が飛ぶかもしれないので。体調に異変があればすぐに言ってください。この城には常駐している医師もいますから」

「ありがとうございます。わかりました」

「それと、領地の観光にはうちのものを案内役としてつけましょう」

「いいんですか?」

「もちろんです。せっかくの機会なんですから存分に楽しんで帰ってください」

「ありがとうございます」

「ヤン」

「はい」

「エル様の担当はおまえに任せる」

「かしこまりました」

「ヤンは普段私の専属執事をしています。城内はもちろん領地にも詳しいので何かと役に立つと思います。本来は私が案内すべきなのでしょうが、何分仕事が溜まっていまして」

「いえ。気にしないでください」


 どこからともなく現れたヤンに内心驚きつつも顔には出さずににこやかに微笑む。



 ◇



 ダニエルとエーリヒはヤンの後に続いて歩く。メーベルト城というだけあってなかなかに広い。どこに行くにも案内無しでは迷いそうだ。


「こちらがエル様のお部屋です。お連れのリヒト様は隣の部屋となっています。もし、別の部屋がいいようでしたら」

「いや。このままでいいよ。ちなみに、夕食は何時から? 少し休みたいんだけど」

「夕食は六時間後に予定しています。もし、体調が優れないようでしたらこの部屋でとることもできますが」

「六時間後なら大丈夫だと思う。少し寝たら回復するから」

「かしこまりました。何かありましたら、サイドテーブルの上のベルでお呼びください」


 ダニエルが頷くと、ヤンは一礼して下がっていった。

 人の気配が無くなるのを待ってから全身の力を抜く。はーっと息を吐き出した。エーリヒも同じような表情を浮かべている。


「意外とあっさりでしたね」

「ね。まあでも、ここまでは予定通りかな」

「……」

「どうかした?」

「いえ。荷解き手伝います」


 エーリヒが、持っていたダニエルのスーツケースを開く。ダニエルは慌てて立ち上がった。


「い、いいよ! 僕のは自分でやるからリヒトも自分のをやってきなよ」

「ですが」

「見られたくないものとかもあるの! リヒトだってさっさとやっておいた方がいいんじゃない?」

「そう、ですね。じゃあ、さっさと終わらせてきます。何かあったら呼んでくださいね?」

「わかったから。さっさと行って」


 エーリヒが出て行き溜息を吐く。

 ――――エーリヒさん役にのめり込みすぎじゃない? 人目が無いところでも従者のようなことをするなんて……。 


 まあ、そこまで徹底することは悪いことではない。ただ、エーリヒに自分の荷物を触られたくなかっただけだ。


 ――――さっきの視線。本当は聞きたいことがあったんだろうなあ。


 エーリヒにはエル・ルーデンドルフの名を名乗ることは事前に伝えていた。その時は特に何も反応は無かった。おそらくエーリヒはルーデンドルフのことを何も知らない。そう思ったからこそ、ダニエルは詳しい説明はしなかった。


 ――――少しくらいは説明しておくべきだったかな。


 ルーデンドルフ公爵家の三男。

 ルーデンドルフ公爵家と言えば『トザット王国の剣』と呼ばれる程、剣術に優れた騎士を輩出してきた名家。そんな名家の子息であるにも関わらず、剣の才が全く無い者がいた。それが、ダニエルだ。


 ただ、頭の出来は非常に良く、アカデミーの普通科をトップの成績で卒業。おかげで『ルーデンドルフ公爵家の三男は養子説』が流れた。もちろん、ルーデンドルフ公爵家がそんな噂を許すはずもなく、その噂を信じた者達は漏れなくルーデンドルフ公爵家の怒りを買った。


 結局、ダニエルはルーデンドルフ家には珍しく文官として国に仕えることになるだろう。と思われていた。だが、ある日難病にかかり、療養を余儀なくされた。それ以降、ダニエルは公の場に姿を現さなくなった。


 噂では「亡くなった」だとか、「とうとうルーデンドルフ公爵家から追放された」だとか言われていたが、そんな噂もルーデンドルフ公爵家の手によってすぐに鎮火された。まるで、ダニエルの悪い噂は絶対に許さないとでも言うように。

 代わりに広がった噂は『公爵家の秘宝』だ。いつしかその噂だけが独り歩きし、『・ルーデンドルフ』の名と彼にまつわる不名誉な噂は人々の口にのぼらなくなった。


 そう。ダニエルは正真正銘ルーデンドルフ公爵家の三男なのだ。今まで聞かれなかったから黙っていただけで隠していたわけではない。知っている人は知っている。

 ――――それでももう少し説明するべきだったな。エーリヒさんからしてみれば落ち着かないはず。自分のことはバレているのに、僕のことは何もしらないんだから。

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