74.浮沈艦、湯けむりに散る①

 ユーリが秘奥義を極めた翌日――というより、その日の朝。

 白蓮の口から「盗賊団の居場所が分かるかもしれない」という言葉を聞いた一行は、慌ただしくレーベルク男爵領へ戻ってきていた。


 だが、会議室から追い出されたユーリは、ひとり露天風呂に沈んでいる。

 湯気に包まれた空気の中、力が抜けた声がぽつりと漏れた。


「……僕はもうダメかもしれない」


「それ前にも言ってたニャ~」


 桶に浮かびながら毛繕いしていた黒猫――契約星霊のコクヨウが、顔を上げもせずにのんびり返す。


「いやいや、そうなんだけど、もうちょっと、聞いてくれても良くない?」


「面倒な匂いしかしないから嫌ニャ」


「イケず!! コクヨウさんのイケず!!」


 そんな漫才をしているところに、背後から水音とともにしなやかな気配が近づいてくる。


「私がお伺いしましょうか、旦那様?」


「ふえっ?」


 振り返れば――白いタオルを身に巻いた二人の影。


 しっとり濡れた金髪をタオルで押さえながら、リーゼロッテが一歩、湯船へと足を踏み入れる。

 そのタオルは危ういほど短く、滑らかな太ももが露わになっている。

 湯気の向こうで、琥珀色の瞳が恥じらいならが微笑みを浮かべていた。


 その隣には、白蓮。

 金糸のように輝く長い髪を背に流し、しとやかに湯気の中を歩んでいた。

 頭上の 狐耳 がぴくりと揺れるたび、滴る雫が首筋を滑り、月光のように白い肌を艶やかに濡らす。


 布地の隙間から覗く肩、くびれ、そして豊満な双丘――

 ほんの少し動くだけで柔らかな起伏が揺れ、湯気に混じって甘い香りが鼻腔を満たす。


「……なんじゃ。散々舐めまわしておったというのに、まだ足りぬのか?」


「し、白蓮さーんっ!!」


「……旦那様。どういうことでしょう? 私たちが必死で頑張っていた時に、旦那様は一体何を頑張っていらしたのかしら」


 リーゼロッテはそう言いながら、湯へと身を沈め、するりとユーリの隣に腰を下ろした。

 その瞬間、ふわりと鼻先をくすぐる甘い香り。


(……あぁ、この匂い。久しぶりだ……)


 花々を思わせる清らかさの奥に、何度も肌を重ねた記憶を呼び起こす艶やかな香り。

 それが湯気と混じり合い、全身をくすぐるように広がっていく。


(やばい……落ち着け、俺……! ただ隣にいるだけで、こんなに……)


 隣にいるだけで胸の奥をかき乱される――

 久しぶりに嗅いだリーゼロッテの匂いは、親しさの奥に潜む女の色香を容赦なく突きつけてきた。


「ニャ~……さっきまで沈んでたのに、もう元気になったニャ?」


 桶の上から冷ややかに投げられたコクヨウの声に、ユーリは思わずむせそうになる。


 白蓮は苦笑しつつ、胸元のタオルをそっと押さえながら湯縁へと歩み寄った。

 腰から広がる九つの尾が、黄金の絹糸を束ねたようにきらめき、湯気の帳を優雅に押し分けていく。

 そのまま水面を揺らし、静かに湯へと身を沈めた。


「……ふふ。妾も驚いたぞ、旦那様」


 湯の温もりに頬を染めながら、白蓮が細い指で髪をかき上げる。


「つい先ほどまで、あれほど重ねておったのに……まだ元気になるとは。どれほど底なしなのじゃ?」


 そう囁いてから、白蓮はコクヨウへと視線を移し、ゆるやかに目を細めた。


「……まさか、星霊様と湯を共にできる日が来ようとは、夢にも思わなんだの」


 隣で湯に浸かっていたリーゼロッテが、小首をかしげて口を開いた。


「そう言えば……白蓮様は“星の巫女”でいらっしゃるのですよね。

 今までに、星霊様とお会いになったことはあるのですか?」


 白蓮は一瞬、湯面に視線を落とし、やがて静かに答えた。


「この世界に留まっておられる上位の星霊様は……妾の知る限り、コクヨウ様、一柱のみ。

 そもそも人の身でありながら上位星霊様と契約を結ぶなど、あり得ぬ話じゃ。……旦那様、そなたは本当に“人”なのか?」


 白蓮の静かな問いに、湯気の中でユーリの肩がびくりと跳ねた。


「え、えっと……ち、違うよ! いや、違わないっていうか……僕は普通の人間で――」


 慌てて否定しようとするが、言葉が絡まり、うまく口にできない。

 その隣で、桶に乗ったコクヨウが金色の瞳を細め、のんびりと告げる。


「主はもう人じゃないニャ。ユリエーロ神……ってやつニャ。

 人を越えてるのは、とっくの昔の話ニャ」


「こ、コクヨウさーーんっ!!」


 ユーリが慌てて湯をばしゃりと跳ね散らす。

 その横で、白蓮は黄金の尾をふわりと揺らし、涼しげに目を細めた。


「ふむ……何やら卑猥な星霊神じゃの」


「も、もう! その話はここまで! ……で、ロッテ。探し人は見つかったの?」


 リーゼロッテは湯面に視線を落とし、少し真剣な口調で言葉を継いだ。


「――白蓮様の星詠みによって、盗賊団の居場所が判明しましたわ。

 今、お母様たちは騎士団と共に、ハルト殿救出の作戦を練っておられます」


 リーゼロッテの報告に、ユーリは小さく頷いた。


「そっか……親方の妹さんを助けてくれた人だよね?」


「えぇ。元々は肉屋ギルドで、ヴォルフ殿の部下だったのですよ」


「そうなんだ……でも、セリア、大丈夫かな」


 ふと漏らした不安に、リーゼロッテが首をかしげる。


「大丈夫とは?」


「いや、だって……盗賊団討伐に行くんでしょ?」


「……旦那様」


 呆れを隠せない声音で、リーゼロッテはじっと彼を見つめた。


「お母様は領主でいらっしゃいます。自ら出陣なさるわけないでしょう。騎士団を向かわせるだけですわ」


「えっ……あ、そっか。完全に忘れてた……」


 気まずそうに頭をかくユーリに、リーゼロッテは深々とため息を落とす。


「……本当に、旦那様という方は」


 だが次の瞬間、その瞳に影が差した。


「いずれにせよ、問題は騎士団ですわ。

 また“うち漏らし”でもしたら……次はどんなお仕置きをして差し上げればよろしいのでしょうね」


 楚々とした笑みを浮かべながらも、言葉の端には黒い響きが混じる。

 その変わりように、ユーリは思わず背筋を伸ばした。



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【あとがき】

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