第11話  君の隣りに


 蓮水はすみ じん己龍きりゅう組の事務所のソファに座ってコーヒーを飲んでいた。


「いやぁ、今日はいい天気だなぁ」

 窓を見ながら、しみじみと言う。


「えっ!? 大雨ですけど?」


「じゃあ、何でこんなに明るいんだよ」


「そりゃ、部屋の中は電気付けてますからね」


「そうか...まぁ、小さい事は気にしないタイプだ」

 そう言って、またコーヒーを一口飲んだ。


「迅さん。全然小さい事じゃないでしよ。ちょっと心配だから、頭の検査した方が良くないすか?」


「こら、奏多ヤメロ」



 ソファの向かいには迅の弟分の五十嵐いからしがく冴島さえじま 奏多かなたが座っていた。


「なんか迅さん、最近 様子がおかしくないですか?」

 奏多かなたは迅に聞こえないようにがくの耳元で話した。


「確かに!! さっきテレビのリモコンに話しかけてたぞ。あれは異様な光景だったなぁ...」


「ほら、またニヤニヤしてる」


「そりゃ、そうだろ。恋煩いが解けたからな」

 いつの間にか来ていた久城が2人の間から「ぬっ」っと顔を出す。


「うぉっ!! アニキっ!! あぁぁぁぁいやぁ、久城さんっ!! ビックリさせないで下さいよっ!!」

 驚いた奏多かなたがピョンと跳ねる。

 一方でがくは落ち着いて話す。

「久城さん。恋煩いが解けたって、どう言う事ですか?」

「デートだよ。デート♡」

「久城さん、それ詳しく教えて下さい」

 再び岳の瞳の奥が輝いた。



 

 ◇ ◇ ◇


 ミュージカル当日



「まだ、1時間以上もあるのか....」


 迅は、橘花たちばな 深月みづきと待ち合わせした駅の前で待っていた。


 迅はここ数日、この日の事ばかりを考えていた。

 予定では、ミュージカルを見てから夕飯を食べる約束をした。

 それは彼女が『どうしても、食事をご馳走したい』と言ったからだ。

 また、あの笑顔に包まれると思うと、はやる気持ちを抑えきれなかった。気がつくと顔の筋肉が緩み、がく奏多かなたに何度も、気味悪そうに見られた。

 それでも、考えられずにはいられなかった。


 考えずにいられないと言えば、迅にとって最大の問題があった。それは『何を着ていくか』だった。

 今回は『劇場』と『食事』というフォーマルさと、カジュアルさが混合されている。

 場にそぐわない服装をして行くワケにはいかない。笑われるのは隣りにいる深月なのだから...


