第29話 七年後 舞視点
私は鏡に写った自分の姿を見る。
鏡の中の私は、ウェディングドレスを着ている。
高校生の時に着た赤色とは違い、小学生の時に着ていたバレエ衣装の様に真っ白なドレスだ。
そのドレスのスカートの裾は、その二つとは比べ物にならない程長い。このブライズルームの床に付いて、まだ余っているほど長いドレスだ。ウェディングプランナーさん曰く、このドレスはAラインと呼ばれるものらしい。
昔の、鏡と鏡に写った自分が大嫌いだった頃の私が見れば、今鏡に写っている自分が本当に自分自身なのかわからなかったことだろう。
トントン
「…!」
突然のノックに、私は机の上に置いてあるマスクを顔に着ける。
「…はい、どうぞ」
失礼しますという声と同時に扉が開かれ、女性のブライダルスタッフの人が入ってきた。
「新婦様のご友人だという『朝比奈奏』という方が参られております。お部屋に案内いたしましょうか?」
懐かしい名前が飛び出した。
「…!お願いします、案内してあげて下さい」
しばらく待っていると、ノックなしに扉が開かれる。
「舞〜!会いたかった〜!」
「奏、久しぶり」
青いパーティードレスに身を包んだ奏は、ウェディングドレスを着た私に抱きつきはしなかったものの、凄い勢いで近づいてきた。
「こういうのって入れてもらえるんだね!私スタッフさんに頼むとき、ほとんどダメ元だったもん!」
「私も知らなかったよ…この部屋に入れるのって両親とかその辺までだと思ってた」
「舞が結婚かぁ〜っ!郵送されてきた結婚式の招待状見て、夕方だったけど私その日に返事出しちゃった!」
「だから奏のだけ返事早かったんだ…郵便局の人がその地区だけ頑張ってくれたのかと思ってたよ」
懐かしい再会に、お互いに会話が弾む。通話だったりで話すことはあっても、直接話すのは何年振りか。
「懐かしいねぇ…生で会うのは大学卒業の時以来だから…三年ぶり!?」
「卒業祝いのパーティーの時か…私達も今では二十四歳、大学生や高校生の時代が懐かしいよ」
「私もそろそろ結婚とか考えなきゃいけないんだけどね〜…てか、舞と斑目くんだったら結婚式はもっと早くに挙げると思ってた」
「お互いに働き始めてすぐだったりもあるし、それもあるけどやっぱりこれかな…」
そう言って私は、着けていたマスクを外す。
奏は空気に晒された私の頬に、壊れ物を扱うようにそっと指で触れた。
「…本当に治ってる」
「傷が出来てから十何年も経ってたのもあってか、綺麗さっぱりとはいかなかったけどね…」
「それでも、綺麗だよ」
私の顔の傷は、皮膚の移植等の医療整形により以前の様な見ただけで多くの人が目を背ける程に醜いものではなくなった。
いくらか傷跡のようなものは残っているが、人前に出しても問題無いと思える顔にはなれたと思う。
「前にビデオ通話とか、送られた写真とかで何回か見せてもらってはいたけど…や〜っと治せたんだね」
「うん…働いたり好きに外食するのなら、やっぱり直した方が良いと思って…彼とも相談をして良い病院を見つけて整形できたの」
「それにしても…」
奏は一歩下がり、私の姿を髪から床についたスカートの裾までをじっくりと見ていた。
「うわぁ………今の舞、本っ当に綺麗だよ…!」
友人からの掛け値なしの褒め言葉に、私は心から嬉しくなる。
「うん…ありがとうね」
上下に動いていた奏の視線は、段々と私の顔に固定されてきた。
「そこまでじっくりと見られたら恥ずかしいんだけど…」
「時間掛かったね…。まぁでも、整形はじっくり考えて決めるものなんだし、こんなに綺麗になったんだからやって大正解だよ…!」
「……うん、そうだよね…」
私がそう言った後、奏はキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「…そういえば、まだら…いや今は『宗二くん』って呼ぶべきなのか、彼はどこにいるの?」
この結婚式のもう一人の主役の名前が出た。
「宗二くんなら、私が着替える前に引き出物だったりの確認に行くって言って出てったきり」
「着替える前…?…えっ、もしかして彼まだこの格好の舞の姿を見れてないの…?」
「大丈夫だよ、このドレス試着した時に彼は何度も見てるもの。褒め言葉もその時に沢山もらったしね」
奏は、信じられないという顔をした。
「違う違う違うのよ…。こういうのは、当日の花嫁の初披露にしか無い特別感ってのが大事なのに」
「そういうの私達は特に気にし―――」
トントン、とノックの音が響いた。
「俺だけど…入っていい…?」
扉越しの彼の言葉に私は慌てて返事をする。
「ちょっと待ってて!」
私は、先程のノックと同じ様に素早くマスクに手を伸ばした。
私がマスクを着ける様子を見ていた奏は、何をしているのかわからない様だった。
「いいよ」
私の言葉の後にノブは回り、扉はゆっくりと開かれた。
開かれた扉から入ってきた彼は、部屋から出ていった時と同じく白のタキシードを着ていた。
「ただいま舞さん、参列者の人も結構な人数が…って朝比奈さん!?」
入って早々に驚いた様子の彼に、奏はズンズン詰め寄る。
「斑目くん!何で新郎が出ていってるの!」
奏は先程、彼のことは『斑目くん』でなく『宗二くん』と呼ぶことにしたはずなのに、呼びやすさからか昔の呼び名に戻っていた。
「舞の花嫁姿は、新郎である宗二くんが誰よりも早く!一番に見るべきでしょう!」
「いや…ブライダルスタッフの人に色々確認が必要だって言われてさ…」
