第八話 甘い日々には

 窓から日の差す放課後の講義室。神無の女子軽音部・ココアシガレッズ(略称・ココシガ)は、練習の準備をしていた。今はベースの「キャンディ」こと雨宮と、ドラムの「ミルク」こと牛沢が、ギターボーカルの「シュガー」こと佐藤を待っているところだ。遅いので心配していると、廊下からコツコツという音が聞こえてきて、シュガーが松葉杖をつきながら部屋に入ってきた。

「シュガー⁉ それ、どうしたの⁉」

「昨日、チャリ漕いでたら、思いっきり転んじゃった。全治一か月だってさ」

「一か月って、それじゃ文化祭ライブ出れないんじゃないの⁉」

「今回は諦めるしかないけど、ここまで頑張ってくれたアメちゃんとウシちゃんに悪いから、私の部分は代理を立てようと思ってる」

 そう言いながら、キャンディとミルクにスマホの画面を見せるシュガー。画面にはココシガのSNSアカウントが映っていて、そこにはライブのギターボーカル代理を募集する旨の文章が書かれていた。

「ここにも書いたけど、ただ担当してもらうだけじゃ悪いから、立候補してくれた子には、その子の好きな曲を一曲、なんでも歌っていい権利をつけてみた。いいでしょ?」

 怪我人とは思えないくらい、明るい声色のシュガー。よくも悪くも楽観的すぎる彼女に、ふたりは大きなため息をついた。


 朝の電車、月都は座席の埋まった三車両目でつり革を握っていた。大学が前期の頃の月都は、努力もせずに美咲との甘い学園生活を望んでいた。しかし、さっき月都が駅で飲んだコーラのように、甘い飲み物には、相応の砂糖が入っている。もし月都が幸せな日々を望むなら、受け身で過ごすのではなく、こちらから手を引いていく必要がある。

 思い出すのは展覧会の帰りの、美咲のカミングアウト。まさか身近な人が余命宣告を受けているとは思わなかったし、そんな彼女が辛さを表面に出すことなく、周りの人と同様に生活していることに衝撃を受けた。続けて思い返すのは、遊園地での失敗。自分よりもずっと大きな不安を抱えている美咲に、月都は稚拙な態度をとってしまった。さらに、皮肉なことに月都にとっての通過点は、美咲にとっての終着点だった。

「私を人付き合いの練習台にしてほしいな」

 美咲の言葉が脳裏をよぎる。どうしてこんなにフェアになれないんだよ! 月都がつり革を強く握りしめたとき、車内アナウンスとともにドアが開き、紺色キャップにウルフカットの女学生が入ってきた。

「おはよう。しばらく自転車通学してたけど、月都を信頼できると思ったから、今日から電車に戻したの。入院することになったら、この満員電車も懐かしく感じると思ってさ」

「そんな寂しいこと言うなよ。美咲の病気は絶対治る……なんて無責任で、俺には言えないけど、美咲の残りの人生が一番幸せなものになるように、精一杯手助けするよ」

 月都の言葉に、美咲は「ありがとう」と微笑んだ。大学の最寄り駅で電車を降りる。ホームを歩いているとき、美咲は「そう言えば」と、月都にスマホを見せた。

「ココシガのギタボが怪我したから、代わりに文化祭ライブに出てくれる人を探してるんだって。私はギター下手だから、ひばりにエレキをお願いして、ふたりで立候補するの」

「いいじゃん。DM送ってみれば?」

「大学に着いたらね。ココシガのギタボは私と家近くて仲もいいの」

 美咲は楽しそうに語りながら、スマホをポケットにしまった。

 その日の放課後、月都は美咲と朱村さんと三人で、軽音部が活動している講義室に向かった。松葉杖姿のシュガーを見つけるや否や、美咲は「佐藤、大丈夫?」と駆け寄った。

「心配ありがとう。ところで、今、蒼谷の家の裏で、工場建てる工事やってるだろ? あそこの騒音、デカすぎるから、蒼谷、全然眠れてないんじゃないかと思って心配だったよ」

「確かに、あの工事は迷惑だけど、私はそんなことより佐藤の怪我のほうが心配だよ」

「一か月で治るから大丈夫。さて、話が脱線したけど、朱村さんがギターを、蒼谷がボーカルを担当したいので合ってるね?」

「そうだよ、これから練習よろしくね。自分で言うのもだけど、私はカバーに慣れてるし、ココシガ曲を弾くことには問題ないよ。あと、こちらからのお願いで、各楽器のデータ渡すから、創作サークルの『春の遺言』を、ふたりに演奏してほしいんだ」

 慣れた様子で話す朱村さん。シュガーは「交渉成立だな」とガッツポーズした。

 翌日から美咲たちは、毎日、軽音部に通って猛練習した。月都も付き添って、演奏を撮影したり飲み物を準備したりした。ふたりとも上達速度が著しく、ライブまでわずかなのに、凄いスピードで完成度を上げていった。