 あれこれ考えた挙げ句ダークグレーの上下のスーツに、白いシャツという、いつもの服装になった。

 というのも、ミュージカル前日の夜。

 つまり昨日の夜だが、岳がいきなり家に入ってきて、『明日はこれ来て下さい!!』

 と、言ってきたからだった。

 普段からオシャレには気を遣っている岳の言う事だ。間違いないだろうと考えた。



 迅は袖を少しずらして、時計を見る。

 待ち合わせの場所に到着してから10分も経っていない。緊張でため息が止まらない。

 これは少し落ち着く必要がある。迅は近くにある建物の方へ歩いて行き。壁に寄りかかった。腕を組み、深く長く息をする。努めてリラックスするように辺りを見回した。


 その姿は、まるでモデルの様だった。

 185センチの身長にスラッと伸びた長い手足。白い肌に切れ長の目。スッと通った鼻筋。しっかりセットされた黒い髪。

 シックで落ち着いた、グレーのスーツ。

 道ゆく人々が振り返る美しさだった。実際、深月を待ってる間に何人かの女性に声を掛けられた。いわゆる『逆ナン』だ。


 今も、2人組の女性に話し掛けられている。


「さっきから見てたんですけど、ずっとここに居ますよね?もしかして、お一人ですか?良かったら、一緒に食事でもどうですか?」


 よほど自分に自信があるのだろう。上目遣いで、距離を縮めて寄ってくる。

 実は普段からも、迅の素性を知らずに声を掛けてくる女性は多い。

 迅は時計を見る振りをして、シャツの腕ボタンを外す。女性たちには、その仕草さえセクシーに見える。

 口元に手を当て、喜ぶ女たちにはお構いなしに、迅は袖を少し余計にまくった。すると、前腕に彫られた刺青が露わになる。

 それを見た女たちは、ギョッとして無言で逃げて行った。

 女でも男でも、面倒くさく絡んでくる輩たちを追い払うにはこの方法が手取り早い。


 迅は思った。

 彼女も、深月も、自分の腕を見たら逃げて行くのだろうかと...






「あと、30分か...長いな」


 何度目かの ため息を付いた時。


「すみませんっ!! わたし、待ち合わせの時間間違えちゃいましたか?」


 耳に心地よい、聞き覚えのある声が聞こえた。そこには深月が不安そうな顔で立っていた。

 迅は思わず息を飲んだ。

 そこには今まで迅が見た事のない女性らしい深月の姿があったからだ。

 きっと、この日の為にオシャレをして来てくれたのだろうか。

 自分が、何を着ていこうか迷ったように。


 今日の彼女は、緩くフワッと巻いたまとめ髪に、グレーのロングタイトスカートを履いていた。サイドには、さりげなくスリットが入って大人っぽさを感じる。トップスはVネックの黒のカットソー。


 胸元には、迅があげたブルームーンストーンのネックレスが光っていた。


「ネックレス...してきちゃいました」


 はにかむ彼女の姿が愛おしい。

 そんなサプライズを用意してきてくれた彼女の事を抱きしめたくなる。

 そんな感情をグッと堪えて


「よく、似合ってます」


 と、一言だけ言った。

 それが精一杯だった。

 彼女はホッとした様に笑顔を見せた。それがまた、迅の心をくすぐる。



 ◇ ◇ ◇



 ミュージカルの開場は2時10分からで、開演は3時からだった。

 お互いに早く来過ぎて、時間を持て余した。

 近くのカフェに入って、時間を潰す事にした。


「遅れたら悪いと思って、早くに行ったのに、もう蓮水さんが居るから遅刻したかと思いました」


「いや、オレも、橘花さんが来た2分くらい前に着いたばかりですから、なんかすみません」


 本当は1時間も前から待っていたなどとは言えない。


「あの、そういえば ...そのネックレスの石言葉、調べてみたり....しましたか?」


『ブルームーンストーン 』

 石言葉は『希望』『幸運』『

 自分でも驚くほど、彼女の事が気になっていた。初めはその感情が何なのか自分でも分からなかったが、何気なしにその石の石言葉を見た時に『恋の予感』という言葉がすんなり入ってきて、この事なのか...と思った。


