【プロローグ】1,999年7の月、空から

1,999年7月某日の夜、<それ>は東京に飛来した。

その時刻、東京湾岸区域の至る所で、多くの人が夜空を流れる眩いオレンジ色の火球を目撃していた。


その少女も千葉県浦安市にある自宅マンションのベランダから、夜空を流れ行く火球を見上げていた一人だった。


少女の名は蘆田光あしだひかる

近隣の公立小学校に通う3年生だった。


夏休みに入って間もないその日、苦手の算数の宿題と格闘した末に、ようやく母と約束していたノルマを終えた光が、ベッドに潜り込もうとした矢先だった。


突然胸が苦しくなり、こめかみに痛みが走った。

――何か来る!


そんな直感が脳裏を電流のように駆け抜け、続いて漠然とした不安が込み上げて来たので、光は思わず胸の辺りを抑えた。


そういうことは幼い頃から時折あったことだったのだが、彼女が不安を覚えたのは、それが大抵、あまり良くない出来事の前触れだったからだ。


ある時は彼女を可愛がってくれていた祖父の、突然の死の前触れだった。またある時は、親しい友達が学校の雲梯から落ちて、大怪我をしたのだった。


部屋を出た光はリビングを駆け抜けると、東京湾に面したベランダに飛び出した。


「光ちゃん、どうしたの?」

母の驚いた様な声が、彼女の背中を追って来る。


ベランダから夜空を見上げた光の目に、空を覆った分厚い雲間を切り裂くようにして走る、眩いオレンジ色の光が飛び込んで来た。

一瞬それは、稲妻のように見えた。


その日は一日中降ったり止んだりの天気で、関東地方では夜半から翌日の明け方にかけ、強い降りが予想されていたからだ。


しかしそのオレンジ色の光は、やがて雲間から飛び出すと、東京湾へと墜ちて行った。


その一部始終を目で追っていた光は、何故だか急に体中に緊張感が走るのを感じ、知らず知らずのうちに歯を食いしばり、両手を固く握りしめていた。


リビングからベランダに顔を覗かせた母が、

「光ちゃん、どうしたの?大丈夫?」

と声を掛ける。」


すると光の体から力が抜け、代わりに涙が溢れだしてきた。


驚いた母は、

「どうしたの?大丈夫?」

と言って、再度娘を気遣った。


「大丈夫。何でもない」

光は母にそう言うと、涙をぬぐった。


そして、

「大丈夫だよ。もう寝る」

と、なおも心配げな表情の母に言いおき、自分の部屋に駆け込んだ。


そのままベッドに飛び込むと、タオルケットを頭から被る。


――あれは何だったんだろう?ただの流れ星?

――それなのに何で、あんな嫌な気持ちになったんだろう?


光はベッドの中で考え込んだが、答えは出て来ない。

してや、それから17年の歳月を経た後、自分がその夜に目撃した物体と直接向き合うことになるとは、9歳の少女に予測出来るはずもなかった。

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