第18話 ドクロ蜘蛛の傷痕
落ちていく。
それはほんの数秒にも、何時間かのようにも感じた。屋上から見つめたあの子の体のように、赤く、
「きゃぁあぁ……っ!?」
しかし、
「な……に……?」
おそるおそる目を開ける。薄暗い、ホールのような広い室内。その空間をきらきらと走る、無数の細い糸。それは、あの〈音楽室〉で見た光景とよく似ていて。
「ひっ……!」
足元に床は無かった。目を
「なっ、何なんだよこれ!? どこだよここ、こんな、マジふざけんなくっそ……!」
もがいて逃れようとするが、足元の状況に気づくとハッとして動きを止める。
「サッ、サガミン……」
「……う、ん。あの、あんまり動かない方が、いいかも」
私たちの体を空中に
「〈体育館〉」
「よく来たわね」
その女性はゆっくりと振り向いて、
似ている、気がする。本に視線を落としながら、たまにクスリと笑っていたあの子の横顔が、なぜか彼女に重なって見える。心臓はせわしなく脈を打って、
「あの、あなたは……」
意を決して声をかければ、彼女はニイィッと口の端を
「私は
***
「美命の、お母さん……」
私は、その事実を飲み下すように呟いた。勘違いではなく、やはり彼女と美命には血のつながりがあった。それも親子、似ているはずだ。
「この〈学校〉は、私の強い願いによって生まれた場所。元々すでに存在していた〈学校の怪談〉の力も借りて、少しずつ美命のお友達——あの五年一組にいた子たちと先生たちを連れてきたの」
「それってあの、ここに来る直前に急に出てきたでっけぇ鏡のことか?」
「ええ。怪談の踊り場にある大きな鏡の前で、夜の四時四十四分に自分の姿を映すと異世界に吸い込まれる……そんな内容の怪談、どこかで聞いたことがないかしら。私の力だけで何十人も人を呼ぶのは大変だから、そういう力も借りたのよ」
〈甘味処あずさ〉で見た、あの大きな鏡を思い出す。稀瑠の言葉から察するに、稀瑠自身もそうやって連れて来られてきたらしい。
「高梨稀瑠ちゃん……で、合ってるわよね。美命の日記でよく見た名前だわ。ずいぶん大きくなって、花の女子高生を
「何か言い分は? 稀瑠ちゃん」
「……あー」
稀瑠は、なかなか言葉が見つからないといった様子で視線をうろうろと動かし、しばらくの
「あたしが——悪かったんだ」
「……
一回。二回。私は
「あたしだけが悪いわけじゃないって気持ちは、正直言って今もあるんだ。けど、あたしが始めなければ、あいつは好き勝手に自分の時間を過ごして、あの学校を卒業できたはずだった」
いつの間にか
「サガミンにあーだこーだ言われて、最初はなんだこいつうぜーって思ったよ。これが六年前だったら、あたしはサガミンにも
私の言うことなんて、きっとほとんどが右から左に流れていってしまっているだろうと思っていたが、そういうわけでもなかったらしい。聞いていないようで、本当はちゃんと聞こえていたのだ。
「昔から、ずっと怖かったんだ。自分が悪いって認めたら、ママと同じようにボコボコにされる。どうやれば他人を好き勝手にできるのかは、パパから教えられたみたいなもんだ。ママはどんどんおかしくなって、いつの間にかいなくなった。あたしは、あたしを守るために、こんなふうなんだ」
それを聞いて、私はショックで固まった。なんとなく、本当にうっすらとした予感はあったけれど、まさかそこまでの状況だとは思わなかった。
見えない。聞こえない。だから、誰が傷つこうが知らずにいられる。それはきっと、稀瑠自身に対しても、ずっと前からそうなのだろう。
「それに、あたしはサガミンに借りを作っちまった。あたしにとって長い間グニャグニャだったものが、サガミンにとっては本気のことなんだって分かった。だから、サガミンの思いにだって
「ふうん……それで?」
先を急かす
「
私は、
胸に広がる温かな気持ちと、腹の底で絶え間なくくすぶる「もしも、もっと早くに」という思い。今だからこそ
ガシャン、と
「あの子と私のために、謝ってくれてありがとう。そう言ってくれると、これだけ色々手を尽くした甲斐があったわ。稀瑠ちゃん……あなた、案外素直で分かる子なのね」
「え? あぁいや、それほどでもっていうか……」
「いくら加害者といっても、それは確かに過去のこと。もう取り戻せない一人の命より、二十三人の未来の方が、圧倒的に優先される……それは、六年前、先生たちからも聞いた言葉よ」
「……先生が、そう言ったんですか」
どうしても我慢できずに、気づけば私は聞き返していた。すんなりと信じることはできなかった。私たちを
「ええ。きっと、理屈ではそれが正しいんでしょうね。でも、私はその言葉を吐いた上で、なお〈先生〉でいようとする彼らが許せなかった。だから私は、先生たちを
「
「肉も骨も、この体の一部になったわ。私をどうしようと、もう取り返すことはできない。それでも私を倒したいなら、好きにすればいい。
それ以上、私は何かを言うことができなかった。稀瑠は、目を見開いて絶句していた。律乃さんは、髪を留めていたヘアクリップを乱暴に外して、暗闇の底へと投げ捨てる。傷んだ長髪がバサリと広がって、腰の辺りでゆらゆらと揺れた。
「私は、あなたのことを許さない。せめて私だけは、美命の死に関わった全員を絶対に許さない。あの子が生きたということを、あなたたちの死をもって証明する。それが、あの子への
律乃さんが柵の上から身を投げた。自分の
瞬間、腰の翼がバッと開いて
指先が震えて、私は声も出せずにガチガチと歯を鳴らす。こんなの、自分に倒せるわけがない。
[私は、今からお前たちを殺す〈ドクロ蜘蛛〉。罪には、罪を]
律乃さん——いや、〈ドクロ
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