60.大王太后陛下ヴィクトリアとの密会④

「え……これが下着?」


 ぽつりと、ルクレティアの声が漏れた瞬間――

 オフィーリアが、静かに微笑みながら言葉を添えた。


「ええ。正確には、レーベルク男爵領で開発中の“絹製ランジェリー”でございますわ。

 旦那様がご監修されておりますの」


(監修!? 女性ものの下着を!? この若造が!?)


(なんじゃその肩書きッ! 女男爵夫・華楼小領公・ドラゴンスレイヤー・そして……“パンツ監修責任者”だと!?)


 唸る寸前のガストンをよそに、オフィーリアが続ける。


「こちらがパンティ。お股に履くドロワーズのようなもので、

 こちらがブラザー。お胸を豊かに支える、簡易なコルセットのようなものですわ」


(ぶっ……ブラザー!?)


(なんで“兄弟”みたいな響きなんじゃ!! 聞いてるだけで混乱するわい!)


(しかも今、その“兄弟パンツセット”が机の上でお行儀よく並べられとる……!)


 ガストンは思わず胃のあたりを押さえた。

 そこへ、まさかの追い打ちが入る。


「リア、ブラザーじゃないよ。それだと、兄弟になるじゃん。”ジャー”、ブラジャーだよ」


 さらりと、悪びれもなくユーリが訂正する。


(そういう問題じゃなああああい!!)


(“兄弟”かどうかなんぞ、どうでもええんじゃ!! 儂の心臓がもたんのだ!!)


「これを平民にも販売したいのです。みんなにも試着してもらっていてすごく好評で、

 可愛いから、きっと女神もお目こぼししてくれると思うんですよ」


(まさか……!)


(まさか、“下着が可愛いから”という理由で、贅沢禁止法を突破するつもりかこの若造!!)


「……確かに、可愛いですわね」


 静かに、ヴィクトリア大王太后陛下が言った。


 まじまじと、レースの縁取りを見つめながら、

 まるで芸術品を鑑賞するかのように、慎重に指先で縫い目をなぞる。


 その隣では、ルクレティアが膝を組み直しながら、興味深そうにブラジャーを手に取る。


「可愛いだけじゃない……この造り、相当しっかりしているわ。

 バストの下側が二重になっていて、支えるように裁縫されてる。重ね着でも形が崩れないわけね」


 ルクレティアの問いに、オフィーリアは静かにうなずいた。

 指先で軽くブラジャーの縁をなぞるように触れ、その手つきには、品のある慎重さと――実感がこもっている。


「はい。布地はシルクに、少量の特殊な魔獣の繊維を混ぜたものでして……」


 言いながら、オフィーリアはほんの少し笑みを浮かべる。


「身体の熱で自然に馴染み、体温や汗によって“着る人に合わせて伸縮”いたします」


 その声音には、どこか“誇らしさ”が滲んでいた。

 自らも何度も袖を通した者だからこそ語れる、確かな手応え。


「締めつけ感はなく、それでいて“支えられている”という安心感がありますわ」


 そう語る口元は、落ち着いていて――けれど、どこか柔らかい。


「立ち上がったり、腰を下ろしたり、日常動作でもズレにくく、

 長時間着用しても痒くならないよう、裏地の縫製も工夫されておりますの」


 そして、すっと視線を布に落とし、少しだけ目を細める。


「……わたくしも、何度か着用しておりますが――」


 一瞬、言葉を切り、思い出すように瞼を伏せる。


「“身にまとう幸せ”とは、まさにこのこと……そう思えるほどに、心地よいのです」


(……わ、儂はいったい何を聞かされておるのじゃ?)


(パンティの装着感じゃよな、今の全部……! それをあの麗人が、まるで香水の品評みたいに――)


(しかも、なんでこの若造は、こんなにニコニコしとるんだ!!)


(どんだけ鋼の心をもっておるんだ、この男……! 恥じらいのカケラもないんか!?)


「……着たくなるわね」


 ルクレティアが、さらりとした声で呟く。

 けれど、その言葉に込められた真剣さは、冗談や社交辞令ではなかった。


 膝を組み直し、レースに包まれた薄布を指で持ち上げる。

 光の加減で透ける生地の向こう、まぶたを伏せたルクレティアの横顔は、妙に艶やかだった。


「これなら、確かに……自分のために纏いたくなるわ。

 誰かに見せるためじゃなくて、自分の気持ちが整うというか……そういう“下着”ね」


 その隣――ヴィクトリア大王太后陛下は、紅茶のカップを唇に運びながら、ふわりと微笑む。


「ええ、本当に……素敵」


 そして、ごく自然な動作で――

 机に置かれていたブラジャーを手に取ると、カップの縫製部分を親指でなぞるように撫でた。


「年齢的に、着るのは難しいかもしれませんけれど……でも、これはね……持っておきたくなるわ。

 お守りのように、女の矜持として」


(お、お守り!? 女の矜持!?)


