祠壊しバイト
黒猫夜
祠壊しバイト募集
報酬一億二千万円。期間一年。住み込み三食付き。
留意事項:秘密厳守。
◇
「じゃあ、最後にこれサ。壊してくれるかな? 『祠壊しバイト』クン」
スーツ姿の女性が軽い調子で言った。ヒノキで作られ、切妻屋根の下に観音開きの扉を備えた典型的な
「……え、それ、
僕の手には
「いやいや、そんな難しく考える必要はないよ。
祠壊しバイトに採用されて、ここ一年、僕、『裏バイター』
午前中に僕が祠を壊したところは、その日の午後に村の大工が直す。その次の日の午前中にあやめさんの指示で僕がまた壊す。それが、これまでよくわからないまま続けてきた一年のルーチンである。おかげで僕がバイトを始めた頃には朽ちかけだった祠も、なんということでしょう、
「ほら、最後の総決算、鏡開きのつもりでどーんとやっちゃって。 あ、今のコに鏡開き通じない? ビルの完成式典とかで偉いおじさんが酒樽のふた、叩き割るでしょ? アレ」
あ、「割る」って縁起悪いから言っちゃダメだった。それで「開く」っていうんだよネ。などと言いながら、あやめさんは御神体を僕の目の前の
「……それに、これ壊してもらわないと、満額は払えないんだわ……京クン。まあ、一年頑張ってもらったし、半額までなら私の権限で出せるけどサ」
報酬一億二千万円の半額六千万円。大そうな金額ではあるが、それでは僕の目標額には足りない……。
僕は覚悟を決めた。
「わかりました……やります……」
「じゃあ、いつも通り、あと十分したら壊して山下りてね。私は先下りとくからサ」
そう言って、あやめさんは踵を返した。祠を壊すのは僕一人でないといけないらしく、あやめさんは先に山を下りてしまう。いつものことだ。
腕時計のタイマーを十分にセットして、僕は金床の「御神体」と向かい合った。目にするのは今日が初めてというわけではない。扉を壊した時にわずかに見えた御神体は、祠という
ふと気配を感じて目線を上げる。そこにはここ一年ですっかり新しく設えた木祠がある。そこには御神体も何も入っていないはずだが、見た目にはちゃんとした「祠」に見えた。
腕時計のタイマーが鳴る。僕は深呼吸すると、目の前の「石」に狙いを定めて玄翁を振り上げた。
◇
「……結局、僕は何をやらされてたんですか?」
村の役所の応接室で僕はあやめさんに聞いた。机の上には僕への報酬一億二千万円がアタッシュケースに収められて置かれている。あやめさんはちょっと考えてから、口を開く。
「『テセウスの船』ってサ。京クン聞いたことあるかな?」
『テセウスの船』、船を構成する部品を少しずつ取り替えていって、最初の船を構成していた部品が全て無くなった時、その船は最初の船と同一といえるのか? という有名なパラドックス。それについては僕も途中で気づいていた。
「僕がバイトを始めた時の朽ちかけの祠と今の真っ新な祠では、材料は全部入れ替わってるけど、祀られてるものからしたら同じ祠ってことです?」
「
イロイロについてはは教えないよ。知らない方がいいだろうしネ。あやめさんは怪しげな笑顔で付け加えた。
「でも、最後、御神体まで壊しちゃって……」
「ああ、言ったと思うけど、それも一緒サ」
あやめさんは財布から一枚のお札を取り出した。福沢諭吉の肖像が描かれた一万円札だ。
「福沢諭吉の若い頃の有名な逸話でサ。稲荷神社の御神体の石を入れ替えて、それをありがたがる人たちを笑ったというのがあるのさ。詳しくは『福翁自伝』参照のこと。あ、青空文庫で読めるよ。
まあ、結局、御神体も『テセウスの船』の部品にすぎないということさ」
「……それじゃあ……」
僕らは何を祀っているのか。いや、何を祀っていると言えるのだろう。
「約十八円」
僕の思案顔に、あやめさんは、ふふ、と悪戯っぽく笑って、一万円札をひらひらさせる。あやめさんの言いたいことを察して、僕は口を開いた。
「……ええと、紙幣の製造コスト……ですか?」
「流石、京クン、やはり君は敏いネ」
あやめさんは一万円札の製造番号をメモすると、それを僕に手渡してきた。両手に何も持ってないのをアピールすると、拳を作ってその中に一万円札をねじ込んでしまう。するとあやめさんの拳の下から十八円 ―― 十円玉と五円玉、そして一円玉が三枚 ―― がこぼれて机の上に散らばった。手を広げて一万円札が消えたことを披露するあやめさん。