 子どもがする様な告白だった。



 深月の反応が気になる。

 石言葉を理解した上で、この誘いに乗ってくれたなら嬉しい事だが、同時に身の置き場もない程、恥ずかしくもある。


 迅は、深月の言葉をじっと待った。


「あ...それが、すみません、まだなんです。調べようと思ったら、邪魔が入っちゃって、そのまま..」

「あぁ、そうでしたか」

 ホッとした気持ちと裏腹に、自分には興味が無いのだろうか、複雑な気持ちになる。


「えと...今から調べてみても..」

「あぁ、いや。いいんです。実は違う石言葉を見ていて、全く関係なかったんで...」


 深月は少しホッとした表情だった。

「そうなんですか.....」


 これで良かったのかもしれない。

 自分は堅気の人生は歩めない。彼女とこうやって、2人で会うのも、本当に今日で最後になるだろう。




 ◇ ◇ ◇



 開演前10分になったので、2人はカフェを出て、劇場に向かった。

 劇場までは徒歩10分位の所にあるが、道は非常に混んでいた。


「この人たちは皆んなミュージカルに行く人なんでしょうか?」


「凄い人ですね。そうかもしれませんね」


 2人は微妙な距離感を保ちながら歩いていた。

 しかし、人々の波で押されて腕同士がぶつかる。その度に『すみません』『いえ、大丈夫です』の言葉を繰り返していた。

 そして、劇場が近づけば近づくほど、人混みは多くなる。劇場に向かいたいひと。劇場側から来る人で、ごった返す。

 気を抜いたら、人混みに流されそうだ。


「橘花さん、大丈夫ですか?」

 迅はそう言って右隣りを見る。そこにいるはずの深月の姿がなかった。慌てて周りを見ると、迅より少し後ろに慌てて ついて来る深月の姿を見つけた。

 迅は躊躇いもしたが、手を伸ばして深月の手を握った。ひんやりと冷たく、華奢な指だった。

 深月の手を引き寄せ、隣に来させる。

「橘花さん。はぐれると悪いので、オレの袖にでも、捕まっていて下さい」


 意を決して、そんな事を言ってみたはいいが、嫌がられたらどうしようと、内心 不安になった。すると深月は、迅の右腕の内側を軽く握った。


「わたし達、周りから見たら恋人同士にみえますかね?」


 思いがけない深月の言葉に顔が熱くなる。

 迅は、それを悟られないように


「じゃあ、今日は恋人同士っていう設定で」

 と言って、深月を笑わせた。


 半日だけの恋人。

 孤独だと感じていた日々。

 今日だけは、堅気の世界に入っていたい。






 ◇ ◇ ◇




「あ〜すっごい楽しかった〜。蓮水さん誘ってくださって、本当にありがとうございました。これ見なかったら一生後悔するところでした」


 ミュージカルを見終わって、満面の笑みの深月がいた。


「そう言ってもらえて嬉しいです。誘った甲斐がありました。それにしても、魔法を唱えるシーンで、プロジェクションマッピングとは考えますよね」


「あれ、凄かったですね!! 保護呪文のシーンなんて、鳥肌たっちゃって。本当に鳥になるかと思いました」


「あははは、鳥になったら、連れて帰って食べる所でしたよ......あぁ、そういう意味ではなく..」


「ふふ..分かってますよ」


 劇場を出るまでの間、極自然に会話が出来ていた。

 そんな小さな事が迅にとっては嬉しかった。

 しかしそれよりも嬉しかったのは、彼女が自分の腕の部分を、自ら掴んできた事だった。




 劇場を出ると夕方6時すこし前だった。


「お腹減りましたね、ご飯何がいいですか?」


 2人で一台のスマホを覗き込みながら、店探しをしていた。

 この距離感が迅にとっては、くすぐったいが、彼女は何とも思わないのだろうか。

 男慣れしているのだろうか...