 ガストンは口元を引きつらせながら、紅茶を手に取る。


「はい、その効果は凄まじいですわ。コレを着て旦那様と床に入ろうものなら、徹夜間違いないしでしたから」


 その一言が放たれた瞬間――

 ガストンは、紅茶を飲む手をピタリと止めた。


 ユーリは少し恥ずかしそうに後ろ頭を掻いている。


(徹夜!? “床入りして”徹夜!!?)


(そ、それは……あれか!? つまり、夜を明かすほどの――あれ、じゃな!?)


 ガストンの額に冷や汗がにじむ。


「そういえば、エリゼさんもエレナさんも、すごく着け心地が良いって喜んでましたよ」


 ユーリは無邪気な笑顔で、まるで「今日の献立が好評でした」とでも言うようにさらりと口にする。


 ――その瞬間、ガストンの胃が、きゅううっと鳴った。


(ぬぅっ!? エリゼ……着用済み、確定……!?)


 さらに追い打ちをかけるように、アイナが紅茶ポットを持ちながら、横でぼそりと呟いた。


「旦那様の場合、脱がせがいがあって……良いのでは?」


(なにぃぃぃぃぃっ!?)


 紅茶の香りが、胃酸とともに逆流しそうになる。

 こめかみに青筋が浮かぶのを感じながら、ガストンの脳内で警報が鳴り響いた。


(まてまてまて、できるのか!? 本当に、徹夜で“それ”を!?)


(いやいやいや……それは体力がッ! 持たんじゃろ!!)


(常人ならせいぜい二回、いや三回……いやいやいやいや!)


 脳内の計算機が唸る。

 思考は完全に“戦力分析”モードへ。


(いったい何回戦を想定しとるんじゃ……!? 下着の力だけで徹夜じゃと……!?)


 そしてふと――最悪の可能性がよぎる。


(……もしかして、エリゼも……すでに徹夜済み……なのか……?)


(ぬぅぅぅっ……! いや、まだだ! あの娘はそんな軽はずみな娘では……)


(……いやしかし、あやつ、時々とんでもないことを……)


(というか、娘との夜伽を聞かされるとか、どんな罰ゲームなんじゃぁぁぁっ!?)


 机に突っ伏しかけたそのとき――


「……“夜が明けるほどの満足感”って、宣伝文句にしてもいいかもしれないわね」


 ルクレティアが、艶やかな笑みを浮かべながら、ブラの肩紐を指で弾く。


(なんじゃそのキャッチコピーはァァァ!!)


(もうやめてくれ、胃が……儂の胃が限界じゃ……!!)


 そんなガストンの内臓が悲鳴を上げる中、さらに爆弾が投下された。


「ふふ……ドラゴンの素材とこの下着があれば――

 オスカー・フォン・ヴァレンシュタインごときに、好き放題されることもないのではなくて?」


 ヴィクトリア大王太后は、紅茶をひと口啜りながら、舞踏会で交わす軽口のような調子でふわりと微笑んだ。


 その言葉に、オフィーリアが記憶を辿るように声を上げる。


「ヴァレンシュタイン家といえば……たしか、先日、先代が亡くなって新しい当主が立ったのですよね?」


「そうなのよ。その新しい当主――オスカー坊やが、よりにもよって王太后エリザベートと手を組んでね」


 ヴィクトリアは紅茶のカップを静かに置き、わずかに眉をひそめる。


「ルクレティアと、あなたたち後宮にまで、ちょっかいをかけようとしているのよ」


 その一言に、ルクレティアがふっと息を吐き、優雅にカップを戻した。


「アイナがバナナで撃退したのはいいけれど……あれ、しつこいわよ?」


 鼻先で笑いながら紅茶を口に運ぶルクレティアの隣で、

 オフィーリアが静かに微笑み――そのまま、涼やかに言い放つ。


「ふふ、でしたら……潰すしかありませんわね」


 優美な微笑みのまま放たれたその一言に、空気がすっと冷えた。

 場に満ちる甘やかな香りが、どこか“毒気”を帯びて感じられるほどに。


 その場にいた誰よりも――ガストンは、内心で凍りついていた。


 こめかみをひくつかせながら、静かに、しかし切実に祈る。


(た、頼む……頼むから……せめて“大惨事”にはならんように、穏便に済んでくれ……)


(ああもう……胃が……胃が消滅しそうじゃぁぁぁ!!)


 ――そして、ユーリとガストンの動揺をよそに、

 「オスカー対策会議」は、静かに、しかし着実に進行していくのだった。




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【あとがき】

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