 ライブ前日の放課後。美咲は今の適度な緊張感を保ちたいらしく、リハーサルが終わると、早めに講義室を去った。月都は部屋に残り、ココシガの片付けを手伝った。

「そう言えば、虎山はいつもサポートしてくれるけど、蒼谷とはどういう関係なんだ?」

 楽譜を整理していると、シュガーが話し掛けてきた。ミルクも便乗するように「知りたい!」と食いつく。

「昔は恋愛感情だったけど、今は友達だよ」

「そうなんだ。好きだった時期があるのなら、試しに告白してみてもいいのに。もしかすると案外、本当に付き合えるかもよ?」

「違うんだ……というのも、美咲はああ見えて事情があって。うーん、これは本人がいないところで言っていいのかわからないけど」

 月都の真剣な声に、ココシガの三人も真面目な表情になる。「いいよ。蒼谷の親友の私が責任取る」というシュガーの声に、月都は美咲の病気と余命のことを話した。

「……なるほど。そんな事情があったのか。うまく言葉にできない気持ちになったよ」

「俺も知ったばかりの頃はそうだった。でも、美咲が大学で薬を飲む姿を見るたびに、本当に深刻な病気を持っていて、今の日常も当たり前じゃないんだと実感するよ」

 すると、普段は口数の少ないキャンディが、ふと思い出したかのように話し始めた。

「これはココシガが結成するまでの話。ココシガのメンバー三人は、実は同じ高校出身だけど、高校時代、関わることがなくて、大学生になって初めて、お互い楽器をしてるのに気付いてバンドを組んだんだ。何が言いたいかというと、虎山くんたちみたいに、出会ってすぐに意気投合できるのは運命だし、もっと自信を持っていいと思う。虎山くんの葛藤は蒼谷さんに伝わっているし、理解した上で関わってくれてると思うよ。恋愛に限らずだけど、信頼できる人の近くにいれるのは、恵まれていることだからね」

 キャンディの話に他のふたりが微笑む。シュガーは「そういうことで明日はよろしくな!」と月都の肩を叩いた。


 文化祭当日。ココシガのライブ直前、ひばりたちは屋外に設置された舞台の、裏側にある控室で喋っていた。今日はよく晴れたおかげで、屋台は多くの学生と外部のお客さんで賑わっていた。コロナのせいで高校時代の学校行事が全て潰れてしまったため、今日はひばりたちにとって、人生初の文化祭になる。

 舞台発表のアナウンスがココシガの名前を告げる。四人は舞台に上がり、それぞれの定位置に着いた。

「今日はギターボーカルのシュガーの怪我により、代わりに私・蒼谷美咲と、ギターの朱村ひばりが参加します。よろしくね!」

 美咲が挨拶を終えると、ミルクがハイハットでリズムを取り始めた。四人は演奏の体制に移って、一曲目のイントロを弾き始めた。

 それから初めの二曲は何事もなく終わったが、問題は三曲目の途中に起こった。ひばりがギターを弾いていると、間奏に入ったとき、唐突に美咲がマイクを手放した。

「ひばり! 危ない!」

 ひばりに抱き着くようにして、ぶつかってくる美咲。次の瞬間、さっきまでひばりのいた場所に、ライブ設備の大きな照明器具が落ちてきた。突然のアクシデントにざわめく会場。司会と近くにいたスタッフの先生が話し合った結果、一旦、会場の設備を整える休憩に入って、安全を確保でき次第、ココシガのライブを再開することになった。

 キャンディとミルクは休憩中に、お手洗いに行くらしく、ひばりと美咲だけが舞台裏の控室に残った。ひばりは今更になって、自分の手足が震えているのに気付いた。

「鳥肌、凄いけど大丈夫?」

「平気だよ。それより、さっきは助けてくれてありがとう。あんなのが頭に当たったら、大怪我どころじゃ済まないよね」

「……本当だよ。ひばりが無事でよかった」

 震えているのは美咲の声も同じだった。いや、声の震えだけで収まらず、美咲の両目からは大粒の涙が溢れ出てきた。

「本当に何もなくてよかった……私、ひばりが死んじゃうかもって思って。もしひばりに何かあったらと、考えるだけで怖くて……」

 ひばりは美咲の腕を引いて抱き寄せ、彼女の頬にキスをした。驚く美咲をなだめるように、優しい声で話す。

「私、美咲のことが好き。私のこと、こんなに大切に考えてくれる人は、なかなかいないと思ってさ。お泊りのときの約束通り、文化祭が終わるまでに返事をしたよ」

「ありがとう。これからは恋人同士だね」

 ひばりはもう一度、美咲にキスをしようとしたが、後ろで物音がして、慌てて彼女から身体を離した。

「お疲れ様。朱村さん、そろそろ点検が終わって、ライブ再開できそうだよ」

「わかった。じゃあ、私も外に出ようかな?」

 すると、美咲が「待って」とひばりを呼び止めた。その手には数枚の紙の入ったクリアファイルが握られていた。

「私の大切なもの。判断はひばりに任せるけど、ここぞというときが来たら読んでみて?」

 ミルクが「出番だよ」と声を掛けてくる。ひばりたちは服装を整え、屋外の舞台へ出た。

 それから四人はライブ後半の楽曲を演奏した。美咲は自分の役割にプライドがあるらしく、さっきまで泣いていたのを感じさせない、芯のある歌声で会場を沸かせた。そして、ライブは今度こそ順調に進み、最後の曲になった。美咲は真面目な声でMCをした。

「次がラストです。この瞬間は一度きりで、大切な人との別れは、いつ来るかわかりません。だからこそ、今という時間の大切さを忘れずに、ただ生きるだけじゃなくて、生活の『活』の部分も大切にしてほしいです。聴いてください、『春の遺言』」

 美咲のMCが終わり、演奏が始まる。美咲はこれまでのどの曲よりも、魂を込めて『春の遺言』を歌い上げた。ひばりも負けじと、予定になかったギターのアレンジを加えた。

 こうして『春の遺言』の演奏は大成功に終わった。一緒に演奏してくれたキャンディとミルクとハイタッチし、美咲ともしようとしたとき、ひばりは異変に気付いた。

 美咲がぐったりとマイクの下で座り込んでいる。周りの人が「大丈夫か?」と口々に話す。そのとき、人いきれを割くように虎山くんがやってきた。虎山くんは何度も美咲に声を掛けたが、反応がない。彼は「救急車、呼ばせてください!」とスマホを出した。

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