僕は形だけでも拍手を返しておく。あやめさんがテーブルマジックを披露するのは珍しいことではない。実はこの人は小役人などではなく、手品師なのではないだろうか。と少し僕は疑っていた。
「じゃあサ、諭吉先生の描かれた約十八円のカミに一万円の価値があるのはなんでかナ?」
「……国が一万円の価値を担保してくれているから?」
「どうやっテ?」
「……」
僕は答えに窮する。そんなこと、疑ったことはない。
悩み顔の僕に、あやめさんはスーツの胸ポケットから紙巻きタバコを一本取りだして、指の間で弄び始めた。いわゆるフィンガーパスという技である。あやめさんの細い指の間でくるくると回るそれに、目が吸い付けられる。
「ヒント、こちらも約十八円」
「タバコ一本の値段ですか?」
「……うーん。吸わない京クンには難しかったかな?」
あやめさんは落胆の表情を見せると灰皿を引き寄せ、タバコに火をつけた。一口、口をつけると灰皿に置く。紫煙が僕とあやめさんの間で一本立ち上る。僕は立ち上がって応接室の換気扇を回すと再び席に着いた。
「約十八円。タバコ一本にかかる税金サ。
およそ、
たばこ税 六.八円、
たばこ特別税 〇.八円、
道府県たばこ税 一.一円、
市町村たばこ税 六.六円、
消費税 二.六円、
合計 十七.九円」
はあ。僕は気のない返事をした。それが一万円札の価値と、何か関係が? そもそも、これは祠に祀られているものの本質の話ではなかったか?
「ふふ。まだわからないかナ?」
あやめさんが机の上を撫でると散らばった十八円が消える。
「私がタバコを一本買うたびに十八円を国やらに納めなきゃならんわけサ。タバコ五百五十六本でおよそ一万円。これが一万円札が一万円の価値を持つからくりだよ」
ふむ。仮に税率が上がって、一本二十円になれば、一万円札で買えるタバコの本数は五百本、五十六本減る。タバコに対して相対的に価値が下がったと言えるだろう。逆もまた然り……か。
「……ええと、税金が額面の価値を決めている?」
「Exactly. ざっくり言うと、そういうことサ」
あやめさんはタバコ一本を吸い終わって、次の一本を咥えた。火をつけようとして大仰に首をかしげ、唐突にタバコをほぐしていく。中から出てきたのは細く丸められた一万円札だった。営業スマイルで一万円札の裏表を見せるあやめさん。手元のメモと製造番号も一致している。僕は拍手する。
「で、税金がお金の価値を決めるというのは何となくわかりましたが、それが祠に祀られているものと何か関係が?」
「お金の価値は税金が決めているんだとしたら、祠の価値はナニが決めているんだと思うかナ?」
「……」
なるほど。そういうことか。僕は目の前のアタッシュケースに目を落とす。秘密厳守とはいえ、一日一回玄翁を振り下ろすだけの仕事にこれだけの対価が支払われるのは――
「……わかりました」
僕は立ち上がってコートを羽織った。
「おや、もう行ってしまうのかい? もうちょっと私とおしゃべりを楽しんでくれてかまわないんだよ?」
「ええ……まだ稼がないといけないので……」
アタッシュケースを持つ。腕にずっしりとくる。一億二千万円、令和三年の一世帯当たりの所得金額の中央値四百二十三万円からして、およそ二十八世帯分の所得、すなわち、人の営み。
「あ、そうだ……」
「なんだい?」
「タバコ一本貰えます? 記念に」
あやめさんは一瞬 ―― ほんの一瞬、気のせいかもしれない ―― 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、すぐにニッタリと笑う。タバコを一本取りだして、僕に差し出してくる。
「
「
僕は貰ったタバコを胸ポケットにしまった。応接室を出る。
感じる重みは、一億二千万円、十二キログラムとケース三キログラム、合計十五キログラム ―― プラス○.八グラム
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