 そう思うと、胸に小さく針が刺さったような気がした。


「蓮水さん、ここなんかどうですか?」


 そう言って、深月が迅の顔を見上げる。

 思った以上に2人の距離が近い。深月の顔がポッと赤くなる。慌てて離れて、変にギクシャクしてしまった。


 その時だった。


「あー!迅さんみーっけ!!」


 底抜けに明るい声が聞こえる。

 声の方を見ると、がく奏多かなたが立っていた。

 ふたりとも、ニヤニヤしている。

 見られたくない所を、見られたくない2人に見られてしまった。


「おねぇさん、こんにちわ〜♫」

 いかにも、チャラそうにがくが深月に寄ってきた。

 深月は初め怪訝そうな顔をしていたが、「あっ!!」

 と声をあげて

「手にキスの人っ!!!!」と叫んだ。


「手にキスの人?」


 何を言っているのかサッパリ分からない迅の前で、岳と奏多が慌てふためく。


「な、な、何言ってんすかっ!!! 僕たち、今日初めてお会いしますよねっ!! ねっ!?」


「あああっ!! 迅さんっ、ほらっ!! ハシビロコウが飛んでるっ!!」

 奏多が空を指差して、迅の気を引いている隙に、岳は「しぃ〜〜っ!!」と、深月に口止めをした。

「何言ってんだ、ハシビロコウは空飛べないだろう。そもそも日本に野生はいねぇよ」

「あ、すんません。気のせいでした」

「なんだお前ら、何を企んでる?」

「なんでも無いっすよ。それより迅さん。この美人なお姉さん紹介して下さいよ。もしかして...彼女さん?」

 岳が大きな目で深月の顔を覗き込む。迅は、2人をさり気なく離した。

「違うよ。お前たちには関係ないから、帰れ」

 それでも、岳は諦めない。

「これから何処に行くんですか?」

 迅ではなく、深月を見る。

「あ、えーと、ご飯食べに行こうかなーって....」

「そうなんですか」

 岳の黒くて大きな目が一層輝く。

「おれ、いい店知ってるんですよ。良かったら、ご一緒させて貰ってもいいですか?」

「えぇっと....」

 深月は助けを求めて迅を見た。その視線を受けて迅が言う。

「ダメだ」

「まぁ、そうっすよね。じゃあ迅さん、また後で」


 そう言って、手をヒラヒラとさせて、何処かへ行ってしまった。


「なんだ、アイツら....」


 風の様に現れて、風の様に去って行った。


「えと....あの2人は蓮水さんと、どういうご関係なんですか?」

 深月が聞いてくる。

「そうですね...」

 迅は口元に手を当てて考える

「オレが、拾いました」

「拾った?」

「はい。2人とも家庭に事情があって、ちょっと荒れてたので、オレが拾いました」

「そうなんですか...」

 人間を拾うというワードは堅気の世界にいる深月には不愉快に聞こえるかもしれない。

 しかし、迅のいる世界は決して珍しくないのだった。


「オレも、アニキに拾われて、救われた人間ですから」

「アニキって、久城さんのことですか?」

「そうです。行くあてもない、ボロボロだったオレを、部屋に上げてくれました」

 それだけではない。

「高校も行かせてもらって、大学まで行ったんです」

「そうだったんですか...」

「だから、アイツらを見た時、他人事と思えなくて...」

「助けたんですね」

 深月が、隣で笑っている。

「久城さんも、蓮水さんも優しいんですね」

「どうでしょうか....」


 人を拾った話をしているのに、彼女はどこか嬉しそうな顔をしていた。





 ◇ ◇ ◇




 ディナーはイタリア料理の店にした。

 イタリア料理と言っても値段が手頃で、単品料理が豊富なので、色々頼んでシェアしようという事になった。


 店内は意外と空いていて、待つ事なく入れた。


 

「飲み物は何にしますか?」


 深月が聞いてきたので

「橘花さんと同じので」と答えた。

「わたし、お酒飲めないんですよ。ソフトドリンクになっちゃいますけど...」

 と、申し訳なさそうに言ってきた。

「いいですよ、それでも。じゃあオレは、ジンジャーエールで。名前が迅なんで」

「ふふふ、じゃあわたしも、ジンジャーエールにします」

 2人は微笑みあった。


 料理を頼もうとメニューを見ていると

「あっれ〜!? 偶然ですね。迅さんもここの店に来てたなんて〜」

 と、声がした。

 振り返らなくても分かる。この声はアイツしかいない。がく奏多かなただ。

「はぁぁ、何しに来たんだよお前ら」

「ひどいな迅さん、オレたちもご飯食べに来たんすよ。あ、隣りいいっすか?」

 ダメに決まってんだろ、と言う迅の声も聞かずに、がく奏多かなたは、迅達のテーブルの隣にあったテーブルをくっつける。

「あ、お会計は別にしますんで」

「当たり前だろ」


「へへっ」っと笑った岳が、深月の顔を覗き込んでいる。


—— いったい何を企んでるんだ、岳のやつ...



 彼女と会うのは今日が最後になる。

せめて、この時間だけは、彼女を独り占めしたかったのに——

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