戦士と人殺し

「あー……ん?」


 一瞬納得しかけてしまったが、すぐにおかしいことに気が付いた。

 この列車には未だに食べられる物が豊富にあった。殺人を犯してしまうほど切羽詰まるような状況では無かったはずだ。


「言葉が足りませんでしたね。無論、わたくしも他の食材が食べられない訳ではありません」


 視線を、床に散らばった皿やグラスに向ける。

 鋭利な破片に混じって、酒肴にしていたであろう穀物の殻が落ちていた。


 では、ラミアを殺してスープにしたのは、怨恨だろうか。或いは狂った彼を返り討ちにした結果だろうか。


「違うか」


 その問いに対する答えをアイビーは既に得ていた。


 ウェアウルフは先程、アイビーを食べない理由を「お腹が空いていないから」と答えた。煩雑な事情が介在していないというのが本当なら、もう少し彼に会うのが早ければ、或いは遅ければ、ああしてスープになっていたのはアイビーの方だったのだろう。


 腹を満たす事は容易にできるのだから、彼の目的は、人殺しの方だ。


「ウェアウルフという種族の牙が鋭いのは何故だと思いますか?」

「食べ物を細かくするため?」

「ええ、そうです。では、四肢や爪が発達しているのは何故だと思いますか?」

「……闘うため?」

「ええ、概ねそのとおりです」


 彼はにっこりと笑った。

 その表情のままかぶりを振り、「しかしそれで全てではありません」と続けた。


「では、相手はなんでしょうか。人類に害成す獣、他種族、同種同士のいさかいもあるでしょう。しかし本来の標的は──獲物です」 


 「なるほどね」とミストルが言う。全てを察したと言わんばかりの、溜め息まじりの声だ。


「だからラミアを殺したのね」


 アイビーにはなんの事だか分からなかったが、独り言だったのだろう、ミストルは言葉を重ねた。


「争いは人類同士の文化……文明同士の特権だものね。遥か昔、人類種が文明を獲得する以前は自分達で食べ物を育むなんてできないから、殺すか奪うかして、食べるしかなかった」

「野菜とか食べなさそうだもんね」

「野菜も奪うのよ。勿論今みたいにちゃんとしてない雑草みたいなのだけどね」

「食べるんだ」

「食べますよ。あまり好みませんけどね」


 それが種族的特性なのか、トレモロというウェアウルフ個人の嗜好かは、訊かなかった。


「昔、わたくしも両親に尋ねたものです。『ねえ、お母さん。どうしてウェアウルフはこんなに口が大きいの?』『ねえ、お父さん。どうしてウェアウルフの身体はこんなに強いの?』と。返ってきたのはまあ、平和な言葉でしたよ。『それはね、あなたの名前を大きな声で呼ぶ為よ』『それはね、お前を守る為さ』といったところでしたかね」


 アイビーは目の前の巨躯が小さかった頃を上手く思い浮かべることが出来なかった。どんな時分であろうと、自分にどうにか出来るとは思えない。

 それだけウェアウルフという種は、アイビー達よりも肉体的に優れているように見えた。


「わたくし、偏屈だったのです。それが子供向けの当たり障りのない言葉というのはすぐに気が付きました。そしてウェアウルフの歴史を調べ、先程の事実を知りました。我々の先祖は、自らの肉体一つで他の生物を引き裂き食らい、そうして街や国を拓いたのだと」

「立派ね」

「ええ、そうなのです! わたくし、痛く感銘を受けました。自分がその血を引いていることが震えるほどに嬉しかった」


 両腕を振り回しながら語るのは、興奮が故だったのだろうが、同時に自身の力を誇示しているようにも見える。

 引き裂かれた大気が視認できるのではないか。そう思える程、彼の爪に散らされた空気は鋭角な音がする。


「そして同時に、今のウェアウルフに酷く絶望しました。どうしてその誇りを失ってしまったのかと」


 アイビーとミストルは同時に口を開いた。


「人殺しがいけないことだから?」

「アナタのご先祖様が偉大だったからよ」


 生物はより生きやすい形に進化する。

 人類種の進化は知性を獲得すること。知性は獣を人に変え、闘うことから遠ざける。闘うのをいとえば数は増え、増えた人間は群れを維持するために国を成し、それを守る為に法を作る。群れを維持するための法は当然、殺しを禁じる事だった。


 ウェアウルフが戦士でなくなったのは、建国の祖が有能だったからに他ならない。


「そうです。だから、納得するしかありませんでした」


 そんなことは、当然彼も分かっている。


「我慢するしかありませんでした。大人になるしかありませんでした。憧れを捨てるしかありませんでした。牙も爪も丸く整え、堅い衣服に身を包み、衝動を心の奥底に仕舞い込んだ──しかし、今はもう」


 唐突にアイビーは、彼が葡萄酒を含みながら紡いだ言葉を思い出した。


 ──誰にも咎められないとなると、欲というのは抑えが効かないものですね。


「だからラミアを殺したのね」


 ミストルは先程の言葉を繰り返した。今度ははっきりと、ウェアウルフに向かって。

 そこでようやくアイビーにも合点がいった。納得の声を吐息と共に漏らす。 


「我慢する必要が無くなったから」


 憧れに焦がれるような子供時代などアイビーには無かった。生まれた時から墓守になる事を宿命付けられていたし、その事に対する不満だって少しも無かったから、他の人生なんて考えたことも無かった。

 手を伸ばしても届かない夢というのは、それほどまでに身を焦がすのだろうか。人を殺さなくてはならないほどに、耐え難い慕情なのだろうか。


「分からん」


 いくら考えてもアイビーには分かるはずもなかった。

 生き死にも分からない彼女に、殺しのことなど分かろうはずもない。


「アナタ、心底人殺しなんだわ」


 ミストルは吐き捨てるように言った。軽蔑を何にも包むことなくぶつけるような、リボルバーらしい、弾丸のような言葉だった。


「戦士、と言って欲しいですね」

「は。戦士なもんですか。墓標に価値のない現在、生命にだって価値がない。なんの値打ちもつかないものを引き裂いたところで、アナタの爪と牙は曇るだけだわ。アナタのだぁい好きなご先祖様の誇りとやらもね」

「あなた方の旅もそうでしょう」

「それはこれから決まることだわ」


 沈黙が横たわる。

 分かり合えないということがお互い分かったらしかった。


 空気の読めないアイビーは、先程拝借した燻製肉を、ウェアウルフとは似ても似つかない平たい歯で砕いた。

 決して短くはなかったのに、二人はその間何も語らなかった。


「楽しかったですか?」

「はい?」


 沈黙を破ったアイビーを、戦士に憧れた男が見た。


「人を殺すのは、楽しかったですか?」

「……それは」


 戦士に憧れた男の瞳が揺らいだ。

 答えを待ったが、彼は何も言わなかった。だからアイビーは、思った事をそのまま伝えた。


 昔がどうあれ、ウェアウルフの常識に「人殺しがいけないこと」というのがあるのなら。


「きっと、ウェアウルフの戦士達は、人殺しが楽しくなかったでしょうね」


 戦士に憧れた男は……アイビーの目の前にいるこのウェアウルフは、ただの人殺しだ。

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