第3話 背負うことを

 落ちていくの光を浴びて、宿世渡の刃が赤く染まった月のように輝く。静まり返った境内けいだいに空っぽの風が吹き抜けて、断ち切られた書き付けを天高くさらっていった。残されたのは、陶然とうぜんとした微笑を浮かべるまがい物の私と、目を見開いて立ち尽くす弓丸だけ。


「……お、お前、は……っ!」


 戦いの場において、武器を手放すことは何より避けられるはずの行為――しかし、カァン、と耳を引き裂くような金属音を立てて、弓丸の太刀たちが石畳の上に転がった。弓丸は、それ以上声にならない言葉を飲み込み、は、と息を吐き出して瞳孔を収縮させる。


「あ……! ぐ、ぅ……っ!」


 端正な顔を歪め、彼は石畳の上に倒れ込んだ。脚が、腕が、肩が、まるでテープを引き伸ばすかのように成長して――みるみるうちに、その体は十五歳ほどのものへと変わっていく。丸みの取れた輪郭、すっと筆で墨を引いたような目元、倍ほどに伸びた髪。奇しくも、あの夢で見た弓丸と全く同じ姿だった。

 服の水色は深みのある青に変化し、転がっている太刀も体格に合った大きさへと引き伸ばされる。弓丸は震える手を握り込み、少し低くなった声で叫んだ。


「説明、しろ……どういうことだ、まがひめ……っ!」


 肘を立て、やっとのことで身を起こしたものの、そのこめかみには幾筋いくすじも汗が伝っている。彼女はもう片方の手で弓丸の太刀を拾い上げ、その切っ先を首元へと突きつけた。


「失っていた"時"を記憶と共に取り戻したのよ。それが、今のあなたの本来の姿。封印されていなければ、あなたはそれくらいまで成長しているはずだったってこと」


 鮮やかな血の色に染まっていたはずの袖は、泥のように濁った赤へと変色している。弓丸は静かに目を閉じ、それからそっと太刀の切っ先を見つめて、ぼそりと口を開いた。


「……なるほどな。封印が完全に解けて、やっと思い出すことができた。お前は、芳帖を滅ぼしたいなら僕を利用すればいいと言って、早我見の者たちをたらし込んだんだ」


 ぎゅうっと、胸の中の空気が詰まる。何もしなくても分かるくらいに、心臓が激しく鼓動を打つ。それは、私が嘘だと信じたかったこと。そしてきっと、彼が背負いかねた記憶。


「早我見の伯父上おじうえは、お前の口車に乗せられた。僕を操れる力が欲しくないかとでも言って、化生を宿らせたんだろう」

「ええ、ご想像の通りよ。あげたのは〈傀儡かいらい邪茸じゃたけ〉。対象に〈胞子〉を植え付けることで、相手を意のままに操ることができるっていう代物しろもの……〈胞子〉の効果は三十分だけど、芳帖の者を狩り尽くすには十分すぎる時間だったようね」

「……ああ。経緯は何であれ、芳帖の者たちを手にかけたのは僕だった。僕が、皆を殺した」


 いつの間にか日は沈み、背中をぞくりとなぞるような薄ら寒さが広がっていた。私の体を借りる彼女は、差し向けた太刀で弓丸の喉を軽く撫でる。薄く皮膚が裂け、赤い線がひと筋走った。


「三代に渡る信頼関係なんて、私が完膚かんぷなきまでに否定したわ。芳帖ほうじょう盟友めいゆうだった早我見も、私が少しばかり嘘と疑いを吹き込めば、奥底にあった"恐れ"を思い出した。うかうかしてると、芳帖ほうじょうに喰われてしまうかも、ってね」

「……藍果にやったことも同じか」


 肌をがれるような、敵意に染まった鋭い視線。厳しい表情を崩さぬまま、彼は弓矢を出して手に持った。だが、片手だけでは矢をつがえることはできない。それを分かっているからか、彼女も切っ先を動かさない。


「まあね。早我見の血をぐあの子なら、宿世渡は必ず憑く。私自身が他人の体を乗っ取るには、そういう依代よりしろになるものが必要だったし――封印を解けるのは、早我見の血を継ぐあの子だけだったもの。あの子の行動を緻密に調べ上げて、要所要所に石を置いて誘導して。手間はかかったけれど、おかげでここまで連れてきてもらえたわ」


 彼女の言葉……その魂胆こんたんを知るほどに、怒りがふつふつと湧き上がる。


 歩道橋に立っていた弓丸。

 ヤドリ蔦にさらわれた瀬名。

 ドクロ蜘蛛に侵されたアヤ。

 そして、その化生に体を明け渡した男と、身も心も捧げた母親。


 誰か一人でも無視していれば、こんなところにはたどり着かずに済んだ。でも、美命のことを引きずる私には、それができなかった。できるはずがない。禍ツ姫は、それを分かった上で利用したのだ。