「そんなもの、もっと早くに済ませなさいよ!そもそも、何でその格好で出歩いてるの!」
そう言いながら奏は彼の白いジャケットを指で突いている。
「ちょ…、痛い痛い…!」
「はぁ…それよりも、ほら…」
奏は脇にそれ、私と宗二くんが対面する形にした。
「舞になんか、言うことあるでしょ…!」
宗二くんは気付き、まっすぐ背筋を伸ばした。
「あぁ…舞さん、そのウェディングドレス…凄く綺麗だよ…」
「…!うん、ありがとう…!」
彼からの言葉に喜んでいる私の光景を、奏はウンウンと頷きながら見ていたが、何かを疑問に感じたのか、上下する頭を急に止めた。
「…ていうか、何で舞マスクしてるの?」
奏の言葉に私達は顔を見合わせる。
「いやそれは…舞さんから、顔を見たら離婚だって言われてるから…」
私達の約束事を話した宗二くんの言葉に、奏は一瞬固まった。
「…えぇ?」
その後に私と視線を合わせ、事実かどうかの確認を取ってきた。
私は黙って頷く。
「いやっ…私には見せたでしょう…?まさか、他の誰にも見せてないの…!?」
「いやいや…仕事の時にはもう何回か外してるし、一人で外食する時も外してるよ」
奏は私の説明を聞いて尚、何も理解できないという表情をしている。
「だから…そのっ…宗二くんにだけ、見せないの」
私の言葉を聞いて奏は後ろを振り向き、宗二くんの顔を見る。
彼は、少し困った顔で笑っていた。
「…結婚を期に見せ始めるとかは無いの…?」
私は奏の手前、少し悩んだ振りをして見せる。
「無いかな…宗二くんが見ないなら、この先永遠に見せないつもり」
奏はとんでもないものを見た顔をした。
「…舞、ちょっとこっち来な」
奏は私の肩を掴み、部屋の隅に引っ張っていく。
今の私は非常に動きにくい格好なので、無理に引っ張るのは止めて欲しい。
「いや本当に何でよ…顔だって整形して綺麗にしてあるし、見られて困ることなんて無いでしょ…?」
奏は小声で彼には聞こえないよう私に話しかける。
「まぁ…高校の時からの二人の間だけの約束事というか、付き合う上での決まりというか…」
私の言葉に奏は呆れる様な口調で話す。
「あんた達これから結婚するのよ…?二人一緒に同じ家で住むのに、顔を見られない訳無いでしょ…!?」
正直、もっともな言葉だとは思うがこれは私達二人の問題だ。
「彼も協力してくれてるし、なんとかなるよ…!」
「なんとかなるわけないでしょ…!」
掴んでる肩を強く揺すられる。
「…そんな理想ばっかり抱えてたら、この先お互い不幸になるかもしれないわよ…?」
「………」
私は、顔を少し動かし彼の方を見る。
彼はただ、待っていてくれていた。本来、ここは新婦もしくは新郎新婦が身支度をするブライズルーム。普通なら式の始まるその瞬間まで思い切りリラックスするための場所だ。
そんな場所で、今彼は蚊帳の外の様な状況にありながらも、一切の不満を漏らさずにただ私達の話が終わるを待っていてくれていた。
多くの人は彼を行動力の無い人間だと思うだろうが、全てがどうでも良くなった私のひどい当たりに根気強く耐えてくれて、久々に踊る私のために相手役になるべく慣れない練習に根気強く励んでくれた。
そういうところが、好きになったんだ。
「…大丈夫だよ、二人で上手くやっていくからさ…」
「〜〜〜っ……」
奏は、諦めた様子で大きくため息をついた。
私達は新婚夫婦だ。今から待っている結婚生活に、他の新婚夫婦と同じ様に一つや二つ高い理想を抱えていても、何も悪いことではないだろう。
「…なんかあったら言いなさいよ?」
そうして私は開放され、部屋の中心に歩いていく。
それにしてもこのドレスは本当に動き辛い。文化祭の時に着たものより、スカートの裾が三十センチほと長いだけでここまで動きにくいものなのか。
奏は腕を組み、まだ何かを言いたげだった。
「…ていうか、本当にそのマスク姿で結婚式するの…?」
「あぁ…それなら、宗二くんアレ取って」
私の言葉に反応し、彼は私が式場に持って来ていたバッグの中にある四角い箱を手渡してくれた。
「…?それは…?」
不思議そうに見つめる奏に、私は箱の中のものを取り出して見せた。
「フェイスベールだよ。ウェディングベールとかと違って、顔の下半分だけ隠すやつ」
私が話していると、宗二くんは外に通じる扉に手を掛ける。
「じゃあ俺、着けるまで待ってるから」
「うん、ありがとう」
彼が外に出たのを確認し、私はマスクを外す。
フェイスベールを着けている私を、奏はまたも何かを言いたげな顔で見ていた。
私が持って来ていたフェイスベールは、この日のためのオーダーメイドのものだ。
ドレスに合わせて白い色で、レースは薄っすらとだけ輪郭が見えるくらいの濃さにしてある。
「…いいよ」
外で待ってくれている彼に呼びかける。
彼は部屋に入るなり早々、あの表情をした。
私がこのウェディングドレスを初めて試着して見せた時、文化祭の衣装の候補としての赤いドレスを見せた時、私にあの日あの教室で告白をしてきた時と、全く同じあの表情だ。
「…どう?」
「…舞さん、その…………凄く…綺麗だ…」
途切れ途切れの言葉で私を褒めてくれる。
先程、奏に言われて発した褒め言葉とは感じる熱量が違いすぎて「さっきの『綺麗だよ』という言葉は嘘だったの?」と言おうとも思ったが、やめておこう。
私は、彼の言葉を素直に受け取ることにした。
「…ありがと」
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