蛇人のスープ

 食堂車は生臭かった。

 料理の是非は分からないながら、衛生観念くらいはアイビーにも存在する。台所が大なり小なり臭いがするものと理解してはいても、思わず鼻を摘んでしまう程というのは異常だろう。


 刺激臭が目にまで影響を及ぼすようだ。ピリピリとした痛みが走って、アイビーは目を瞑った。


「ミストル。ご飯腐ってるよ」

「腐っていたらこんなものじゃ済まないわよ。見なさい、あれが原因だわ」


 溜まった涙を拭いながら前を見る。

 狭い車両の床を占領するような蛇の先、頭の方は直角に、また上方に向かっている。わざわざ地を這うのをやめてまで、何を見るのか。


「鍋の底を見てる。お腹が減っているんだね」

「お馬鹿。茹でられているのよ」

「趣味で?」

「他意で」

「そっちか」


 巨大な寸同鍋にすっぽり蓋まで被って納まる理由はそれ以外には思いつかない。


 肯定されでもしたら蛇は喋らなくて冷たくて、おまけに頭から湯に浸かる生物だなんて勘違いしていたところ。なんておかしな生き物だろう。


「やっぱり死んでたね」

「元から冷たいっていうのは嘘じゃないわよ?」

「それにしても豪快だ。頭だけ茹でて他はほったらかし。ちょっと……やあ、凄く臭いがキツイから僕は食べたくないけど」

「そんな文化圏は知らないわね。暫く徒歩で移動していたから、多分あんまり私達の村と変わらないと思うし」

「つまるところ、シェフの腕が悪いって話?」

「頭でしょ」


 アイビーは寸胴の蓋を取って鍋を覗き見た。


「なるほど。これは頭が悪い」

「前言撤回。性格が悪い」


 そこには当然、つるりとした頭と縦長の瞳孔、それから鋭い牙がある……そう考えていたアイビーの目に飛び込んできたのは、たっぷりの毛髪と、人間の上半身だった。残っている湯が真っ赤なのは、香辛料の類ではなくて血液だろう。

 最早人らしい部分を探す方が困難な程にぐずぐずに崩れ落ちてはいるが、それでもアイビーには人に見えた。


「ラミアだわ」

「なにそれ」

。見た通り蛇と人間の間の子みたいなもので、水辺に暮らす種族よ」

「それは当然?」

「食べられない」


 頭痛がするような心地だった。

 そりゃそうだ、というシンプルな思考と、じゃあ何故、という疑問と、その答えが同時に脳に去来する。


 もうとっくに分かっていた事だ。整理された痕跡のない車両内。乗客も乗務員もおらず、駅員はぼうっと中空を眺めるだけだった。この列車だってまともじゃない。今となっては異常なのはアイビーやミストルの方かもしれないが。


「まあ、危険が無いなら好都合だよ。今の内にご飯ご飯。腐ってないんでしょ?」

「よく食欲が保つわね」

「臭いって慣れるね」

「それもだけど」

「死体なんてこれまでいっぱい見てきたよ」

「それもだけど」

「他になんかある?」


 ぶら下がっていた燻製などを摘みながら首を傾げる。一所に留まらないアイビーにとっては生の食材よりも保存の効くこういったもの方が嬉しい。


 戸棚からは缶詰の類も多く見つかった。暫くは困らなさそうだなんて思考している辺り、ミストルの言葉は早々に頭の外だ。


「なにってアンタ、これをやった奴がまだここに居るってことよ」

「……あー」


 そこでようやくアイビーは手を止めた。未だに口に残っている燻製を嚥下し、ミストルの方を困り眉で見つめる。


「列車ってもしかして勝手に動かない?」


 答えを待つまでもなかった。

 一つため息をついて、アイビーは自分の元いた車両に戻ることに決めた。


 これまでこのラミアの死体以外は何も無かった。とどのつまりこれをやった推定人類種は、この先の車両にいるということだ。


 もう一度アイビーはラミアの死体を見た。尻尾の先ですら彼女には持てそうにないほどの巨躯。脳内で自分とこれを闘わせてみると、あっという間に殺された。禁じ手のシャベルを使ってもだ。


「列車から飛び降りるっていうのは……」

「おすすめしません」

「……あー」


 アイビーのものともミストルのものとも全く似つかない、低く太い声が背後からかけられた。

 もう一度口の中で唸りながらゆるりと振り返ると、食堂車の一つ先、最前の車両の方、天井に頭がつきそうな程に背の高い人物が立っている。


「このスピードで走る列車から飛び降りるとなると、わたくしでも死を覚悟しなければなりません。ましてお嬢さんのような痩躯では、ひとたまりもないでしょう」

「どうも、ご親切に」


 声は、成したであろう事象に反して酷く穏やかだ。

 一瞬だけ目を巡らして、全身を盗み見る。

 顔は犬のそれによく似ているが、人肉を容易に切り裂く牙が並んでいる。筋骨隆々の身体を包むのは青灰色の体毛と、真面目そうな印象を受ける深緑色の衣服。


 アイビーは、あの爪でどうやってボタンをかけているんだろう、だとか、暖かそうなのに服なんか必要なのかな、とか、どうでもいい事を考えた。


「なにか?」

「いや、説得力があるなって」


 列車から飛び降りてダメージを受けそうにもない威容なれど、本人が言うならそうなのだろう。であれば、アイビーの身体など木っ端微塵になるに違いなかった。


「ウェアウルフだわ」


 ミストルの呟きに返事はしなかった。ラミアの時のように疑問も挟まなかった。見れば分かる。狼と人間を合わせたような、人類種の一つだ。


「申し遅れました。わたくしはトレモロ。この列車の車掌コンダクターを務めます。失礼ですが、切符を拝見しても?」

「切符」


 どうこの場を切り抜けようかと考えていたばかりに、鸚鵡返しにすることしか叶わなかった。

 いや、そうでなくとも聞き返していただろう言葉だ。今この世界において、そんな事を気にする人間がいるだなんて思ってもみなかった。


「ああ、申し訳御座いません。駅員が仕事をしなかったのですね? 最近多いのです。他の乗務員も皆姿を見せなくなって久しい」

「そうですか」

「それで、そのう。大変申し上げづらいのですが……」


 巨躯を縮こまらせながら口ごもる姿にアイビーは首を傾げるしかなかった。その大変申し上げづらい事とやらはいつまで待てば聞かせてもらえるのだろうか。


「お金お金」

「あ」


 アイビーがお金の入った皮袋を差し出すと、ウェアウルフの車掌はホッとした様子で硬貨を一枚だけ取り出した。


「ありがとうございます、リボルバーのレディ。お喋りがお上手ですね」

「アナタも思ったよりもずっと紳士的だわ」


 思わずラミアの茹でられた鍋に視線を向けた。

 こうしてミストル以外とまともに言葉を交わしたのは久しぶりだ。それこそ、彼が殺人鬼だなんて信じられないほど。


 ウェアウルフは、アイビーの視線をなぞってから、ただ穏やかに微笑んだ。


「向こうで話しませんか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る