「さあ、あなたの罪、トラウマ、業――考えうる限り最悪な思い出し方をさせてあげたのよ。さっさと絶望して、その矢でまた〈わざわい〉を起こしなさい」


 再び境内に落ちる沈黙。宵闇よいやみが押し寄せるこの場所で、落とし矢のやじりが静かにまたたく。

 つ、とそのふちを指先でなぞって、彼はそっと口を開いた。


「僕はあのとき、こんな記憶を抱えて生きていくなんて、とてもできない、と思った。だから、この矢でのどいて、死んでしまおうとしたんだ」


 手の中で矢をもてあそびながら、弓丸は答える。ヤドリ蔦の実に見せられたあの悪夢は、まだ記憶に新しい。


「けれど、僕は死ねなかった。それどころか、〈わざわい〉なんてものが起きて、この土地の半分が濁流に沈んだ。その後に、早我見の生き残りが僕を封印したんだと思う。せめてもの後始末としてね」


 喉を貫いた痛み。鉄の匂いに溺れる呼吸。妙に鮮明に映った、赤い水溜まりに浮く野花のばな——あれは、やはり本当に弓丸が体験したことだったのだろう。


「封印の力が緩んで目が覚めてからも、この記憶だけは封じられたままだった。まるで僕を守るように、あの忌まわしい悪夢をおぼろげな夢のままにしてくれていたんだ。それをこうして解放すれば、同じものが見られると思ったんだな」

「ええ。私が欲しいのは、信頼ゆえの破滅。関係の破綻はたん。裏切り、傷つけ合い、共につぶれるさまを見たくて仕方がないのよ」


 彼女は、私の体で、私の声で、平気な顔をしてそんなことを言う。自分の心と体を引き裂かれるような痛みで、頭の中がいっぱいになる。彼女の願いは、望むものは、私が求めることと正反対のものだ。今すぐにでも、その口をふさいで黙らせたい。その手を蹴っ飛ばして、刀から手を離させたい。でも、指の先一本すら、自分の意思で動かすことは叶わない。


 あぁ、あの用水路の場所で、禍ツ姫のことをほんの少しでも信じてみようとしたから。彼女のことを疑いきれず、宿世渡の刃をさらしたりなんかしたせいで。


 唇を噛むことすらできない、何をしようとしても手詰てづまりの状況。今さらどれだけ後悔しても、時が返ることはない。

 もしも、弓丸が最悪の選択肢を取ってしまったら。そんな想像を断ち切ったのは、弓丸自身の言葉だった。


「失望しろ。お前の願いは叶わない」

「叶わない? どうしてかしら」

「……見てきたはずだ」


 弓丸の手にある武器は弓矢だけ。弓矢は遠距離なら強大な力を発揮するが、この近距離ではあまり意味がない。弓に矢をつがえるだけでもかなり場所をとってしまうし、間合いの内側に入られてしまえば身を守ることができない。予備動作にかかる時間も多いし、両手が使えないならなおさらだ。


「六年前につかめなかった手を、ずっと胸に抱いて生きている者がいるだろう。目を背けることもなく、信じることもやめずに、今も他者と向き合い続けている。本当は、さっさと忘れてしまった方が楽なはずなんだ。それでも彼女は、決して捨てない」

 

 弓丸は、まだ矢をつがえようとはしない。肘をついて、半身だけ起こした状態で、私のことを見すえている。


「僕だってやってみせるさ。もう二度と、背負うことをこばまない。皮肉だったな……藍果に出会わせてくれたおかげで、進む勇気を手に入れたんだ」


 瞬間、何かひやっとした冷たいものが目の前を覆った。当然視界は真っ暗になり、今度はふっと体が浮く。

 足払い!

 そうだ、弓丸の体は、成長したことによってリーチが伸びている。どんな方法でもいい、一瞬さえ隙を作り出せればことはたやすい。なんとか受け身を取ったとしても、思いっきり背中を打てば反応は遅れる。間髪かんはつをいれず、弓丸が体の上に馬乗りになった。


「くっ、何を……っ」


 目の前に張り付いたものを、爪を立てて引きはがす。その正体を目にした瞬間、さすがの彼女も固まった。

 それは——「手」。手首から先がない、さっき宿世渡で斬り落としたはずの、弓丸の右手。そういえば、ヤドリ蔦の切れ端だって、弓丸の血を垂らせば動かすことができた。いわんや自分の右手なら!

 視線を彼に戻せば、優位なはずの形勢とは裏腹に、今にも泣き出しそうな顔をしていた。ギリ、と奥歯を強く噛み締め、揺れる瞳に膜を張って。


「それなのに、すまない。思いつく方法が、これしかなかった」


 あふれて、落ちる。その手に握った矢の先を、私の首へと振り下ろした。



***

あとがき:https://kakuyomu.jp/users/toura_minamo/news/822139840029458497

 

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